対局日誌

ネット囲碁対局サイトでの、私の棋譜を記録していきます。
全くの初級者がどう成長していくか、見守ってください。

様子見

2006-12-31 11:15:20 | 棋譜
宇太郎先生の本「どんどん活かす囲碁格言集」の中に
「様子をきくは高級手筋」
というのがある。

これからわかるとおり、「様子見」というテクニックは難しい。
着手に対する相手の応手をきくことによって、その後の方針を決めるというものだが、ヘタにすっぽかされたりすると、一手パスやモチコミになってしまう危険も。
更に私の場合、「様子見」のつもりで打っても、それが本当に「様子見」として機能しているのか、判断がつかないことがほとんど。


12月半ば頃の一局より。
私の白番。


この局面で、特に深い理由があったわけではないのだが、何だかこのまま右上を楽にさせるのが癪だった。
しかし最初に浮かんだ白Aでは、単なるヨセの手。
ということで白1まで一歩踏み込んだ。
自称「様子見」…。
といっても具体的な後続が読めたわけでなく、「勘」の着手。


黒は1と取り込む。
そこで白2-4が「先手になる」というのが一応の狙いだが、これは早すぎた。
後の楽しみにして、白A辺りに構えるのが良かったか?
黒5と消しにこられては上辺右の白も危なく、右上隅の黒にアプローチするような状況でない。


数手進んでようやく手番が回ってきた。
そこで「エイヤッ」と、図1以来の狙いであった、ハサミツケを実行。
ただこれも「勘」での着手であり、読み切りではない。
それは後の進行をみていただければ、一目瞭然。
ハサミツケという手が、好きなこともあるのだけれど…。


黒2の抵抗に、白3から攻め合いを狙う。
しかし白11の寄り道がなんとも危なっかしく、読みきってないなというのがミエミエ。
幸いにも黒が12と受けてくれたので、黒16まで綺麗に一手勝ち。
声には出さねど、気分としては「アラヨっと!」といったところ。

この後数手で、相手の方の投了となった。
しかし最初の図1の白1。
これは「様子見」になっていたのだろうか?

12月は成績としてはちょっと勝ち越したが、igo棋院だから相手の方の棋力がバラバラ、手合いも多少いじっているから、成績だけではどうだったかはわからない。
こちらが先や2子をお願いしたような手合いは不思議と負け、向2子や格上の人と打つときは勝っているのが面白いが…。
ただ勝っても負けても、「自分の碁である」という自己満足の中で打てた一月だったように思う。
それなりの意図と構想をもって打てている。
本局もそんな一局だった。

(;GM[1]FF[1]AP[http://igo.cc]
SZ[19]KM[6.5]RE[W+Resign]
;B[qe];W[dd];B[np];W[dp];B[fq];W[pq];B[po];W[nq];B[mp];W[mq]
;B[kq];W[qo];B[qn];W[qp];B[pn];W[op];B[nn];W[od];B[pc];W[oc]
;B[pd];W[oe];B[pf];W[jc];B[cf];W[ch];B[dh];W[di];B[dg];W[cj]
;B[fh];W[fd];B[ei];W[ej];B[fj];W[ek];B[cq];W[cp];B[dq];W[ep]
;B[bq];W[lp];B[lq];W[lo];B[mn];W[jp];B[jq];W[ip];B[hq];W[hp]
;B[gq];W[fk];B[gj];W[pj];B[nk];W[nj];B[mj];W[ni];B[ok];W[of]
;B[oj];W[oi];B[pi];W[ph];B[qi];W[qh];B[qj];W[re];B[rf];W[pb]
;B[qb];W[ob];B[kd];W[jd];B[kf];W[lb];B[mf];W[ng];B[gk];W[gl]
;B[hl];W[hm];B[il];W[gn];B[bp];W[cn];B[cc];W[cd];B[bd];W[dc]
;B[bb];W[cb];B[bc];W[rb];B[qa];W[rc];B[qc];W[rd];B[ra];W[rg]
;B[sf];W[qg];B[qf];W[ri];B[rj];W[pe];B[qd];W[sg];B[se];W[pg]
;B[lh];W[mi];B[li];W[ln];B[lm];W[km])

