郡保家の一日

極く有りふれた家庭です。その生活の一端を記録していきたいと思います。

体罰、いじめ

2013年02月02日 | 日記
 今、体罰といじめが問題になっている。どちらも閉じられた組織の中で弱者に対する攻撃である。強者と弱者が居る限り無くならない行為ではないか。強者の節度が無くなっている証拠でもある。強者も一方(上部組織の中でさらに上との関係~校長・教頭⇒教師、舅姑・男親⇒母親~)では保身のために弱者であり、結果を短期的に出さねばならないか、歪んだ関係の皺寄せを同じように玉突きのように出しているか、どちらにせよストレスの無意識の暴発である。そこで一旦受け止めて、同じようなことをしてはならぬと考え抜くのが真の強者(⇒指導者)である。急がば回れで丁寧に接することが第一である。AngelNote、DevilNoteを記入する。今やろうとしていることはどちらなのかを自問自答出来るよう自分の中に第三者・分身を作ることだ。頭の中では偉そうなことが言えるが、その場に立つと出来ないものだ。だが、常に分身を作りそのように努めようとすることが大事である。それが人生の課題~悟り~でもある。また、弱者もその組織の中だけで考えるのでなく、別の開かれた組織があることを知ることである。それを拠り所に生きて欲しい。  (庭に咲いた冬のバラ)
 体罰とは、親権者である父母や教師などが、子供や生徒などの管理責任の下にあると考えられる相手に対し、教育的な名目を持って、肉体的な苦痛を与える罰を加えることを指す。この場合の苦痛とは、叩くなどの直接的なものから、立たせたり座らせるなどして動くことを禁ずるなど間接的なものも含む。戦前・戦中までは軍事教練や精神修養として認められてきた。
 日本では1980年代ごろから教育現場で顕著になっているいじめとは「自分より弱い者に対して、相手の身体的・心理的苦痛を快楽的に(無意識に)楽しむことを目的として一方的に身体的・心理的攻撃を継続的に加えるさまざまな行為であり、相手が深刻な苦痛を感じているもの」と定義される。昔の社会では村八分、今の会社では窓際族、追出し部屋に配属などのパワハラが行われている。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする