鉢呂経済産業相が「原発周辺市町村は人っ子一人いない、まさに死の町という形でした」と発言したことを、不穏当な発言だと批判されている。
メディアと国会議員などが先陣を切って、非難を浴びせている。
しかし、さほど不穏当な発言だろうか?
どう見てもヒステリックだ。
一方、原発事故に苦しむ福島の農家を支援するためにと企画された物産店が、抗議の電話やメールで、中止に追い込まれた。
「危険なものを売るな」、「福島のトラックは放射性物質を運んでくる」との声もあったという。
福岡市の商業施設内で福島産物品を販売する予定だったがオープンを前に中止になった。
これもヒステリックだ。
要するに、どちらも事実を把握できていない。感情・感覚に振り回されている。
肝心の部分が理解できていない。
福島原発周辺の放射能が高いところは、日常生活に適さないことは紛れもない事実だ。
地元の住民にしてみれば好き好んで避難しているわけでないのに、死の町と言われたんではたまらない。鬱憤やるかたないというところなのかもしれない。
末期がん患者が、自分でも余命永くないと思っていたが、はっきりと宣告されて落胆する気持ちに似た心理なのだろうか。
死の町になっていることは間違いない。
政府が避難指示を出したからゴーストタウンになったというのではない。避難しなければならないほどの放射能汚染におちいってしまったからだ。
地元に戻って生活したいという願望があることは事実だが、それと現実は別だ。
そこをごまかしては基本で誤る。事実は事実として認識することが必要だ。
当分住めなっくなってしまったことを大半の人は悟っている。短期間で住めるようになると考えている人のほうが認識が甘い。
地元住民の感情を刺激しないようにと事実を覆い隠すようでは、原発事故直後の報道の二の舞になる。
客観的な事実は、ごまかすことなく共通に認識しなければならない。
放射能に汚染され人が住めないところなのに、それを言葉で言いつくろってみても始まらない。
事実をベースにして、これから先の方向を定めていくことが指導層に求められることである。
住めないほど汚染されたという事実を前提にして、では次にどうするか、ということだ。
そこはさまざまな考え方に分かれるだろうから、大いに議論すべきだ。
ところで、鉢呂大臣が報道陣に防災服をすりつけるしぐさをしながら「放射能をうつしてやる」という発言をした。
こちらは明らかに不穏当な発言だ。
ふざけたり茶化すような事柄ではないだろう。
ところで鉢呂大臣は、現地視察の際に着た防災服のままで東京までもどって来たのだろうか? 現地で脱いで作業服に着替えるのではないのか。
いずれにしろ、真剣みのないパフォーマンスだけの現地視察だったということだ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます