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リベラリストとの対話―「自由な共産主義」をめぐって―(11)

2014-12-21 | 〆リベラリストとの対話

9:環境計画経済について②

コミュニスト:環境計画経済については、まだいろいろと疑問をお持ちのようですので、伺っていきたいと思います。

リベラリスト:はい。前回は環境計画経済の理論的な基礎となる環境経済学の未発達という総論的な疑問を提起しましたが、実際、仮に環境計画経済を実行するとしても、その方法に関して疑問があります。あなたは、新しい計画経済として、旧ソ連型の行政主導ではなく、環境負荷産業を担う企業体自身による自主計画ということを提案されていますが、私の意見では、このようなお手盛りの計画手法では、結局企業体同士での談合のようになってしまうのではないかと思われるのです。

コミュニスト:すると、旧ソ連型の行政主導計画のほうがよいと?

リベラリスト:もちろん、行政主導すなわち官僚主導の「計画」ではあなたも指摘しているように現場無視になりがちですから、よいとは言いません。私の知る限り、ソ連でも計画プロセスに現場企業体を参加させて、現場の意見を反映させる努力はされていたようですが、それもうまく機能しなかったということではありませんか。

コミュニスト:表面的にはそのとおりですが、行政主導では現場の意見を反映するといっても限界があります。ですから、行政を排除して、現場が自主的に計画するのがよいのです。

リベラリスト:しかし、あなたの制度設計によると、計画策定に当たる経済計画評議会なる機関には事務局が置かれ、環境経済の専門家が所属することになっています。これでは、その評議会事務局と所属する専門家たちが事実上の計画官庁(官僚)化する恐れもあるのではないでしょうか。

コミュニスト:事務局の運営いかんではその恐れはあります。しかし、事務局にはあくまでも事務及び計画に必要となる環境経済的な調査・分析を提供する機能しかなく、実際に計画を策定するのは生産事業体(生産事業機構)自身なのです。

リベラリスト:あなたはそれを「共同計画」と言っていますが、実際のところ、個々の企業体は自己利益―せいぜい業界利益―のために動きがちですから、真の意味での「共同」は困難なのではありませんか。

コミュニスト:生産事業機構という大規模企業体は、それ自体が一つの「業界」のようなものです。例えば、自動車生産事業機構は、資本主義なら競合メーカーとして林立していたものが一個の生産企業体に包括されるわけです。

リベラリスト:そうだとしても、自動車生産事業体は自動車生産の業界利益を第一に考え、他業界のことに関心を向けない恐れがあります。

コミュニスト:私の誤解でなければ、あなたが「業界利益」と言われる場合、資本主義経済における利潤(総利潤)が念頭に置かれているように見えます。しかし、真の共産主義社会は貨幣交換をしないということを再確認する必要があります。企業体は利潤追求を目的としないので、ある意味では全企業体が公益団体化するようなものです。従って、資本主義下で想定されるような「業界利益」なる発想は消失するのではないかと思われます。

リベラリスト:なるほど。そうだとしても、各生産事業体が自身の生産計画を持ち寄るだけでは、統一された共同計画にはまとまらないのではありませんか。どのようにして、矛盾のない共同計画なるものを策定するのでしょうか。

コミュニスト:そうした総合と止揚の作業は評議会の審議を通じて行なわれます。経済計画評議会はソ連の国家計画委員会のような行政機関ではなく、立法機関に近い評議機関です。審議の結果可決された経済計画自体は法律ではありませんが、法律に準じた規範性を持つ指針です。

リベラリスト:その規範が適用される対象は、私の理解が正しければ計画経済の対象企業に限られると思われますが、経済活動は全体が有機的につながっていますから、計画対象外企業は計画に拘束されないとなると、経済混乱の原因となるのでは?

コミュニスト:計画対象外の企業もたしかに計画の影響を受けますから、無関心ではいられないはずで、その点、対象外企業も何らかの形で計画策定プロセスにおいて意見を提出できるような配慮は必要かと考えています。

リベラリスト:となると、計画策定は結構複雑で、時間を要するプロセスとなりそうな気がします。経済活動の停滞をもたらさないか心配です。

コミュニスト:経済活動にスピードを要求するのは、貨幣による取引決済をいちいち要する資本主義的な発想です。貨幣交換が廃される共産主義経済では、敏速より熟慮のほうが優先されるのではないでしょうか。

※本記事は、架空の対談によって構成されています。

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