棋道問題年内決着

2006-12-30 15:15:25 | 雑談
将棋の名人戦問題が、年内に取りあえず決着してホッとした。
懸案の「王将戦」「朝日オープン」も継続。
プロ棋士の反応は概ね「良かった」というものだが、本当に良かったかどうかは今後の活動次第。
ただ金額だけで浮かれているのでは、心もとない。
特に「普及支援金」の使い道はクリアかつクリーンになるよう、棋士、ファンともに厳しい目で見守らなくてはならない。
段位認定大会、初級者向けのネット将棋道場などに使われるといいなと、個人的には思う。

王将戦は再び、佐藤棋聖が挑戦。
これで今年度7大タイトルのうち、5タイトルの挑戦手合いに出場。
また残る棋王戦も年明けの1月6日に、挑戦者決定戦第2戦が控えている。
これだけ出てきて戦果が棋聖防衛だけというのも不思議だが、それでいながら「もういいよ」と言われないのは、毎回「何かやってくれる」という将棋を指しているから。
最後に頼りになるのは「将棋の内容」と「人徳」といえよう。

将棋倶楽部24では、日本将棋連盟運営になった手始めとして、「Xは誰だ」という企画を発表。
ネット将棋に出没する「@X」を名乗るプレイヤーが誰か、棋譜や感想戦をみて当てようというもので、中々面白そう。
「幽玄の間」や「タイゼム」でも、簡単に真似られそうであるけど、どうでしょう?

囲碁の方では月刊「囲碁」の2月号が、28日に既に発売されている。
2号連続の付録つきで、今回は「一頁教室特選集」というもの。
「碁ワールド」と共に囲碁雑誌は来年、より「熱気の感じられる」編集、記事をお願いしたい。

氷の美女達

2006-12-29 23:55:09 | スポーツ
年末に漢(オトコと読む)達の熱い戦いを観るのも、昔ながらの歌のオンパレードを聞くのもいいが、美女達達の氷上の舞を観るのもまた格別。
31日もメダリスト・オン・アイスを観ようかしらん?
フジテレビの思惑通りだけれど…。

今日は来年3月の世界選手権選考も兼ねた、全日本フィギュアスケート選手権女子が放送された。

ビッグ5の華麗な舞は当然のこと、今回はそれを追う第2集団の女の子達を知ることが出来たのが良かった。

うち太田由希奈選手は、既にこのブログにもちょっと書いたように、名前は知っていたが。
今回の復活は本当に目出度い。
今後も本人がスケートを楽しめればと、心から願ってやまない。
勿論、その先に何らかの成果があれば尚良いことはいうまでもなく。

その他にも武田奈也選手、澤田亜紀選手、村元小月選手…皆キュート。
こんな選手達がいたんだ…(ぇ)。
これらの選手達がビッグ5を脅かすようになると、ますます面白くなるのは間違いない。
今現在でも世界で最もシビアな国内大会ではあるけれど。

実際は女子だけでも、毎年32人もエントリーしているのね。
名前を挙げてない選手の方々…すみません。
なにせリンクで生をみたのは、長野五輪…しかも男子(をぃ)しかないので、結局はメディアでの情報しか知らないのだ。

優勝は浅田真央選手。
まぁ、211点のパーソナルベストでは文句のつけようがない。
世界レコード?
その時点で、優勝は決まったようなもの。
これが去年のようなまた安定してくれば、プルシェンコばりに一頭地抜けた存在ですな。

準優勝の安藤選手、3位の中野選手までが世界選手権に出場する。

男子は高橋選手、織田選手の2人。
高橋選手って、あんなに上手かったっけ?
男子もトリノの頃から、もう1ランクアップしている印象。

アイスダンスは木戸、渡辺組。

是非、3月にまた楽しませて下さい。

平野正明の碁スクール(棋書評)

2006-12-28 23:15:55 | 棋書
「平野正明の碁スクール」(JDC:平野正明著)

全10巻予定(全13巻【2009/5/23追記】)。
現在は、

勝ちパターン負けパターン(上)
勝ちパターン負けパターン(下)
打ってはいけない手辞典
白の常套手段
先手と後手
工夫だけで強くなれる
切りと分断

の計7冊まで刊行されている。
うち「勝ちパターン負けパターン」「切りと分断」以外を、読んだ感想をまとめてみる。

一見魅力的、かつ多彩なタイトルが並んでいるようではある。
が、タイトルほど内容に明確な差があるわけでなく、ここまでは主に布石、中盤の戦いについてが主眼。
加えてここまで刊行された本全てが、主に置碁を題材とした、次の一手問題というオーソドックスな形式でまとめられているのも変わらない。
例えば「打ってはいけない手辞典」は、辞典のように分類されているわけではないし、「白の常套手段」は白の立場から書かれたものではない(汗)。

