ザ・コミュニスト

連載論文&時評ブログ 

比較:影の警察国家(連載第6回)

2020-08-08 | 〆比較:影の警察国家

Ⅰ アメリカ―分権型多重警察国家

1‐1‐3:麻薬取締庁と麻薬戦争

 麻薬取締庁(Drug Enforcement Agency:DEA)は、連邦警察集合体の中では比較的後発の機関で、1973年に当時のニクソン政権が増大し始めた麻薬事件に対応するために設置を決めた。FBIやAFTと並び、司法省傘下にあるが、権限を麻薬事案に限局された連邦警察機関であり、連邦麻薬警察とも呼び得る特殊機関である。
 麻薬問題に特化されているとはいえ、個別事件の警察的捜査と規制薬物の管理統制という行政権限を併せ持つことから、1万人を越す職員(うち特別捜査官5000人)を擁する大規模な機関に成長している。
 その摘発対象は多くの場合、アメリカ内外で国際的に蠕動する麻薬密輸組織であるため、航空部門を擁し、国防総省とも連携した摘発作戦も展開するなど、半軍事化されていることが特徴である。また違法取引の把握上盗聴や電子メール盗視などの手法を駆使する諜報部門も備えるなど秘密警察的側面も持つ。
 とりわけ中南米を地盤とする麻薬組織(カルテル)に対する根絶作戦のため、民主的とは言い難い諸国の警察・軍と連携した摘発作戦が「麻薬戦争」と呼ばれるほど一種の内戦と化し、現地で多くの人権侵害被害者を出していることが人権上も問題視されてきた。
 そうした摘発作戦の過程では、あえて一部組織に麻薬の流通を許す「泳がせ捜査」のような技術を駆使することで、かえって麻薬流通を助長しているという批判もある。反米政権が支配するベネズエラやボリビアはDEAの国内での活動を禁止したり、協力を拒否する姿勢を示している。こうしたDEAの海外活動には外国の国家主権を侵犯する危険がつきまとい、批判は多い。
 また、DEAによる麻薬の規制が全米における麻薬流通のほんの一部にしか及んでいない非効率に対する批判の一方、およそ麻薬を含む個人の嗜好に対する警察的介入が市民的自由を侵害しているという急進的な批判まで、DEAはその存在そのものへの疑問も向けられている。
 特に後者に関しては、近年、州のレベルで大麻を法的に解禁する流れが起きており、現実にもDEAの存在意義は部分的ながら揺らいできていることも事実である。とはいえ、DEAはFBI、AFTと並び、連邦警察集合体のラインナップの中でも中核を成す司法省系統機関の三本柱を形成する存在である。

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比較:影の警察国家(連載第5回)

2020-08-07 | 〆比較:影の警察国家

Ⅰ アメリカ―分権型多重警察国家

1‐1‐2:アルコール・タバコ・火器及び爆発物取締総局の強化

 アルコール・タバコ・火器及び爆発物取締総局(Bureau of Alcohol, Tobacco, Firearms and Explosives:ATF)の前身機関は元来、財務省傘下の国税庁直属連邦法執行機関として1886年に創設されており、FBIよりも古い歴史を持つ連邦機関である。ただし、その所属は財務省と司法省の間を行き来した末、現在はFBIと並ぶ司法省傘下機関となっている。
 その所管事案も時代によって変遷があり、禁酒法時代(1920年‐33年)には酒類取締りを専門としたことから、現在でもアルコール取締りが機関名筆頭に来るが、禁酒法が撤廃されると、酒税執行機関に転換され、その後タバコ税が権限に加わり、銃規制法が成立すると、銃規制も権限に加わった。
 これに伴い、ニクソン政権下の1972年に財務省直轄型の機関として独立し、現在の形態の原型が完成し、9.11事件後、2003年の治安・諜報機関再編により司法省に再移管されたものである。
 こうして権限は限局されているとはいえ、FBIのライバル機関的な立場にあるのがATFである。実際、禁酒法時代にはエリオット・ネス特別捜査官を中心に、当時のアメリカ・マフィアの巨頭アル・カポネの逮捕に貢献したため、FBIの総帥であったエドガー・フーバーに嫉視されたとも言われる。
 現在、ATFの人員は5000人ほどと、3万人を越える人員を擁するFBIとは比較にならないため、単独よりはFBIや州レベルの警察機関との合同で活動することが多いと言われる。とはいえ、現在の任務の中心は銃火器の取締りにあることから、法執行に当たる特別捜査官の選抜・訓練は極めて厳格とされ、少数精鋭機関となっている。
 しかし、90年代には銃器不法所持の嫌疑を持たれたテキサス州ウェイコの宗教セクト教団ブランチ・ダビディアンの施設に対する法執行に失敗し、捜査官が死亡した末、FBIが引き継いだ強行突入作戦の過程で教団側と銃撃戦となり、教祖をはじめ、信者らが集団死する事件を引き起こした(ウェイコの悲劇)。
 この事件への反感から、事件二年後の95年、元陸軍兵士らがATFやFBIの支局も入居するオクラホマシティーの連邦合同庁舎を爆破、168人を殺害するテロ事件が誘発されるなど、ウェイコの悲劇とそれに続くテロ事件は現代アメリカのトラウマともなった。
 2011年には、ATFがメキシコで関与した大規模な銃器泳がせ捜査作戦がATFのベテラン特別捜査官によって暴露され、スキャンダル化した。これにはメキシコの麻薬カルテルの銃武装化を阻止する狙いがあったとされるが、そのために銃火器を一時的に流入させる捜査手法が批判を浴びた。
 このように銃火器取締機関としての性格を強めるATFはテロ犯罪や銃器犯罪の多発化の中で、その権限と活動範囲を広げており、銃所持の自由の中での銃器規制という矛盾を抱えながら、FBIの補完を超えた連邦警察機関としての独自性を強めていくことも予想される。

