竹と遊ぼう。伊藤千章の日記、

小平市と掛川市の山村を往復して暮らし、マラソン、草花の写真、竹細工、クラフトテープのかご、紙塑人形の写真があります

アタマの空っぽは何のせい?

2010-09-22 10:07:33 | マラソン
昨日は自転車で20分かけて墓参りに行って来ました。
お彼岸に入ったと言っても、午後遅くだったので人も車もまばら。
まもなく掛川に行くので、早めにすませたのです。
彼岸花が霊園にも咲きだしました。

最近頭の働きが悪く、ミスがあります。
空っぽアタマについて困ることが時々あります。
それって歳のせい?
いえいえそうでは ありませぬ。

ツィッターのなかに茂木健一郎氏の面白いつぶやきがありました。

>走ると、アタマが空っぽになる。私がストレスに強いのは、走って鍛えたからかもしれない。歩行禅という瞑想の方法があるそうである。私の場合、走行禅というべきものを実践してきた。

>持久走から学んだものは何か。一度始めたら、やめない。小学校の時は、蝶の研究をずっとやった。クオリアについて考え始めたら、考えるのをやめない。一生考え続ける。私はしつこいのだ。

>走る習慣を持っている人は、会って話していると、何となくわかる。身体を動かしてエキササイズする必要は必ずしもない。仕事でも、生きることでも、走り始めて、そう簡単にはやめない。そんなガッツを持っている人たちと、ぼくは意気投合する。

>走っていて、ふと足をとめて、見えてくる風景が良い。静止しているということが、奇跡のように思えてくる。詳細がありありと見える。走っていると、時折ぼんやりと佇む、その時間の流れが恩寵となるのだ。

>ぼくは走る。今日も走る。走ることで、自ら風をつくることができる。生きている限り、走り続ける。走るのをやめるのは、きっと、この世にオサラバする時だろう。<

友人にはお前は走る前から空っぽだったぞ、と言われそうです。


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