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晩期資本論(連載第18回)

2014-12-30 | 〆晩期資本論

四 剰余価値の生産(1)

 今年11月時点で、日本における非正規労働者が2000万人、役員を除く被用者のおよそ4割に到達したという(総務省調査)。雇用状況改善の中身が、非正規雇用形態の増加にあることを裏づけている。こうした労働者の地位の弱化は晩期資本主義の典型的な特徴であり、マルクス的な視座からみれば、資本間の生き残り競争が激しさを増す中で、資本が剰余価値の効率的な生産のために躍起となっていることを示している。

・・・資本にはただ一つの生活衝動があるだけである。すなわち、自分を価値増殖し、剰余価値を創造し、自分の不変部分、生産手段でできるだけ多量の剰余労働を吸収しようとする衝動である。

 マルクスは続けて、「資本はすでに死んだ労働であって、この労働は吸血鬼のようにただ生きている労働の吸収によってのみ活気づき、そしてそれを吸収すればするほどますます活気づくのである。」といつになくオカルト的な描写すらしている。しかし、これが資本の自然な性質であって、資本に悪意はない。

・・・本質的に剰余価値の生産であり剰余労働の吸収である資本主義的生産は労働日の延長によって人間労働力の萎縮を生産し、そのためにこの労働力はその正常な精神的および肉体的な発達と活動との諸条件を奪われるのであるが、それだけではない。資本主義的生産は労働力そのものの早すぎる消耗と死滅とを生産する。それは、労働者の生活時間を短縮することによって、ある与えられた期間のなかでの労働者の生産時間を延長するのである。

 剰余価値の生産は、最も端的には労働日(時間)の延長によって達成される。これは絶対的剰余価値の生産とも言い換えられる。その重大な結果は、過労/過労死である。
 年末に発表された政府系研究機関の調査によると、「心の不調」により退職した労働者は13パーセントに上り、中でも非正規労働者の割合が高いという。「体の不調」まで合わせれば、もっと高い率の退職者がいるだろう。晩期資本主義はこうして「労働力そのものの早すぎる消耗と死滅」を加速させることでも、墓穴を掘り進んでいる。

・・・資本主義的生産の歴史では、労働日の標準化は、労働日の限界をめぐる闘争―総資本家すなわち資本家階級と総労働者すなわち労働者階級とのあいだの闘争―として現れる。

 労働時間の延長によってより多くの剰余価値を生産しようとする資本に対して、労働者側は労働時間を適正な範囲に制限しようとすることから、資本家と労働者の闘争が始まる。この図式は基本的に晩期資本主義においても不変であるが、晩期には労働者階級側の闘争力の低下が目立つ。団結性の弱い非正規労働者の増加は、その原因でもあり、結果でもある。
 マルクスの時代には、非正規労働に相当するのは少年と女性の労働であったが、そうした搾取労働の結果引き起こされる事態として、パンに明礬を混ぜたりする不純製造や鉄道事故の頻発の例が挙げられている。現代でも、食品偽装事件や交通機関の重大事故の背後には搾取の構造がある。

標準労働日の創造は、長い期間にわたって資本家階級と労働者階級とのあいだに多かれ少なかれ隠然と行なわれていた内乱の産物なのである。

 今日、多くの資本主義国で労働時間の規制を軸とする労働基準法が制定されている。こうした規制は決して自然発生したものではなく、資本家vs労働者の闘争の結果として生まれたものであった。
 しかし、晩期資本主義においては、こうした闘争の歴史も忘れられかけており、「労働ビックバン」などの名において再び労働時間規制が骨抜きにされようとする揺り戻し現象が起きている。晩期資本主義は労働基準法が欠如していた18世紀ないし19世紀とは異なり、法がありながら、労働者の対抗力の弱化のために絶対的剰余価値の生産が再び活発になり始めた時期とも言えるだろう。


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