ザ・コミュニスト

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孤島封鎖サミット

2016-05-26 | 時評

小島を完全封鎖し、警察が総力を上げた最高度の警備を享受する世界首脳らが優雅に遊覧しながらおしゃべり―。伊勢志摩サミットは、今日の主要国サミットなるものの性格をよく物語っている。こうした厳重警備下の隔離会議方式は、過去10年ほどのサミット恒例となっている。

近年のサミットは復興したロシアを加えていたが、ロシアがクリミア併合事件を機に資格停止となって以降、元の7か国体制に戻った。この7か国は世界でも模範的な「民主国」を自負し、それを根拠にサミットのような国連の頭越しの非公式な世界会議を正当化してきた。

しかし、2000年代以降は、テロやデモを警戒し、厳重な警備のもと、隔離的な環境の中で開催するようになっていった。結果として、サミットは民衆から遊離した雲の上の会議と化し、そこでは「民主」の要素は蒸発している。

今般サミットの重要議題には、難民問題や租税回避問題などのホットな国際問題も含まれるべきだが、難民どころか、引退後は租税回避移住者となるかもしれない首脳たちにとっては、所詮他人事である。多くを期待し得ない。

ところで、今般の孤島封鎖措置では、一島を完全に封鎖するという憲法違反の疑いすらある戒厳令さながらの警備手法もさりながら、日本政府が開催地賢島住民に限ったIDカードの発行に踏み切ったことも注目される。

このような通行証型の個人識別カードは戦後日本では知られる限り、初の試みである。政府当局にとっては、全国民を対象としたIDカード管理制度の導入に関するまたとない予行演習の機会でもある。治安警備に名を借りた管理主義の潮流は日本にも確実に流入してきている。

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