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奴隷の世界歴史(連載第24回)

2017-10-18 | 〆奴隷の世界歴史

第三章 世界奴隷貿易の時代

アフリカ奴隷供給国家
 大西洋奴隷貿易が極めてシステマティックな国際貿易システムとして確立されるに当たっては、奴隷の主要な供給元となる西アフリカ沿岸部から安定的に奴隷が提供される必要があった。複数の地場黒人国家がそうした「奴隷供給国家」と呼ぶべき役割を果たしていた。
 これらの奴隷供給国家は西洋向け奴隷を提供するために戦時の伝統であった奴隷狩りを常態化し、奴隷貿易のシステムにおいては不可欠の当事者かつ共犯者の関係にあった。この事実は、旧奴隷貿易をめぐる現代の損害賠償請求に際しても黒人側を一方的な加害者として単純化できない困難を生じさせるであろう。
 最も早くに奴隷供給国家となった国の一つが、コンゴ王国である。同国は、14世紀末に建国されたが、15世紀末、西アフリカに進出してきたポルトガルと対等な国交を樹立した。以後、カトリックを受け入れ、国王もカトリック教徒となる。
 しかし、同時に財源をポルトガルとの奴隷貿易に置いたため、コンゴは初期大西洋奴隷貿易の拠点となる。特に、沖合いのポルトガル植民地サントメ島が奴隷商人の商業拠点かつ奴隷を使役したサトウキビやカカオのプランテーションとなった。
 結果として、奴隷商人の横暴やポルトガル人による王政干渉などの問題が相次ぎ、1526年、時の国王アフォンソ1世は奴隷貿易の制限を宣言するも、ポルトガルはこれを無視した。国王はローマ教皇に直訴する挙に出たが、教皇庁もポルトガルの奴隷貿易を容認しており、効果はなかった。
 ポルトガルによるコンゴ干渉はアフォンソ1世の没後、さらに強まり、事実上の属国化された。17世紀にはオランダに押されたポルトガルの後退を突いて中興を果たすも、再びポルトガルに攻め込まれ、同世紀後半から18世紀初めの内戦によって衰退していったのである。
 一方、コンゴより遅れて大西洋貿易最盛期に奴隷供給国家として繁栄したのが、現在のベナンに当たるダホメ王国である。同国は15世紀初頭に現在のナイジェリア南東部に建国されたオヨ王国の属国でありながら、独自に奴隷供給国家として国力を蓄えていった。
 ダホメは強力な王が支配する専制的軍事国家であり、奴隷貿易の見返りとして西洋から火器を輸入して、よく知られた女性軍団を含む強力な常備軍を結成し、地域の軍事大国に成長していった。そして、19世紀にはゲゾ王の下でオヨ王国からも独立し、最盛期を築いたのである。
 ゲゾ王は、欧州での奴隷廃止運動から奴隷貿易終焉を見越して、アブラヤシ栽培など奴隷貿易に代わる収益源にも手を広げたが、奴隷貿易終焉後の植民地化の潮流の中で、ダホメはフランスに侵攻され、二度の戦争に敗れ植民地化された。
 同様の運命は、他の奴隷供給国家にも降りかかった。いかに奴隷貿易を奇禍として繁栄したところで、奴隷の大量「輸出」による社会共同体の崩壊は、軍事力による植民地化という新たな西欧列強の国策の前には、無力をさらけ出したのであった。

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