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近代革命の社会力学(連載第132回)

2020-08-05 | 〆近代革命の社会力学

十八 ドイツ革命

(2)帝政ドイツと社会民主党の台頭
 ドイツ革命において主導的な役割を果たした政治的アクターとしては、労兵評議会(レーテ)とドイツ社会民主党(社民党)の両輪があったが、中でも社民党は終始決定的な役割を果たした。その点、ロシアにおけるカウンターパートである社会民主労働者党が早期に分裂したうえ、最終的にその片割れであるボリシェヴィキの天下となったのは大きく異なる。
 ドイツ社民党の前身は、ドイツ帝国発足間もない1875年に結党された社会主義労働者党であった。この党は、マルクス主義を理念的な原則として採用しながらも、19世紀ドイツ(プロイセン)の代表的な社会主義者フェルディナント・ラサールの影響が強い社会主義政党であり、武装革命より議会参加による穏健な社会主義の浸透を目指す党であった。
 そうした綱領に沿って、1877年帝国議会選挙では12議席を獲得し、最初の一歩を築くが、危機感を抱いた当時の鉄血宰相ビスマルクが制定した社会主義者抑圧法により弾圧を受け、党勢は抑え込まれた。
 転機は、1890年の社会主義者抑圧法の失効である。これにより、党名も社会民主党に変更され、以後、党勢拡大期を迎える。時は帝政ドイツの資本主義的発展期であり、労働者人口の増大に伴い、労働運動も活発化する中、社民党は労働組合を支持基盤に取り込み、順調に党勢を拡大していった。
 その結果、第一次世界大戦前の1912年帝国議会選挙では、比較第一党の座を獲得するに至った。とはいえ、第一党が政権を担う議院内閣制が未整備な当時の帝国議会では、比較第一党でも、残余の保守派に妨害され、政権獲得には至らなかった。
 この状況を変えたのは、第一次世界大戦である。戦争が勃発すると、党は戦争支持の方針を採り、挙国一致での戦争遂行体制に同調する。これに対し、党内では反戦派が反発し、分派を形成、最終的には独立社会民主党の分離を招いた。また、反戦方針を採るロシアのボリシェヴィキとも袂を分かつこととなった。
 しかし、このような現実妥協主義的な社民党の路線は、政権参加の道を開いた。戦況が悪化し、敗色濃厚となる中、1918年10月、軍部による戦時独裁体制が解除され、帝国構成邦であるバーデンの君主大公家出身のマクシミリアン・フォン・バーデンが帝国宰相に就任すると、社民党も加わった中道政党との連立政権が発足した。
 バーデン宰相は貴族出自ながら、自由主義者として知られており、連合国の受けもよいため、つなぎ役として宰相に抜擢されたのであった。その点では、ロシア二月革命で登場した臨時政府首相リヴォフ公爵に似ているが、ドイツでは革命によらずして自由主義者が政権に就いたのである。
 こうして、議会政治において着実に地歩を築いてきた穏健で現実妥協主義的な社民党が、革命によることなく、平和裏に自由主義的な政権に参加したことは、間もなく勃発するドイツ革命の展開と帰結にも大きく影響することになったであろう。

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近代革命の社会力学(連載第131回)

