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中国古典の典拠に注意しつつ「和の精神」をお説教する「憲法十七条」本:永崎孝文『「憲法十七条」広義』

2022年07月03日 | 論文・研究書紹介

 「憲法十七条」については、素人のお説教本が目立ちます。つまり、古代史や仏教や日本思想・中国思想などを良く知らない人が、「憲法十七条」の解釈という形をとって自分の社会観、道徳観、歴史観などを述べ、日本はこれこれであるべきだと説教するタイプです。

 最近では、派手な題名で宣伝された長谷川七重『「十七条の憲法」から読み解く日本文明(上) ―これを読めば日本人が解る―』 (幻冬舎、2021年)などもそうであって、素人によるお説教本の一例ですね。

 「憲法十七条」を文献的に研究して成果をあげた研究は、最近はきわめて稀であって、かつて紹介した法家思想の影響を重視した山下洋平氏の研究(こちら)など、ごく少数に限られます。

 そうした中で異例なのが、

永崎孝文『「憲法十七条」広義ー”和魂””漢才”の出あいと現代的意義ー』(奈良新聞社、2016年)

です。

 永崎氏は、本書末尾のプロフィールによれば、大学の経済学部を出て紡績会社や薬品会社に勤めたのち、京都大学文学部中国哲学研究室に在籍し、東洋思想を学んだ由。2005年に「憲法十七条」に接し、以後、「憲法十七条」の普及に努めているそうです。

 実際、この本でも道徳教育の必要性を説き、そのテキストとなりうる「憲法十七条」のこころ、すなわち「和の精神」を学んで、この「大和の地」から発信していくべきことを力説しているため、いわゆるプロの研究者ではないものの、中国思想の素養を持った人物が説くお説教本ということになります。

 良く分からないのは、研究室に6年間在籍という書き方です。大学か大学院に入学して学んだのか、研究員やそれに準ずる資格で学んでいたのか。また、東洋思想を学んだとありますが、本書を読んでみると、仏教に関しては踏み込んだ説明がありませんので、そちらについては大学院レベルで研究したことはなさそうに思われます。

 実際、「跋文」では、「市井の素人道楽家の”私的考察”と位置づけてお読みいただきたいとと思います」(356頁)と書いておられます。ただ、このような自覚を述べるのは、「太子の真意を見抜いた」などと大言壮語するど素人たちと違い、古典に関して学問的な訓練を受けたことがある人ならではです。自分の解釈の学問レベルがどの程度であるのか分からず、大発見したと思いこむのが素人というものなので。

 そうした例の一つである九州王朝説については、永崎氏は本書に12回載せられている「問題余話」というコラムの最初で、写本や版本のあり方をわきまえない強引な議論であり、「憲法十七条」を九州王朝の憲法とするのは、「短絡的で科学的な根拠に乏しい説」として切り捨てています。

 さて、永崎氏は、「憲法十七条」を貴重な教えと見て、その普及に努めているわけですが、太子を無暗に礼賛しないのは学問的なところです。太子の仏教理解にしても、早い時期は梁の武帝や隋の文帝を真似たものであって、『勝鬘経』や『法華経』の講経の頃は、仏教による統治という面が強かったと説いています。

 そして、『日本書紀』の仏教興隆については、欽明天皇、蘇我稻目、蘇我馬子、推古天皇などであって、「厩戸王子」は出てこないことに注意し、仏教とのからみで描かれることが多すぎると述べます。

 また、「冠位十二階」については、その対象者、つまり任官可能な人は実際には多くなかったとし、その「冠位十二階」と「憲法十七条」は「同一思想を持った人の制作」だと論じ、「冠位十二階」は革命的だったが、それまでの氏族制も存続しており、「冠位十二階」によって一転したのではないとします。

 「憲法十七条」には日本国民に対して道徳を教えたものであり、「冠位十二階」は氏族制を打破したなど主張する素人たちが多いのですが、永崎氏は、その点、文献に忠実に解釈しており、客観的です。

 「憲法十七条」の「憲法」については、法家の『管子』では軍律の意で用いられていることに注意したうえで、『詩経』では、文武を備えた名将を「万邦、憲と為す(多くの国々が手本とした)」とあること、また、「法」についても『管子』や『中庸』では「道理・規範」などの意で用いていることから、「憲法十七条」の「憲法」は「てほん、規範」の意味だとしており、これは納得のいくものです。

 永崎氏は、「憲法十七条」偽作説については複数の根拠をあげて反論しています。重要なのは、「冠位十二階」は『隋書』に記されていて確実であるため、それと共通する要素がある「憲法十七条」は、その付則的な規範であった可能性が高いというものです。

 その共通点とは、儒教の通常の仁・義・礼・智・信という順序とは異なり、徳・仁・礼・信・義・智の順となっており、「憲法十七条」では礼と信を重視しており、「冠位十二階」と一致する点です。

 そして、永崎氏は、「憲法十七条」で冒頭に「和」が来ているのは、「冠位十二階」では仁・義・礼・智・信という儒教の五常の上に「徳」を置いているのと同様であり、第二条で「篤く三宝を敬え」とあるのは、「和の精神」を生かすための手段として提唱されているものだと説きます。

 「徳」と「和」が対応しているというのは賛成しがたいですが、「篤敬三宝」が「和」を実現するための手段となっているという指摘はおもしろいですね。その点は私も賛成ですが、「和」が「篤敬三宝」より前に来ているのは、群臣たちの「和」が「篤敬三宝」を実施するための前提となっていたためだと、前の講演録で説いてあります(こちら)。

 永崎氏は、以下、「憲法十七条」の個々の条について検討していきますが、類似しているだけで、典拠とは言えないような用例も見受けられます。また、全体としては穏健な解釈となっているものの、「憲法十七条」を尊重し、現代の道徳として生かそうとしますので、ところどころで推古朝の状況からすると不自然と思われる解釈が出てきます。

 そうした面はあるものの、仏教系寄りの人が「憲法十七条」を解釈すると、中村元先生のように仏教を中心とした見方になりすぎる傾向があるため、永崎氏のように仏教に距離を置き、中国思想とのつながりを検証しようとするのは、これはこれで有益でしょう。

 なお、末尾の「参考文献」では、中国思想との関係に注意した学術的な村岡典嗣の研究があげられていないのに対して、『いかに生くべきか(東洋倫理学概論)』を初めとする安岡正篤の本が3冊もあげられたり、山田無文老師の『臨済録 上』や山田済斎編『西郷南州遺訓』など、「憲法十七条」とは無関係な本が多数あげられており、現代版の「修身」のような形で東洋の道徳を説きたい人なんだな、ということが良くわかります。