ただ推奨する手法を「勝ちパターン」、推奨できない間違えそうな手法を「負けパターン」と表現、分類しているのがユニークで、そこが特色である。

その「パターン」の意味も、細かいところより、
「どういう考えで打つのか」
にスポットを当てているのに注目したい。
だから読んでいて「アレ?」「甘くない?」「置碁以外では実現しにくいのでは?」と思う個所もあった。
が、「考え方がしっかりしていれば悪くはならない」という思想が、根底にあるとわかれば納得できるだろう。

この教え方は、個人的に賛成である。
定石を丸暗記したり、難しい手筋に取り組むより、ずっと長く応用が利くと感じる。
骨太の教育方法(?)とでもいえ、特に級位者には一読の価値はあるはず。
私もいくつか「眼から鱗」の考えを、本書から得ることが出来た。
これらには他の棋書で扱っていない点も多い。

一方で、「オリオンの三ツ星」を紹介したときにも述べたが、内容量が少なすぎるのが致命的欠陥。
一冊辺り、私は30分とかからずに読めてしまった。
A4版1ページに、図面2つのペースは年輩の方にはありがたいだろうけれど。
またある問題が別の巻でみたような問題だったりするのも、「繰り返し同じ問題に触れることで、知識の定着させる」という観点からすれば、一概に非難は出来ない。

しかしそれにしても余白も多く、やり方によっては仮に半分とは言わないまでも、6割程度の量でまとめられたのではないだろうか?
教室の教材本を、そのまま出版してしまったという感じ。
その点が残念。

定価でこの本を購入するかと問われれば、私はまず買わない。
コストパフォーマンスに不満がありすぎる。
本の値段程度のことにはあまり煩く言わない、着実な上達を目指す級位者向きと言える。

発想=プレイスレス

2006-12-27 23:55:55 | 雑談
これもかなり前の話になってしまうのだが、週刊誌に「今、あらゆることに対する『代行業』が盛ん」という記事があった。

「同窓会幹事代行」などは「なるほど」と思うけれど、中にはわけのわからないことを代行するものも。
例えば「墓参り代行」などもあるそうだ。
代行を頼むほうも頼むほうだが、代行する方も代行する方。
全く両者の気持ちがわからない…というより、墓参りというものをどう考えているのか不思議だ。

「オンラインゲーム」の売買の仲立ちをするという、サービス業もある。
どういうものかをゲームをしない人に、説明するのは難しい。

要するにゲームには強力なアイテムなどが存在し、これらはなかなか手に入りにくいようプログラミングされている。
アイテムを「手筋」、プログラミングを「発想」とすればわかりやすいだろうか?
そしてそれを入手するためには、ある程度の運不運が影響し、いくらやっても入手できない場合もある。
しかしネットゲームをやっているプレイヤー達からすると、それは
「悔しい」?
あるいは
「ネットゲームの世界で、もっと強くなって、ハバを利かせるのに是が非でも必要」?
という感情が働くらしい。
そこでそれを幸運にも入手した人に「リアルにお金を払って」、そのアイテムを譲り受ける、そういう売買が成立するらしいのだ。
そしてその売買にトラブルが起きないよう、仲介するのがそのサービス業の仕事という訳。

これとても私の理解の範囲を超えた行為である。

ところがこれが更に進化(?)し、何と「キャラクターのレベルアップを代行します」という商売もあるそうなのだ。
これも一応説明すれば、
「自分の分身であるキャラクターがレベルアップすれば、ネット世界で大きな顔が出来る」
とでも思って頂きたい。

記事によればオンラインゲーム「信長の野望オンライン」で、レベル99まで上げる作業に100万円以上(うろ覚え)払う人がいたとか。
「信長の野望オンライン」というものをやってことがないので、それに見合う金額なのか判断できない。
が、データ一つが変わることが、そんなにお金を払うほどの幸せなのだろうか?
そしてそんな形でゲームをやって、楽しいのだろうか?
実力が伴わないのに、高段免状を買うのに似ているが、全くの理解不能である。

