5月1日はメイ・デイ(May Day)である。言うまでもなく、メイ・デイは世界共通の労働者記念日である。しかも、今年は21世紀に入ってちょうど25回目の節目となるメイ・デイであったが、ほとんど話題にもならない。
それは労働運動、特にその中心にある労組の対資本対抗力も政治的影響力も全世界的に弱化してきていることの象徴であろう。なぜそうなのかということも解明を要する重要な問題であるが、ともかく労働運動は全世界で弱化している。
しかし、かつてマルクスは労組を持論であったプロレタリア革命の先導者として想定していたふしがある。しばしば誤解されるように、マルクスは共産党を革命主体とは考えておらず、革命成就後のいわゆるプロレタリアート独裁も共産党独裁ではなく、労働者階級独裁、具体的には労組による暫定的な支配体制を構想していたと解される。
マルクスによれば、共産党でも労働党でもなく、労組が直接に政権を掌握して、資本家階級を抑圧し、労働者主体の共産主義社会へ向けた革命的政策を実行していくのである。共産党はそうした革命を理論的に後押ししていく言わば後衛政党であり、革命の前衛はあくまでも労働者階級、とりわけその結集体である労組なのである。
しかし、労組の現況を見る限り、このような構想がもはや可笑しなおとぎ話にしか聞こえないのは哀しいことである。ただ、元来、資本主義の機構内にあって労働条件の向上を目指す労組の趣旨目的からして、労組に資本主義を廃する共産主義革命の先導者の役割を期待することに無理があったと思われる。
今や、世界の労組は完全に資本主義社会に内在化され、その主流はむしろ反共的・反革命的ですらある。保守政党に接近する日本の主流労組はその象徴である。ちなみに、昨年から愛知県警がデモ行進に手数料を徴収するという奇抜な抑圧策を始めたが、その対象から「公益を目的とする」というお墨付きで農協とともに労組が除外されているのは興味深い。かつては警察の監視下にあった労組が今や農協と同格待遇である。
労組はもはや経営者団体と並ぶ資本主義の守護者に成り下がった。いいだろう。しかし、その資本主義は恒常的な物価高による生活難のグローバルな広がりに加え、興味深いことに、関税を政治的な武器とする資本家出自の米大統領の手によっても弄ばれ、破壊されようとしている。
気候変動の温暖化抑制基準も、本来的に及び腰の微温策であることに加えて、反気候変動勢力―ここでも米大統領はその急先鋒である―の妨害により、最低目標数値の達成もほぼ不能である。それに伴い、温暖化要因の災害多発化による被災、生活破壊も世界中に広がるだろう。
21世紀中間点の2050年に向けた次の25年間は、資本主義の限界と欠陥が一層露呈する四半世紀となるに違いない。それに伴い、資本主義を廃する機運も高まるはずである。しかし、もはや労組に頼れないとすれば、それに代わるのは民衆会議である。民衆会議は労働者に限らない、より広範な地球上の庶民たる民衆の結集体である。
マルクス‐エンゲルスの共産党宣言のスローガンは「万国の労働者よ、団結せよ!」であったが、21世紀の(共産党によらない)共産主義宣言のスローガンは「全世界の民衆よ、結集せよ!」になるだろう。