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晩期資本論(連載第19回)

2014-12-31 | 〆晩期資本論

四 剰余価値の生産(2)

労働時間の延長、すなわち長時間労働は剰余価値生産の最も端的な方法であるが、それはモデル的な方法論にとどまり、実際にはさほど単純な話ではない。

・・・必要労働の剰余労働への転化による剰余価値の生産のためには、資本の労働過程をその歴史的に伝来した姿または現にある姿のままで取り入れてただその継続時間を延長するだけでは、けっして十分ではない。労働の生産力を高くし、そうすることによって労働力の価値を引き下げ、こうして労働日のうちのこの価値の再生産に必要な部分を短縮するためには、資本は労働過程の技術的な社会的諸条件を、したがって生産様式そのものを変革しなければならないのである。

 経営者であれば、誰もが経験的に知っているイノベーションの必要性である。イノベーションは生産効率を上げるが、その真の隠された目的は労働力の価値の引き下げにあり、それは剰余価値の生産の現実的な二つ目の方法になる。

労働日の延長によって生産される剰余価値を私を絶対的剰余価値と呼ぶ。これにたいして、必要労働時間の短縮とそれに対応する労働日の両成分の大きさの割合の変化とから生ずる剰余価値を私は相対的剰余価値と呼ぶ。

 簡単に言えば、長時間労働による搾取で生み出される剰余価値が絶対的剰余価値であり、生産効率を上げることで生み出される剰余価値が相対的剰余価値である。相対的というのは、必要労働時間の短縮により、絶対的な剰余価値は減少しているかに見えながら、剰余労働は延長され、実質上は長時間働かせたのと同等かそれ以上の剰余価値を生産していることを意味している。

・・・新しい方法を用いる資本家が自分の商品を1シリングというその社会的価値で売れば、彼はそれをその個別的価値よりも3ペンス高く売ることになり、したがって3ペンスの特別剰余価値を実現する。

 ここでマルクスが挙げている事例は、一労働時間=6ペンス(半シリング)相当、商品一個の原料その他生産手段も6ペンスと想定して、12時間労働で商品12個を生産していたものを、イノベーションにより12時間労働で24個生産できるようになったいう場合、生産手段の価値が不変なら一個の商品の個別的な実質価値は1シリング(12ペンス)から9ペンスに低下するが、このうち生産手段相当の6ペンスを引いた残り3ペンスが新たに付加された価値となるというものである。この商品を資本家が1シリングで売るとすると、3ペンス分が特別剰余価値として実現される。これが、相対的剰余価値のからくりである。資本家の経験的な観点で言えば、安売り競争である。

ある一人の資本家が労働の生産力を高くすることによってたとえばシャツを安くするとしても、けっして、彼の念頭には、労働力の価値を下げてそれだけ必要労働時間を減らすという目的が必然的にあるわけではないが、しかし、彼が結局はこの結果に寄与するかぎりでは、彼は一般的な剰余価値率を高くすることに寄与するのである。

 資本家・経営者がどこまで理論上明確に意識しているかはともかく、従来、資本主義の全盛期には、技術革新が高度化するとともに、労働時間の規制も進み、相対的剰余価値の生産が安定的に行なわれてきたが、資本のグローバルな競争の激化した晩期資本主義にあっては―技術革新も一段落し、限界に達しつつある―、再び労働時間の延長による絶対的剰余価値の生産も展開され、両者が組み合わさってきている。


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