そしてこれに託けて、私がこの記事で言いたかったことは、こんな行為が罷り通る社会の中でなら、例えコンピュータによって必勝法が解明されたとしても、囲碁将棋チェスをやるほうがずっと有意義じゃないかということ。
最強の囲碁将棋チェスマシンを作ろうという情熱は、まだカワイイのではなかろうか?
少なくと自分の脳を鍛えないと、少なくとも自分が(リアルで)打つ碁には勝てないのだから。
お金で「発想」は買えない。
マイクロチップを脳内に埋め込んだ、「読み」を加速させるなんていう手法が成立でもしない限り、しばらくはボードゲームの「楽しさ」は安泰だと思うのだが、いかがだろうか?

棋院の近未来商法?

2006-12-26 23:55:55 | 雑談
先に紹介した「覚のサバキ」が発売されるというアナウンスがあったとき、妙な感覚におそわれた。
棋書紹介の時はすっかり忘れていたが、hexagobanさんのコメントで思い出した。
いや直接コメントとは関係ないし、大したことではないが…。

つまりは
「何故、有段者囲碁選書の第2弾が覚先生で、しかも『サバキ』がテーマなのか」
という感覚。
勿論、覚先生が嫌なわけではない。
ただ第1弾が高尾先生だったので、次は羽根、山下、張栩といった他の四天王が来るのかと、勝手に憶測していただけのことである。
また「覚先生の持ち味は、本当に『サバキ』なの?」という疑問がある。
しかしこれも、私は覚先生の棋風を全く理解していないのだから、意味がない。
「通」にはもしかしたら常識なのかも?
これが張栩先生なら「足速、コウ、シノギ」などが浮かぶが…。

戯れ言ついでに一歩進めて、高尾先生から覚先生ともってきた日本棋院出版部の思惑を考えてみる。
もしかしてこれは「高尾の力学」が、高尾先生の本因坊名人就任で、爆発的に売り上げを伸ばしたことと関係しているのではないか?
つまりそれに味を占め、二匹目の泥鰌を狙ったのではないかと。
そしてその理由から、棋聖戦挑戦者に勝ち残った覚先生に白羽の矢が当たったのではないか?

もっとも本当に「高尾の力学」の売り上げが伸びたかは知らないし、実際覚先生で本が出版されるのが決まったのは、挑戦者決定戦より遙か前だろうから、愚考であるのは承知。
戯れ言は戯れ言でしかない(汗)。

しかしそれはそれとして、覚先生が棋聖戦に挑戦すること決まった以上、是非出版部としては覚先生に勝って貰って、売り上げ部数を伸ばしたいという、希望は本当にありそうだ。
当面棋院から棋書の刊行予定のない、山下棋聖には甚だ迷惑な話ではあるけれど(笑)。

そんなことを、この年の瀬の忙しい時に考えてしまった。

不適切な関係?

2006-12-25 23:55:55 | 雑談
図1

図1にある時、ふと疑問が生じた。
勿論、これが定型であることは九十九も承知。
実際、第2期棋聖戦でも登場したことを知っている。

私が感じた疑問というのは、この定型が割と早い段階、初級者の頃に教えられる。
そのことについてである。
そういえば2年前、このブログを始めた時の私も、この定型から派生する形に、あれこれ想いを巡らせ、記事を書いていたことを思い出す。
思えば遠くに(?)きたもんだ?

まず第一にコスミツケそのものが、ややユルミ。
これは「定石がわかる本」で石田先生が述べておられる。

二つにこう打つ初級者は、石を「攻めよう」と思って打つのだが、これは「攻める石にツケるな」のセオリーに反するということ。

さらにタチの悪いことに、こうして攻めてもまず初級者は石を取ることが出来ない。
勿論取るのが目的でなく、「石を重くすること」、「その背中を利用しての二次的な模様形勢」が真の目的であるのだけれど、そんな考え方が出来るようになれば、既に9子の碁でない思うのだ。

