郡保家の一日

極く有りふれた家庭です。その生活の一端を記録していきたいと思います。

健康料理教室打合せ&冊子打合せ

2013年10月21日 | 日記
 午前中は保健センターで健康料理教室の打合せ、午後からは高齢者食事サービスの冊子の校正に出かけて行きました。次は出来上がった状態で最終チェックをして終わりです。明日姫路に行くのでお惣菜を数種類作りましたが以前のように気合が入りません。孫に会えるので楽しみです。
 今日の夕食は、
















◆鯖の味噌煮 ◆レバー串焼き ◆ほうれん草のお浸し ◆つみれのお吸い物 ◆ご飯


         理想の
葬儀?
 家人はNハッピーライフセミナーに午後から出かけました。テーマは「理想の葬儀を考える」で(株)公益社の経営企画部・廣江輝夫氏が講師として話をされました。当然と言えば当然ですが葬儀社寄りの最近の葬儀状況の説明で、テーマに応じた内容ではありません。今月すでに8回セミナー講師をしたと言う割にはレジメに目次も無く(→論理的でない)、自分よがりな話で説得力に欠けていました。個人個人で希望が違うので一般論では話せないのかもしれません(→テーマが不適切?)が、家人にとって参考になるような話は出なかったので残念としか言いようがありません。 ~①適当な写真を早めに準備、②生きてきた証をCDに(→家族葬で見る?)、③遺骨を麗石に
                    気合が入らぬ理由
 子どもも、もう40歳で成人式を2回の人生を過ごしてきたことになり、何事も自分で判断して実行したり、しなかったりのできる年齢に達しています。が、料理を作って持って行くのは年齢に関係なく心を癒せる甘える人が傍に居ることは必要と思うからです。でも、それが家人にとって過保護に見えるのでしょう。家人から子離れが出来ていないとまた言われるからでしょうか?。
<追記>10月23日夕刊にこんな記事が出ていた。~ 震災の後、無理やり繋がろうとする感じがした。そうなる心理もわかるけど。それよりも「突然独りで死んでもいいように生きよう」と私は思った。誰かと一緒に生きようとは思わなかった。そういう覚悟がないと、人と一緒に生きちゃいけないんじゃないか。独りで生きるのに耐えられない人が、人と一緒に暮らすとなると、依存みたいになってしまって、分かりあえないんじゃないか。血縁社会も地域社会も崩れゆく今、家族のモデルを探すのは難しい。昔のような人間関係が懐かしいのは分かるが、昭和30年代の家族観を今取り戻すのは無理だと思う。でも他人と係わらずに生きていくのは難しい。ならば、係わり合い方の心地よい形を、自分たちで探していくしかない。 ~ 
と、…。


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