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近代革命の社会力学(連載第21回)

2019-09-24 | 〆近代革命の社会力学

四 18世紀フランス革命

(2)旧体制の動揺  
 フランスでは、最初の統一王朝であったカペー朝時代の14世紀初頭、第一身分:聖職者、第二身分:貴族、第三身分:平民から成る一種の議会制度である全国三部会が創設され、主として課税問題に関する議決権を保持していた。  
 ただ、全国三部会は近代的な意味での国民代表議会とは異なり、封建制を土台とする身分制議会にすぎず、その権限は限られていた。そのうえ、カペー朝を継いだヴァロワ朝、さらにその後継ブルボン朝の時代になると、いわゆる絶対王政が確立され、三部会自体が有名無実化してしまう。  
 そうした中、フランス絶対王政の代名詞的存在であった「太陽王」ルイ14世の頃から、宮廷の濫費に加え、覇権競争のための対外戦争の多発により、財政赤字が累積し、絶対王政が行き詰まり始めた。しかし、14世を継いだ曾孫ルイ15世時代の財政改革はことごとく失敗に終わった。  
 15世を継いだルイ16世もまた、最大の懸案として財政再建に取り組もうとしたが、その目玉となる貴族に対する免税特権の廃止は、当然にも貴族層の激しい抵抗により頓挫した。  
 こうした財政問題が革命の下地となった点では、17世紀英国革命とも類似するが、異なるのは議会を封鎖して専制を強めた英国のチャールズ1世と異なり、ルイ16世は、―貴族階級の法的牙城であった司法部に強いられてのこととはいえ―全国三部会の召集に応じたことである。三部会の召集は、実に175年ぶりであった。  
 このように有名無実化し、事実上廃止されていたに等しい三部会を召集したこと自体が、すでにある種革命的な出来事であったが、実際、王朝にとっては裏目に出たのである。その点、英国では常設され、活動中の議会を無視したことが議会勢力主導の革命を誘発したが、フランスでは長く放置されていた議会を召集したことが革命を誘発したのであった。  
 三部会は、上述のとおり、身分制議会であったから、当然一枚岩ではなく、まともに開催すれば三身分間の階級闘争の場となりかねない危険を孕んでいた。大雑把に言えば、第一身分と第二身分は地主階級、第三身分は農民と都市労働者階級であった。  
 実際、1789年の三部会は最初から波乱含みであった。国王と第一・第二身分にとっては税制問題が主要議題であったが、第三身分はそうした限定討議に満足しなかった。この時代の第三身分は、中世時代よりも実力をつけていたうえ、一人の扇動者により思想的にも鼓舞されていた。  
 その扇動者エマニュエル‐ジョゼフ・シエイエスは自身聖職者であったが、下級職のため、第三身分代表として三部会に参加していた。彼は「第三身分とは何か-すべてだ」という言葉に始まる革命的パンフレット『第三身分とは何か』を公刊し、第三身分=平民こそが真の国民代表であると唱導した。  
 これに触発された第三身分は三部会を離脱して、新たに国民議会を形成した。ここに至って、危機感を強めたルイ16世は弾圧を試みようとするが、シエイエスの呼びかけにより第一・第二身分からも賛同者を得ていた国民議会は抵抗し、自ら制憲国民議会へと格上げした。  
 制憲国民議会は、この時点ではまだ非公式の超法規的な機関にすぎず、王権側はいつでも軍を使って力で解散させることができる状態に置かれていたが、頼みの第一・第二身分も動揺しており、武力弾圧に踏み切れなかったことが、王朝にとっては禍根となる。

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