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上宮聖徳皇子が伊予温湯に10月に訪れた理由:熊倉浩靖「湯治の原像」

2023年07月06日 | 論文・研究書紹介

 聖徳太子関連の文献は疑われることが多く、伊予の湯岡の碑文もその一つです。この碑文には言及しないものの、湯岡碑文について考える際、参考になる論文が刊行されています。

熊倉浩靖「湯治の原像-温湯宮(ゆのみや)行幸-」
(『高崎商科大学紀要』37号、2022年12月)

です。温泉文化を研究し、この文化をユネスコの無形文化遺産に登録する運動を進めている熊倉氏は、湯治という面に注目して調べていた際、『出雲風土記』の記述から見て、温泉文化は王族・貴族だけでなく、国民一般のものであることに気づいた由。

 この論文では、まず『日本書紀』の湯治関連の記述から検討していきます。温泉を示す「ゆ」の語について、『日本書紀』も『風土記』も「温湯」の字を宛てており、『続日本紀』以後では「温泉」が宛てられるようになるものの、訓は「ゆ」であって変わらないとします。

  そして、中国の故事では「飲泉」の薬効が強調されることが多いのに対して、日本では「浴びる」とされていると説きます。続いて、一般的な漢和辞典には「温泉」は載っていても「温湯」の語は収録されていないため、日本独自の表記かと述べていますが、これは誤りであって、中国でも『魏書』その他にかなり例があります。

 さて、熊倉氏は、『日本書紀』の七世紀の温湯の記事で重要なのは、「温湯宮(ゆのみや)」が建てられ、王家や貴族たちが、冬至の前後に2~3ケ月ほど滞在していたことだと説きます。

 まず、舒明天皇(在位 629-647)は、3年秋9月に津の国の有馬温湯に出かけ、12月に戻っています。当時の冬至は11月中気であって、滞在期間のほぼ真ん中にあたります。

 舒明天皇は10年冬10月にも有馬温湯の「温湯宮」に出向いており、翌年春正月に戻ってから新嘗をおこなっています。

 11年には、冬11月に新羅の使節に対応した後、12月に伊予温湯宮に出向き、翌年の夏4月に戻って廐坂宮に入っています。これは、冬至をすぎてますが、新羅の使節と応対しなければならなかったためと熊倉氏は見ます。

 続く孝徳天皇(在位 645-654年)も、即位3年の冬10月に左右大臣・群卿大夫・従臣たちと有馬温泉に出向き、12月に戻っています。

 さらに斉明天皇(在位 655-661年)は、即位4年冬10月に紀温湯に出向き、翌年春正月に戻っています。

 しかも、『万葉集』では、「紀温湯に幸しし時、額田王の作る歌」「中皇命、紀温湯に往しし時の御歌」が収録されているのです。他にも、『万葉集』には温湯を詠んだ歌が見えています。

 このように、飛鳥時代には多くの天皇が、冬至をはさむ時期にふた月ほども温泉に出かけており、その地に宮を設けているのです。熊倉氏は、天武天皇の崩御後の斎会で天武天皇のことを「吾大王、高照らす日之皇子」と称していることに注目します。

 天皇であるのに「皇子」とし、「日(太陽)」の子としているのです。そして、『万葉集』でも天皇について類似の表現が見られることに注意し、かの倭国の国書で「日出処の天子」と称していたことに注意します。つまり、日本の王には、「天(太陽)の子」であるという自覚があったとするのです。これは、中国北方の遊牧民族などと似ていますね。

 となれば、その「日」の威力が最も衰える冬至の時期は、「日」の力、「日の子」の力を回復せねばならない時期ということになります。つまり、冬至は、「日の皇子」の力、「日」の力を回復させるためのものだったと見るのです。

 ここからは、私の補足になります。疑われることの多い湯岡碑文については、このブログでも、これまでは正確に読解されておらず、現地で巨大な椿のトンネルを見たうえでの作であることを指摘してきました(こちらや、こちら)。

 伊予温湯碑文の冒頭では「法興六年十月」にこの地を訪れた、と記されていますが、この熊倉論文によって「十月」と記された背景が分かりました。また、舒明天皇が聖徳太子の事績をかなり意識して行動していたことを指摘した鈴木明子さんの論文は、このブログでも紹介してあります(こちら)。

 冬至の時期における天皇の温湯滞在の習慣が無くなった後の時代になって、「湯岡碑文」のような文章を作成することがあるでしょうか。

 鎌倉時代あたりに湯岡近辺の寺が寺領争いをし、「聖徳太子がこの地に寺を建てることを誓願し、田畑を施入されたのだ。だから我が寺の土地だ」といった主張をするために都合の良い内容を盛り込んだ偽文書を作ったりするなら分かりますが。

 また、太子を極楽浄土の導き手とする信仰が高まった時期に偽作されたとしたら、その面をもっと強調しそうなものですし。