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奴隷の世界歴史(連載第21回)

2017-10-03 | 〆奴隷の世界歴史

第三章 世界奴隷貿易の時代

イスラーム奴隷貿易:前期
 世界奴隷貿易の時代の幕開けを画したイスラーム奴隷貿易は、西欧列強による大西洋奴隷貿易が開始される以前と以後で大きく分けることができる。ここでは、そのうち大西洋奴隷貿易開始以前をイスラーム奴隷貿易の前期とみなすことにする。
 この時代は、イスラーム勢力が発祥地の中東のみならず、シチリア島やイベリア半島など南欧にまで拡大された8世紀に始まる。この時代、イスラーム勢力は地中海を支配したが、当時は地中海こそが文明世界をつなぐ最重要海路であったから、地中海をまたぐ交易が「世界貿易」であった。
 この貿易において、アラブ人が奴隷として取引したのは、アフリカ黒人以上に、スラブ系やコーカサス系、時にイングランド人やアイルランド人等にまで及ぶ白人や中央アジアのテュルク系の異教徒諸民族であった。
 しかも、初期の奴隷貿易、特にスラブ人奴隷の取引には北欧バイキングが一枚かんでいた。バイキングとイスラーム世界のつながりについては、スウェーデンのビルカのような北欧の交易都市遺跡から多くの証拠となる出土品が発見されており、自身も武装略奪商人であったバイキングが世界奴隷貿易の開始に果たした役割は小さくない。
 ちなみにバイキング自身も、略奪で獲得した男女をスレールと呼ばれる奴隷として使役していた。スレールは売買の対象となる最下層身分ながら、その待遇は比較的穏当で、独立世帯を有し、穀物や家畜を主人に上納する農奴的な性格も持っていた。
 イスラーム奴隷貿易で獲得された奴隷は、主にイスラーム諸王朝の後宮使用人や兵士として使役された。特にテュルク系の奴隷は兵士として重用され、解放されると軍人として立身し、後にはそうした解放奴隷軍人自身が王朝を樹立することさえあった。
 イスラーム奴隷貿易ではアフリカ黒人奴隷も取引の対象とされたが、その主要な供給地は東アフリカ沿岸であった。かれらはザンジュと呼ばれ、兵士や私的な家内奴隷として売られた。
 特にアッバース朝下のイラク南部では有力者に私領地で農業奴隷としてザンジュが使役される風潮があった。これは後に西欧列強がカリブ海地域などで営んだプランテーションに似ているが、奴隷の待遇は劣悪であったため、869年にはアラブ人革命家に煽動されたザンジュが蜂起し、勢力を挽回したアッバース朝軍により鎮圧されるまで、十年以上にわたり独自の革命政権を維持する事態となった。
 この「ザンジュ革命」は黒人奴隷による反乱・革命としては先駆的なものであったが、それが奴隷制廃止につながることはなく、東アフリカはその後、イスラーム奴隷貿易の後期には最重要の奴隷供給拠点として確立される。
 他方、西アフリカはサハラ砂漠を隊商で往来するサハラ交易ルートが確立されると、やはり黒人奴隷貿易の供給地となった。ここではイスラーム化したガーナ王国などの地場王朝が召使や兵士として自国民を奴隷として輸出するという協力関係が見られた。
 こうした前期イスラーム奴隷貿易は、イスラーム世界でテュルク系のオスマン帝国が強勢化し、西欧列強が大航海時代を迎える16世紀に転機を迎える。すなわち、奴隷貿易の主導権がアラブ人からトルコ人に移り、西欧列強というライバルが出現したのである。

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