竹と遊ぼう。伊藤千章の日記、

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被災地陸前高田でのボランティア活動 その2

2011-05-29 07:41:43 | 被災地ボランティア

今回作業をやった場所は陸前高田市の小友町の田圃です。津波を被った一番高いところにある山側の田圃から、下に向かって一枚一枚片付けていきます。田圃の中には家屋から出た木材、瓦、家具の断片、ガラスの破片などが散らばっています。田圃の脇の道路の隅にそれらを集めて、重機で扱いやすくします。 

瓦礫の中に写真や教科書など思い出に残る品があれば拾い集めます。田圃の中には自動車や小さな舟までころがっています。それらは重機出なければ駄目なので残しておきます。津波を被った田圃は塩分が強いので、表土を入れ替えなければ田植えが出来ません。来年?再来年?まだまだ時間がかかります。
 
この地区は陸前高田市の東側、広田湾の東に突き出た小さな広田半島の付け根にあたる地域です。太平洋側からは黒い津波、広田湾からは白い津波が押し寄せて、付け根の真ん中でぶつかり合ったと言います。
 
休憩時間にそばに行ってみました。青い空の下、瓦礫の山が延々と続きます。小学校は平地にあったので津波にのまれてしまいました。今や建物の残骸も一つもなくただただ瓦礫だけが広がっています。空にはカラスやかもめが何ごともなかったように舞っています。しばらく言葉もなく呆然と見つめていました。
 
一班10人編成で5班ほどがここで作業をしています。男女かかわりなく同じ作業をします。若い女性達は元気にネコ車を押したりスコップを使ったりしています。中高年の男性はこういう仕事に慣れた人が多いのか、率先して力仕事をしています。田圃の脇の水路を埋めたヘドロだし作業には男達がかりだされ、溝をまたいだり溝に踏み込んで作業をしました。一緒に行動した同年輩のM氏はかなりこたえたようでした。
 
M氏は一番仲良くなった人です。同じぐらいかと思ったら60歳になったばかりでした。品のいい静かな人です。この春定年になり、1年契約でもとの会社に通っていますが、これから何をしていいか分からずボランテイアに来たといいます。
 
実は2月11日、会社から戻ったら奥さんがソファに倒れていました。もう息がありません。前々から高血圧でしたがそれまでは元気だったそうです。死因は脳梗塞、子供さんは30歳の男と28歳の女、二人ともまだ独身ですが外に出ています。彼は突然一人っきりになってしまいました。真面目なサラリーマンとしてやってきた人のようですから、特に長く続けている趣味もないそうです。
 
それでも思い切ってボランティアに応募してここまで出てきたのだから、彼の前には新しい人生が開けてゆくでしょう。     
                         続く

 



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