2020-08-03 | 〆近代革命の社会力学

十八 ドイツ革命

(1)概観
 20世紀初頭の欧州には、ロシアと並ぶ保守的な帝国として、ドイツがあった。その成立はロシアよりはるかに新しく、1870年代のことにすぎず、長い封建的領邦制の歴史を引いて、多数の君主国から成る連邦制という不安定な構造ではあったが、新生ドイツ帝国はその実質的な主宰国であるプロイセンを中心に、19世紀末には新興資本主義帝国として台頭していた。
 そうした中で、第一次世界大戦では敵国となったロシアに勃発した革命は、ボリシェヴィキ政権の新たな外交方針により、早期に対ロシア講和条約の締結に漕ぎ着けた点ではドイツに軍事的なメリットももたらしたのではあるが、内政面では、社会主義革命の波及を警戒すべき事態であった。
 しかし、大戦での敗北は、革命の機運をもたらした。とりわけ、敗色濃厚な中、徹底抗戦に固執する海軍に対する水兵の反発が強く、水兵の反乱が革命の導火線となった。ロシア十月革命に遅れること約一年、1918年11月のことである。こうした兵士の反乱に労働者が加勢した対抗権力として、労兵評議会(レーテ)が各都市に拡散していく。
 ただ、連邦国家であるゆえ、一挙に連邦全体の革命へ進展したわけではなく、まずは南部の大邦であるバイエルンで地方的な革命が先行し、国王が退位した。これを起点として、革命は帝都ベルリンにも広がり、空前規模のゼネストに発展、ついに皇帝ヴィルヘルム2世(プロイセン国王兼務)も退位した。総本山が崩れたことで、ドミノ倒し的に全連邦で君主が相次ぎ退位する波が続いた。
 この一連の革命過程は、如上のレーテとともに、マルクス主義政党である社会民主党が主導していたが、ドイツの社会民主党は、ロシアのボリシェヴィキのような急進派ではなく、穏健派が主導していたことが対照的である。一方、王党派は弱く、政権を担える力量を持たなかった。
 その点、社会民主党急進派もロシアのボリシェヴィキの革命的前衛論や革命的独裁論には批判的で、民衆の蜂起やゼネストの意義をより重視する立場が支配的であった点に違いがあり、ボリシェヴィキのような「戦闘術」に基づく戦略的な軍事行動をとることはなかった。
 そのため、急進派の蜂起は戦略を欠いた自滅的なものとなり、革命政府自身によって苛烈に武力鎮圧されたため、ドイツ革命はロシアのように段階的な革命プロセスをとることなく、比較的短期間で一回的に収斂し、明けて1919年1月までには鎮静化した。ただし、バイエルンでは、共産主義者による革命的蜂起と政権樹立があったが、これも同年5月までに鎮圧された。
 この結果、ドイツ革命は1919年1月の議会選挙と2月のワイマールにおける議会招集を経て、いわゆるワイマール共和国の樹立に結実する。ワイマール共和国の性格付けについては、後により詳細に見るが、それは基本的にリベラルかつ社会権の保障を伴うブルジョワ民主主義の共和制であり、ロシア十月革命後の社会主義共和制とは袂を分かつ道であった。
 このような構制の共和制国家は当時としては画期的で、その憲法(通称ワイマール憲法)とともに、新しい共和革命の一つの範例を示したが、国内的には大戦での敗戦処理を国辱とみなし、帝国の再生を目指す保守派、革命の進展を望む急進派の双方から反発される挟み撃ちに遭い、政情不安が恒常化したうえに、敗戦後の賠償問題や不況対策でもつまづき、瓦解の道を歩むのであった。

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続・持続可能的計画経済論(連載第19回)

2020-08-01 | 〆続・持続可能的計画経済論

第1部 持続可能的計画経済の諸原理

第3章 計画組織論

(5)地方経済計画の関連組織
 ここで言う地方とは、統合型領域圏と連合型領域圏とでは、意味するところが異なる。前者の場合は広域の地方圏を指すが、後者では連合を構成する準領域圏を指すことになる。
 このうち、準領域圏はその名称のごとく、領域圏に準じた自己完結性を持つ公共団体であるから、まさに領域圏に準じて独自の経済計画(生産計画)を策定する権限を持つことが許されるのではないかという議論があり得る。
 これについて、現時点で定見を提出することはできないが、連合領域圏の場合は、領域圏全体の経済計画の策定に関わる経済計画会議に各準領域圏の経済代表者の参加を認めることは、最低限必要とされるであろう。
 一方、統合型にせよ、連合型にせよ、地方における経済計画の中心は消費計画である。消費計画は、地産地消を目標として策定される消費に限定された経済計画であり、その策定組織は地方ごとに設立される消費事業組合である。
 消費事業組合は、それ自身が日常必需品の供給組織であると同時に、消費計画策定機関でもある。また、地方における末端消費も領域圏全体の経済計画と無関係ではあり得ない以上、消費事業組合は領域圏経済計画会議に代表部を置き、領域圏経済計画の策定にもオブザーバー関与することが認められる。
 消費事業組合は多数の物品生産企業体を提携組織として擁するが、これらの企業体の多くは基本的に計画経済の適用外となる自主管理企業(生産協同組合)である。これらの企業体は消費計画の策定に直接関与することはないが、消費計画の範囲内で独自の企業内生産計画を立てて生産する。
 ちなみに、消費事業組合が供給する物品の相当部分を食品が占めるので、食品の素材となる農産品や水産品の生産に関わる農業生産機構や水産機構も、消費計画に関しては、重要な当事者となる。具体的には、それら機構の地方事業所が消費事業組合の法人組合員を兼ねることにより、消費計画に関与する。
 つまり、農業生産機構や水産機構は、その機構全体として領域圏経済計画に関わると同時に、地方事業所のレベルでは地方の消費計画に関わるという形で、二重に経済計画に関わることになる。
 さらに、消費計画は地方の民衆会議(統合型では地方圏民衆会議、連合型では準領域圏民衆会議)に提出され、審議・議決を経て発効する点では、領域圏経済計画の場合と同様の構制となる。
 その点、消費事業組合は管轄地方の住民全員を自動的組合員としつつ、代議制によって運営される会議体であり(拙稿)、それ自体が地方における下院的な意義を持つと言える。

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