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「従米」と「制韓」の関係

2019-09-01 | 時評

近代以降の日韓関係を日本側から大きく見ると、明治維新後の「征韓」の時代から、その実現としての併合・植民地化の時代、戦後・脱植民地化後の経済援助と日本資本進出の互恵関係で結ばれた「親韓」の時代を経て、現在は、「制韓」の時代に入ったと言えそうである。

昨年8月、韓国大法院(最高裁)が元徴用工に対する日本企業の賠償責任を認める判決を下したことへの事実上の報復措置として、先月、日本政府が韓国を貿易上の優遇対象国から除外する経済制裁を課したのは、「制韓」政策の一つのハイライトである。

今回は、韓国政府ではなく、韓国司法の判断であり、しかも原告の元徴用工と企業間の民事訴訟への判決である。民事訴訟の結果に政府が口を挟むのは不当な民事介入であり、特定の民間企業の立場を擁護しようとしている点では中立性をも損ねている。

十歩譲ってその点に目をつぶるとしても、自らが訴訟当事者ではない外国の司法判断にまで日本政府が異議を挟むのは、まさに相手国の司法府まで制御したい日本側の「制韓」の意志の表れである。

「征韓」と「制韓」は同音異義語であるが、前者が文字通り韓国を征服することであるのに対し、後者は韓国を征服しないまでも、日本側優位に制御することを意味している。この背景には、韓国が日本の援助対象国を脱し、自立的な新興国、さらには新興先進国として成長し、従来は封印していた慰安婦や徴用工の問題を正面から主張し、清算を求めるようになったことへの日本側の反発がある。

これは、まるで成長して生意気なことを言うようになった子どもに当惑し、何とか言うことをきかせようと必死な親の姿と似ている。しかし、やはり相手の成長を正面から見据える必要がある。それができないのは、日本自身が対米関係では従属の道を選択しているからである。

アメリカに頭が上がらない分、韓国には強気な対応をしたい。韓国もまた、軍事的な面では日本以上にアメリカの従属下にある者同士だからである。両国の盟主であるアメリカは両国間を仲裁する立場だったが、「アメリカ・ファースト」のトランプ政権はそうした外部のことに関心を持たないので、仲裁役も不在となっている。

しかし、韓国側も政府レベルで日本に賠償を求めているのではなく、個人レベルでの民事賠償請求であって、なおかつ、「親韓」の時代には、日本政府自身が1965年日韓基本条約上、個人の賠償請求権は否定されないと解釈していた以上、それを今になって翻すことは、信義にもとる。

他方、韓国側も経済制裁への対抗措置として、先月末、日韓両国間で軍事機密情報を共同で保護する主旨の日韓軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の破棄を通告してくるなど、反発を強めているが、このような報復合戦が生産的な結果を産むとは思えない。

現在、アメリカが仲裁役として機能しない以上は、まず日本側が「制韓論」を取り下げて、成長し新興先進国となった韓国との対等的な関係性を改めて構築するほかはない。さしあたりは、政府が当事者とならない民事訴訟にまで介入するような態度を取らないことである。

 

[追記]
2021年1月8日、韓国のソウル中央地裁は、韓国人の元慰安婦が日本政府を相手に損害賠償を求めていた裁判で、原告側の訴えを全面的に認め、日本政府に1人当たり1億ウォン(約950万円)を賠償するよう命じる判決を言い渡した。
この判決は、徴用工判決とは異なり、日本政府を当事者とする裁判の判決だけに、国家が外国の民事裁判において被告とされることを免除する「主権免除」との関連で、法的に機微な問題を含んでいることはたしかである。
しかし、あくまでも下級審の地裁判決である。そのうえ、日本も批准している国連裁判権免除条約では、身体の傷害を引き起こした国家の活動に関しては主権免除を認めないとする条項が定められている。いたずらに反発するのではなく、控訴したうえで上級審の司法判断を待つべきものである。

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