拙論「聖徳太子伝承中のいわゆる『道教的』要素」(『東方宗教』115号、2010年5月)は、「いわゆる」という語が示しているように、「道教的だと称している人たちもいるが、実際には違う」ということを明らかにしようと試みたものです。昨年の日本道教学会の学術大会で発表した内容に少々訂正を加えました。趣旨は変わっていません。
発表では、「徳」の下に「仁・礼・信・義・智」の形で五常を配する冠位十二階の特異な順序は、六朝時代に成立した道教経典、『太霄琅書』に基づくとする福永光司先生の論文、「聖徳太子の冠位十二階--徳と仁・礼・信・義・智の序列について--」(福永『道教と日本文化』、人文書院、1982年)を取り上げて批判しました。『太霄琅書』から自説に都合の良い箇所だけを切り貼りしており、しかも、原文のうち三箇所も省略しておりながら、「……」や(中略)などによってそれを示していないことを指摘したのです。「卒論なら落第です」とまで言ってしまいました。発表終了後、質問はまったくありませんでした。
言葉がきつすぎたなと反省していたところ、大会終了後の懇親会では、関東・関西の研究者たちが次々に話しかけて来て、「よく発表してくれた。福永先生のあの論文や、ブームの頃のいろんな人の論文は、私も前から無理な議論が多いと思っていた」とか、「どんどん書いてほしい」などと言うので驚きました。「そう思っていたなら、自分で書いてくださいよ」と答えたところ、「まあ、いろいろあって書きにくいので、関係のない仏教学のあなたが書いてくれると有り難い」とのことでした。発表の前半を占めていた大山誠一説批判については、「その通りでしょ」ということで、あっけない反応ばかりであったのも意外でした。
中でも私がショックを受けたのは、福永先生の『太霄琅書』の引用の仕方がフェアでないことは、私の新発見と思って発表したところ、「実は自分も気がついていた」と言った関西の研究者が2人いたことです。ということは、他にも道蔵で原文に当たって省略に気づいていた人や、噂によって知っていた人などが何人もいるのでしょう。
1981年に雑誌に発表され、翌年、『道教と日本文化』に収録されたその論文は、刊行されてからほぼ30年たちます。その間、ある程度の数の道教研究者たちが、冠位十二階に関する福永先生の引用の仕方は不適切であり、福永説は成り立たないということを知っておりながら、遠慮して論文などで指摘してこなかったため、日本史学などのかなりの数の研究者がこの説を道教学の権威による指摘として引用してきたのです。
(大山氏は、福永先生の道教理解の影響を大きく受けておりながら、冠位十二階に関する福永説には触れていません。太子関連の道教関連記述は、道教にも通じていた道慈が書いたとしていたうえ、冠位十二階は中国の史書にも記されているため、実在しない聖徳太子ではなく、蘇我馬子の制定だとしているせいでしょうか)
「道教と古代日本文化」ブームは、日本独自と思われていたことを、儒教・仏教以外の中国の様々な宗教・思想・技術などの影響という観点から見直そうとした点では、意義のあるものでした。当時のそうした論文の中には、現在でも通用する重要な指摘をした諸論文も含まれています。古代日本では神仙思想が盛んでしたし、道教が中国仏教に取り入れられ、時には偽経にまでなったものが、日本や朝鮮では仏教として受容されて大きな影響を与えた例が多いこと、医学書などは道教と関係の深い書物が次々に輸入されていることなどは事実ですので、今後もそうした面の研究が進められるべきです。
ただ、「あれも道教、これも道教」という粗雑な議論が多かったのも事実です。福永先生は、道教を含む中国の宗教・思想研究において大きな功績をあげ、多くの研究者を育てた大物ですが、新たな分野を開拓した人に良くありがちなように、自分が研究している対象が、つまりは道教がいかに広範で重要なものか、いかに中国と日本に多大な影響を与えたかを強調しすぎる傾向がありました。その功罪はきちんと明らかにすべきでしょう。
私の大山誠一説批判については、「問題が多いことは、研究者の世界では知られているのだから、わざわざ論じなくても良いのではないか」といった声があることは承知しています。しかし、明らかに誤っている説がマスコミでしばしば最近の学界の定説のようにとりあげられ、一般の人に影響を与えている以上、放置していれば、福永先生の冠位十二階説の場合と同様、あるいはそれ以上の弊害が生ずるのではないかと案じられました。そこで、聖徳太子については、『日本書紀』では「聖」として描かれており、史実としては信頼できない記述も多いことは事実であるものの、まだまだ研究を重ねる必要があり、大山氏の架空説のような形で断定的なことを言える段階ではないことを、このブログを通じて指摘していくことにした次第です。
なお、「道教と古代日本文化」ブームの問題点ということで、上田正昭先生と上山春平先生についても、聖徳太子関連記述と道教の結びつきに関する説を批判させて頂きましたが、聖徳太子については東アジアの観点から検討すべきだ、とする上田先生の姿勢には共感しています。個々の説についても上田説に賛成する点が少なくありません。ただ、最近の上田先生の聖徳太子論は、かつてより史料批判がやや甘くなっているようにも感じられます。