ザ・コミュニスト

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「世界コロナ恐慌」の可能性如何

2020-03-08 | 時評

平常時には万能に見える資本主義市場経済が非常時に弱いことは証明済みであるが、今般のコロナウイルス禍でまたも脆弱さを露呈している。何と言っても、今や「世界の工場」にして、世界の観光産業の最大顧客ともなっていた中国を直撃したことが最大の要因である。

マスクのように医療機関にとっては必需品、家庭にとっても必需に近い有益品まで生産を中国に依存するというある種の国際分業体制が急激に停止すれば、グローバル資本主義はたちまち立ち往生してしまう。他方、現代資本主義において枢要な第三次産業となっている観光業の総不振も、それだけで打撃として十分過ぎるほどである。

さらに、中国に続き、アメリカでも急速に全米規模で感染が拡大しており、後発的な感染爆発に進展する兆しが見える。そうなれば、資本家大統領トランプの下でここ数年好調だったアメリカ経済に打撃となるばかりか、アメリカから「逆輸入」の形で、国境を越えた第二波のウイルス拡散現象が発生する恐れもある。

それでも、主として北半球だけの感染爆発に終わればまだ救いはあるが、南半球はこれから冬の季節を迎える。コロナウイルスが冬季に流行しやすい性質を持つとすれば、北半球で終息しても、続いて南半球が感染爆発期を迎えるかもしれない。そうなれば、まさに十数年前の金融危機に端を発する世界大不況と同程度か、より深刻な世界恐慌に進展する恐れを否定できまい。

いずれにせよ、21世紀のグローバル資本主義は自然災害危機の連続である。新型ウイルスの発生も一つの自然現象であるが、国際的な人流が極限的な規模に達していることが、ウイルスの急速なグローバル拡散を可能にし、人類の心理的特性でもある不合理なパニック行動を通じて、自らの経済システムに打撃を与えてしまう。

そうした危機のつど、資本主義はなりふり構わずびほう的な「緊急対策」で表面的には危機を乗り越えていけるように見えても、何度も繰り返し重傷を負った人体と同じように、その機能は度重なる荒療治により長期的に低下していくことを免れないだろう。

今般の経済危機に対しても、すでに世界の資本主義支配層はびほう策を準備しているから、ウイルスによって資本主義が完全に崩壊することは回避されるのだろうが、金融危機と違って、相手は目に見えない敵である。しかも、その正体をまだ誰も精確には知らない未知の病原体であるから、「封じ込め」など、政治的な演説以上の意味を持たない。

個人的・良心的にはウイルス禍の早期終息を願うが、コミュニストとしては、この禍がグローバル資本絶対主義に対する自然界からの最大級のしっぺ返しとなることを期待している。それにより、平常時は地味だが、非常時に強味を発揮する共産主義計画経済の利点に少なからぬ人々が開眼してくれるなら、望外である。

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公衆衛生とプライバシー配慮

2020-03-08 | 時評

日本国内での新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、感染者の出た自治体がそのつど慌ただしく会見やウェブサイトを通じて感染者の詳しい発症経緯や行動記録を公表することが慣例化している。

しかし、患者カルテの一部公開に近いこうした情報開示は果たして必要なことなのだろうか。筆者の知る限り、同様に全米規模で感染が広がっているアメリカでは、感染者の出た地域ないし施設と人数が公表されるだけで、患者の詳しい情報は公表されていないようである。その他の国でも対応は同様で、日本だけの特異な対応に見える(同種対応の国があるとしても、正当化する理由にはならない)。

公衆衛生上有益な情報は市民の知る権利の対象であるが、その範囲はプライバシー保護のために限局されるべきである。市民としてとりあえず知る必要があるのは、感染者の居住地及び勤務地の情報であろう。自分の主要な行動圏が感染者の行動圏と重なるかどうかは、感染予防策のレベルを自己決定するうえで重要な情報だからである。

それを越えて、患者の発症経緯や詳しい行動経路の情報までは必要ない。また患者間の続柄情報も不要である。感染予防策のレベルを自己決定するうえで、患者同士が親族であるかどうかは関係ないからである。同様に、職業の情報も不要である。

ただし、特定施設等(交通機関も含む)で集団感染が発生したか、発生する蓋然性が高いと認める理由があるときは、当該施設等で感染者と接触した可能性のある人に念のため検査を呼びかけるため、当該施設等の名称を公表すべき場合がある。その場合でも、接触者の氏名が判明している限りは、個別に連絡すれば足り、施設名の公表も不要である。

細かなプライバシー配慮を施すことなく、不要な個人情報まで公開するのは、公衆衛生上の利益という公共の福祉を名目にしたプライバシー侵害である。なぜ、まるで犯罪容疑者の犯行に至る経緯を公表するかのように、感染者の行動履歴を詳しく公表するような特異的な対応をするのか、不可解である。

思うに、これは感染者をあたかも犯罪者のように見立てて、見せしめ、差別する意図からのこと・・・・ではなくて、ただ単に、公衆衛生とプライバシーの線引きを細かく思考する社会的習慣がないことの反映なのであろう。

しかし、そういう思考放棄の習慣は現代にあっては後進的である。先進国を称するからには、公衆衛生とプライバシーの線引きを精密に規準化するべきであろう。そうしなければ、自治体側に悪意はなくとも、結果として感染者が社会的に差別される状況を生み出してしまう。

個人の治療戦略学である臨床医学と異なり、公衆全体の疾病予防を目的とする公衆衛生学は実際、公共の福祉を名目とした病者に対する社会的差別と隣り合わせの微妙な近代学術であり、ハンセン病のように、実際、何十年にもわたる患者差別状況に加担した負の歴史も持っている。

そういう苦い歴史を繰り返さないためにも、改めて、今般のウイルス禍が公衆衛生とプライバシーの線引きを細かく思考する新たな社会的習慣を確立する機会となることを切望するものである。

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