郡保家の一日

極く有りふれた家庭です。その生活の一端を記録していきたいと思います。

誰一人として

2024年09月11日 | 日記

 『誰一人として取り残されない社会を』とメディアが言っていましたがそれを政治家も真似?して同じことを言っていました。それは目標として目指すべきことなのかも知れませんが物凄くレベルの高い目標です。また、人それぞれ多様性があり、目的とする指標は違い、その満足するレベルも異なりますから達成は無理なことだと私は思います。それを聞く者ににとって、あるいはそれを言う者にとって言葉としての心地よさはありますが現実性と実現性を欠いた言葉のように思います。美辞麗句を並べて見ても意味があるのでしょうか。自民党総裁候補として、首相候補として具体的なプラン(政策と目標)を示すべきではないのでしょうか。それは現代の課題の優先度から決めるべきことだと思います。私は党員ではありませんから選挙権はありませんが、与党第一党の政治家の貧困を嘆かざるを得ません。今回、多くの総裁候補が出ていますが国民のためと言うより、自分のためとと言う人が多いように思いました。野党党首戦も似たり寄ったりで政治離れは深刻です。アメリカ大統領選挙も候補者を見ていると大きな差はありませんが、…。政治家とはそういう人が成るように思えてきました(真面目な人は成れませんね)。

 今日の夕食は、


 ◆唐揚げ ◆蛸のお刺身と胡瓜の酢の物 ◆鶏レバー ◆ポテトサラダ ◆お味噌汁 ◆ご飯 
   ~  ~

 追記: 現実性と実現性
      現実性=物事が実際に存在しえるかという可能性を問う/実体面
      実現性=物事が実際に成しえられるかという可能性を問う/実行面


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