竹と遊ぼう。伊藤千章の日記、

小平市と掛川市の山村を往復して暮らし、マラソン、草花の写真、竹細工、クラフトテープのかご、紙塑人形の写真があります

遠州灘40キロラン

2014-09-25 07:53:05 | 歴史と人類学

一昨日23日には久しぶりに遠州灘まで走って往復しました。
ネット上の距離測ではかるとちょうど40キロです。

掛川の大きなホームセンター脇の駐車スペースに車を置いて朝7時出発。
近頃寒いので軽いウィンドブレーカーに小さなデイバッグを背負っています。
でも今日は朝から快晴、日差しも強くすぐランシャツランパンに着替えました。
道は一筋南へ、途中の川べりには彼岸花が咲いています。



しばらく走ると風力発電の風車が見えて来ました。
遠州灘沿いにいくつも並んでいます。



いつもは風が強いところですが今日は微風、止まっている風車もあります。

今まで何度も走っているなじみのコースです。。今年の1月にも走りました。
このコースのいいのは海に出られることです。


海と長い砂浜、寄せ来る敷浪を眺めていると時のたつのを忘れます。



小さいころは海が身近にありました。
夜になると海鳴りが聞こえることもありました。

私の生まれ故郷は陸前高田市、名勝高田松原までは1キロ半
よく海水浴に行きましたし、夕方散歩したこともありました。
今では松は一本もなく、砂浜も大きくえぐられてなくなっています。

私が生まれた家のあたりは津波をかぶって家々は全滅、今は土台のコンクリートだけ残っています。地面を7mかさ上げして町を再建する計画があります。
でも難題山積みのようです。

この日は波も穏やかでサーフィンをしている人たちもいます。
砂浜で早めの昼食を食べてまた走りはじめました。



途中の田んぼは稲刈りが終わった田が半分ほど、
そこに真っ白いコサギが群れています。



掛川の街にもどると、新築だけど昔風の三角屋根の家が目立ちます。


城を再建したので、それにあわせて城下町風のたたずまいにしようとしているのです。


町全体の区画整理で広い道路が広がっているので昔の街の風情はありません。
あと数十年もすれば落ち着いてくるでしょう。



掛川市には二宮金次郎の思想を普及する団体、報徳社の総本山があります。
明治時代の建築が修理されて見学できるようになりました。

かって全国の小学校に薪を背負って本を読みながら歩く二宮金次郎の像がありました。


私が小学校の1年までいた陸前高田の高田小学校にもありました。
今も津波に耐えて残っています。



掛川といえば山内一豊が一時居城としていたことで有名ですが、二宮尊徳との繋がりもあるのですね。



午後から日差しもいっそう強くなり、熱中症をおそれてペットボトル5本の水分をとりました。
無事に走り終えて車で家に戻りました。
夕方ドラム缶風呂を沸かすのが面倒になって近くの温泉に行きました。 温泉の中でお湯につかると足がひりひりします。 走りすぎの痛みなのかと思ったら、腿から下が真っ赤、 陽に焼けたのです。 久しぶりに日差しが強く暑い中で走ったのでね。こたえました。
これでフルマラソンを走りきる自信がつきました。
体は少しずつ衰えていきます。
でもマラソンを走ったり山に登ったりも出来ます。
この状態を少しでも長く続けたいものです。



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