竹と遊ぼう。伊藤千章の日記、

小平市と掛川市の山村を往復して暮らし、マラソン、草花の写真、竹細工、クラフトテープのかご、紙塑人形の写真があります

遠野足湯ボランティア その1

2011-07-01 17:52:24 | 被災地ボランティア

日本財団の足湯ボランティア第8クルーに参加して、昨日の朝遠野から帰って来ました。26日朝赤坂の日本財団のビルに集合、仲間は34人でした。男性はほぼ3分の1、学生から70代(男性)まで様々な人の集まりで、リピーターも何人かいました。昼頃バスに乗って出発、花巻経由で遠野に着いたのは夜の8時過ぎでした。前に泊まった遠野まごころネットの体育館からは歩いて20分ほど、遠野浄化センターの中に遠野まごころ寮と呼ばれる日本財団の宿舎がありました。そこにプレハブ二階建ての建物があり、そばに大きなテントも並んでいます。男性はプレハブ二階の畳の部屋、隣の部屋が女性で、一部の女性はテントに行きました。

遠野市内、カッパが彫られた人道橋

 
 前回の遠野まごころネットに参加したときは三食自分で調達していましたが、今回は希望すれば朝昼晩三食1000円で食べられます。料理人は釜石で食堂をやっていて被災した人です。食事は美味しくて天候不順で仕事が少なかったので食べ過ぎになりました。
遠野市内柳田國男が泊まった高善旅館、今はとおの昔話村になっています。 

 
私達は3グループに別れ、二日間足湯をやって一日はまごころネットと協働することになっていました。私は初日はまごころネットと協働して大槌町で泥出し作業をすることになっていました。初日は小雨模様の中、遠野まごころネットに集まって大槌町の現場に行きましたが、雨が強くなって作業は中止、足湯隊も中止になって、その日は大槌町から釜石、大船渡、陸前高田と被災地を巡って状況を見ながら遠野に帰ってきました。
 
どこもひどい状況で、瓦礫もあまり片付いていない状態でしたが、釜石や大船渡は津波をこうむらなかった市街も残っていました。でも陸前高田は街全体が被災して、これからが大変なようです。

柳田國男の世田谷の隠居所を移築したもの



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2 コメント

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Unknown (遊戯人)
2011-07-06 00:02:46
ちんきさんの活動の意思と継続性に驚きながら、自らは手をこまねいていましたが、せめて自分の目で無いが起こっているのか確かめたいと昨日気仙沼に向いました。

地獄は人の心の中にあるが、原発で人の意識から遠ざかってしまった気仙沼は、地獄は眼前にありしかも深く進行中で、六道地獄とはこの事かと思いました。
深く無力感に打ちひしがれ、考えが纏まりませんが、多分祈ることしか救いは無いような気がしています。
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Unknown (Unknown)
2011-07-06 08:02:34
被災地に立つと言葉もありません。人の生も暮らしもこんなにもろいものかと今更ながら驚きます。そんなはかない生が戦争によって何十万、何百万も失われたりする、人って何と愚かなものか、その現実にも言葉がありません。

再建を目指すなら、戦争につながらない生き方を目指さなければと思ったりします。これもまた難しいことですが。
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