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戦犯亡霊政権の約8年

2020-08-30 | 時評

史上最長記録を更新した安倍政権が、―とりあえず―終了する運びとなった。思えば、政権が塗り替えた前の最長記録保持者は、安倍氏の大叔父に当たる1964年‐72年の佐藤栄作首相であったが、佐藤政権と言えば、その時代に進展した「高度経済成長」と「沖縄返還」がキーワードである。

では、新記録達成の安倍政権のキーワードは? 政権が悲願としていた改憲は未実現であったし、その余の具体的な実績もすぐには浮かんでこない。そのため、安倍政権は長いだけで何も成果がないという辛辣評価も見られる。しかし、この政権の歴史的な意義は、成果よりもまさに長さにあったと言える。

周知のとおり、安倍氏はかつて第二次大戦のA級戦犯容疑者(不起訴)だった岸信介の孫に当たる。岸は公職復帰した戦後、第56代及び57代首相として、日米安保条約改定を断行して現行の従米保守体制の基礎を築き、“昭和の妖怪”の異名を取った人物である。同時に、侵略戦争を擁護し、東京裁判の意義を否定していた岸は当然にも改憲に熱心で、逆走の戦後史を象徴する人物でもあった。

大戦の戦犯容疑者が戦後、首相に登るということも、諸国に例を見ない異常事だったが、そのような人物を敬愛し、遺志を継ぐ孫が国民の安定的な支持を得て史上最長期政権の主となったということも、心ある者にとってはある種の衝撃である。安倍政権は、その長さによって、戦後の復古主義の一時代を作ったと言えるのである。戦犯の亡霊が徘徊した約8年━。 

それにしても、歴代短命政権が多い日本で、何故にかくも長く安倍政権が持続したのかという問題は、それ自体相応の頁数を要する考察に値するだろうが、仮説的要因としては、自民党が結党以来初めて総選挙で惨敗、下野した後の奪回政権であったこと、また如上のような復古主義政権ゆえに、ある種のカルト的支持基盤を持つ政権であったことなどが考えられる。

政権応援団の復古主義者らにとっては、夢の8年だったろう。数か月前までは永遠に続くかの勢いだったのに、外から持ち込まれたウイルス禍のせいで心労から首相の健康状態が悪化したとして、突然終了したのは、さぞ無念に相違ない。しかも、約8年をもってしても、宿願の改憲は未着手、いわゆる北方領土や拉致といった外交懸案も未解決、花道のはずだった東京五輪はパンデミックで延期・・・と散々である。

にもかかわらず、安倍政権の約8年が、逆走の戦後史を確定させたことは確実である。今や、逆走に明確に反対する勢力も個人も風前の灯火、いずれ絶滅するだろう。見えない圧力によるメディア統制も常態化し、無難な話題ばかりを追い、政権の外交基軸でもある「制韓」政策に沿う情報満載のニュース報道・論説は、検閲された国営メディアのそれと大差ない。

次期政権が外観上復古色を薄めたとしても、復古主義の基本線は変わらないだろう。それどころか、長期政権の後に短命政権が続くという古今東西の政治的経験則からすると、後継政権が短命に終わり、体調を回復した安倍氏が来年以降、首相に再度復帰することもあり得るだろう。

近い将来の「第三回安倍政権」の可能性を想定すれば、戦犯亡霊政権は終焉したのではなく、復活待機状態に入ったにすぎないと受け止めなければなるまい。この国の逆走は、悲願の改憲が成るまで続くだろう。そのためにも、改憲派野党に近い人物が暫定的な後継者となるに違いない。


[付記]
本稿の論旨から外れるため、本文での詳論は避けたが、祖父(岸)、大叔父(佐藤)、孫(安倍)の同族三者がそろって首相経験者などという“民主主義”が何処にあろう。このような貴族政に近い同族門閥政治の風習は、日本人の多くが信じている民主主義が包装だけのものに過ぎないことを裏書きする。

[追記]
安倍後継菅内閣の防衛大臣に、安倍氏実弟の岸信夫氏(衆議院議員)の就任が決まった。同族政治極まれりである。

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