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戦後ファシズム史(連載第38回)

2016-05-25 | 〆戦後ファシズム史

第四部 現代型ファシズムの諸相

2‐1:シンガポールの場合
 管理ファシズムの最も洗練された範例を提供しているのは、東南アジアの都市国家シンガポールである。シンガポールは1965年にマレーシアから華人系国家として独立して以来、一貫して人民行動党の支配体制が続いている。
 人民行動党は、独立前、華人系左派政党として弁護士出身のリー・クアン・ユーらによって結党された。リーは日本のシンガポール占領時代には日本の協力者だったこともあるが、戦後は英領復帰後のシンガポールで労組系弁護士として台頭し、政界に転身して30代で自治政府首相となった。
 リーはやがて左派を排除し、人民行動党を反共右派政党に作り変えたうえで、自身の政治マシンとして利用していく。ただし、完全な一党支配ではなく、野党の存在は認めるが、野党活動を統制し、与党有利の選挙制度によって選挙結果を合法的にコントロールしつつ、与党が常時圧倒的多数を占める体制を維持するという巧妙な政治体制を構築した。この点で、シンガポールは「議会制ファシズム」とも呼ぶべき形態の先駆けでもあった。
 リーは自治政府時代の59年から建国をはさみ、90年まで現職の首相であり続けたが、この間のシンガポールは経済開発に重点を置いた開発ファシズムの一形態であった。その点では、同時期に経済成長を遂げ、共に「新興工業経済地域」と称されるようになった台湾や韓国とも共通根を持っていた。
 ただ、シンガポールは政治と労使の協調に基づく官製労働関係、二人っ子政策や優生思想に基づく高学歴女性の出産奨励策などに象徴される人口調節策など、都市国家ならではのきめ細かな管理政策に特徴があり、これが高度な社会統制の秘訣となってきた。
 こうしたソフトな施策ばかりでなく、広範な予防拘束の余地を認める内国治安法や団体の結成を規制する結社法などの強権的治安・言論統制法規、体刑や死刑のような厳罰の多用、些細な迷惑行為も罰則で取り締まる秩序法規などのハードな施策による巧みな社会統制装置が備わっている。
 その意味で、シンガポールには当初から「管理ファシズム」の要素が備わっていたと言えるが、経済開発が一段落し、リーが上級相に退いて一種の院政に入って以降は、開発ファシズムから管理ファシズムに転形したと言える。
 現在のシンガポールは、2004年までのリー院政下でのゴー・チョク・トン首相の中継ぎを経て、リー子息のリー・シェン・ロン首相の世襲体制に入っているが、シェン・ロンは父の施策の踏襲を基本とし、目立った民主化の動きは見せていない。
 2015年に91歳で死去したクアン・ユーは「家父長的」とも評されるカリスマ的権威をもって指導したが、弁護士出身のプラグマティックな一面も持ち合わせており、まさに管理ファシズムの権化的存在であった。
 ファシズム体制はカリスマ的指導者の権威に支えられる面が大きいため、世襲には必ずしも適していないが、プラグマティックな管理ファシズムではそれが可能な場合も考えられる。アフリカのトーゴのケースと並び、今後の展開が注目される。

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