二日目は天気が良かったのですが、田圃その他水を含んでいるので一般作業は中止、足湯ボランティアは陸前高田で行われましたが、私は三日目の釜石での足湯に振り分けられました。この日の作業はまごころ寮の周りの草刈り、テントの物資の整理など、午後2時ごろまでに片付きました。その街に出かけました。かって柳田國男が滞在した高善旅館が「とおの昔話村」になっているので、そこで映像や音声で昔話を聞きました。
この奥がとおの昔話村
三日目いよいよ釜石体育館の避難所での足湯ボランティアです。ここで足湯ボランティアについて説明します。被災者の中の希望者に足湯に足をつけてもらい、10分から15分、左右の手をもんだりさすったりしながら話を聞きます。手をもんだりするのは被災者に近づいて話を聞くためです。そして今被災者が必要としていることなどを聞いたりします。ボランティア活動は基本的に被災者のニーズに合わせて行われるものですから、被災者のニーズを聞くのも大事な仕事です。被災者にとっても縁もゆかりもない人に対する方がいろいろな思いを話しやすい一面もあります。かなり重要な精神的支援の一つになっているようです。
大工町の木造歩道
災害ボランティア活動としての足湯は17年前の阪神淡路大震災に始まり、中越地震(2006年)、岩手宮城内陸地震(2008年)、新燃岳噴火災害(2011年)と災害のたびごとに行われてきています。
私がなぜ足湯を?65歳までの5年間、デイサービスに勤めて来ました。そのときの大切な仕事の一つは利用者さんの話を聞くことでした。その辺の間合いの取り方は体に沁み込んでいます。今の状況で私が少しでもお役に立てるとしたら、話の聞き役なのかもしれません。
釜石の体育館の広い玄関の屋根の下にシートを引いて足湯をする人たちのための椅子を三脚並べます。後方には待つ人たちの椅子が並びます。椅子の前にタライを置き、水と熱湯をいれたバケツもそばに用意します。プロパンガスで大きな鍋に湯を沸かして、湯を補充します。いろいろ準備をして午後1時から3時まで足湯をします。足湯をした人は21人、ボランティアは8人、一人2,3人担当します。
足湯の看板
私が最初に担当したのは70歳の女性、避難所にたまたま同級生が3人集まって、そろって足湯に来ました。担当した人は前日に爪を塗るボランティアの人に両手の爪を塗ってもらったといって、きれいな爪をして嬉しそうでした。他の二人は歳なのにとちょっと批判的でしたが、きれいな爪っていいですよね。もともと明るい人のようでしたが、人前では楽しそうに振舞っていました。
もう一人は40代の女性、知的で都会風の美人です。海沿いに住んでいて家は流され、家族は必死で逃げて助かりました。でも夫の母親が死亡とのことでした。避難所にいる人たちはみなさん精神物質両面で深い傷を負っています。私達に出来ることはほんのわずかなことですが、
皆さんが元気になるお手伝いが出来ればと思います。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます