民主党が小沢氏の党員資格停止を決めた。
ここに至るまで、民主党内で繰り返された、ああでもないこうでもない、やるでもないやらないでもない、にはうんざりだった。
難題が山積しているのに、それらの大事なことをほったらかして、親小沢とか反小沢とかの対立にうつつを抜かしている議員は醜く見えた。
そんな民主党議員たちに対して、メディアも識者も一般国民からも、口々に非難の声があがった。
「政治が重大な局面を迎えているときに、小沢問題で党内抗争に明け暮れている。そんなことをしている余裕などないではないか。予算案をはじめ日本がやらなくてはならないことに審議を尽くすべきだ」
そのとおりなのだがこれだけでは踏み込みが足りない。というよりか、無責任の印象がある。
「小沢一郎氏のカネのことを追及しないで、不問にすべきだ」と言いたいのか。
「さっさと小沢氏を除名にすべき。その手はずが生ぬるい」と言うのか。
はっきりと言わないから、ゴタゴタを同じように非難しながらも、思惑が全然違ってくる。
「・・・であるから、このようにすべきだ」ということを明確に言わないのは、言い逃れを用意しているからだろう。
だが単に批判するだけが目的の発言になってしまう。あるいは、「カネのことは触らないようにしよう」と露骨に言えないのでぼかしているのか。
今回「党員資格停止」を決定したことで、ひとつの節目は通過したと言えそうだ。
しかし本来は、小沢氏が国会の場で説明しなければならないことである。
説明の場が「政治倫理審査会」なのか「証人喚問」が適切かは置くとしても、国会議員として公式に疑惑に応える責務がある。
国民も当然それを希望しているのだが、ここまでくるとどちらも実現する見込みはなくなった。
そういう意味で、本人の抵抗があったとしても、小沢氏を国会に召致することを民主党執行部がもたもたして決断できなかったことは、批判されてもやむをえないと言える。
菅首相の指導力の無さが評価を落とす一面であった。
党内融和とかを持ち出して、小沢氏にまつわる政治とカネは不問にして仲間を守るべきだ、というのは筋が違う。
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