加えて図1までは容易に実現するが、以降は状況に応じて打たねばならない上に、上手い人は地すら与えてくれない。

で、これで取れないとわかった初級者はどうするか。
図2

このように地を確保しに行くのである。

図3

一方で互先では、こういう定石を編み出す。
これは黒5までは容易に出現するため。
その簡明さと、大きくみえる隅が人気の秘密だろう。

どちらも考え方さえ一貫性があれば、悪いとは私の口からは言いにくいけれど、最早その原型の思想は失われたいえよう。

初級者に教えるならば、図1の黒2で黒Aのボウシでないかと思うのだ。
これとて決して容易な手法ではないし、場合の手という意味も強いのだけれど、一応はツケてはいないし、「石を関連させる」「石を囲う」という囲碁本来の思想が活きている。
梶原武雄プロや藤沢秀行プロが推奨している形だが、コスミツケより根幹的に優れていると感じる。
初級者を強くしたいなら、こっちだ。

大体、初級者というものはほっといても石をツケて打ちたがるもの。
それをさらに促すような黒1は、5子とかその辺りまで上達してからでも遅くはないのではないだろうか?

ブックハザード

2006-12-24 18:15:55 | 雑談
図書館の掲示板に、一斉に12月12日の読売新聞記事のコピーが張られた。

記事内容は公共物(所蔵図書)を破壊して、平然としている人達の話である。
5年前から酷くなったというから、私が図書館をよく利用するようになった時期と一致。
原因は私か(笑)!?

それは冗談である一方、冗談でないところもある。
すなわちこれは個々人の問題だけに限らない。
もっと根本の社会、つまり私達一人一人の在り方が形となったもの。
教育問題などとも同根であるからだ。
結局は悪いことをを「悪いこと」と認識できる社会、家庭環境が破壊されているということなのだろう。
モラルの拠り所となる、宗教や慣習が、今の日本社会で影響を失っているのが要因ではないかとも、密かに思っているのだがどうだろう?
犯人は老若男女問わないというところにも、注目。

ただ自分が「そういうことをしない」という当たり前のことだけでなく、自分の身近な人だけでも、それを「悪」だと思えるよう働きかけが必要だろう。
結局これで損をするのは、図書館だけでなく購読中止で残念な思いをする、一般利用者なのだから人事ではない。

棋書からみると、グラビアなどには価値がない(…汗)ため、切抜きは幸い少ない。
あ、でも…月刊「囲碁」から、数か月分の「名局細解」切り離されていたな…(涙)。

その代わり、本が丸々一冊消えていくのは日常茶飯事。
身近なところでは、発売からまだ1ヶ月ぐらいしか経っていない、将棋の「羽生vs佐藤全局集」が既に2冊、近所の図書館から消えた。
これでは羽生プロも、佐藤プロも嬉しくないだろう。
また私の知る限り、依田プロの「泰然知得」も3回以上なくなっている。
図書を持ち出して「泰然」としていても、何にもならないのだけれど…。

せめて愛棋家達には、健全な図書館ライフをお願いしたいものである。

新刊棋書情報「覚のサバキ」

2006-12-23 22:15:15 | 棋書
日本棋院から待望の刊行、有段者囲碁選書第2弾!
一撃三変 覚のサバキ」(小林覚著)が発売された。
韻を踏んでいるのね?
ライターは相場一宏氏。

まず「一撃」とは、相手の勢力圏内に深く「踏み込み」(=打ち込み、キリ、ヒット)、戦局を混戦化させるということらしい。
その「一撃」に対して相手がどう応じるかによって、
「すぐ動く」(=シノギ、攻め、ヒットアンドラッシュ)、
「捨てる」(=サバキ、ヒットアンドアウェイ)、
「フリカワる」(=ヒットエンドラン…違う…)
を使い分けるというが「三変」の意味。
というわけで題名の「サバキ」だけをテーマに、扱っている訳ではないようだ。
どちらかといえば「踏み込ん」で「相手を自分のペースでコントロールしよう」というのが、本書の主眼の模様。

節ごとの形はほぼ統一されており、まず覚プロの実戦から選ばれた次の一手問題が出される。
その裏に問題図が出来るまでの、初手からの手順が掲載。
そして正解や不正解図を交えて、解説していくというオーソドックスな形だ。
同じ囲碁選書の「高尾の力学」から、本因坊戦自戦解説を除いた形式と思って貰って、間違いないだろう。

ただ1題目を試しに解いたところ、「高尾の力学」に比べて非常に難しく感じた。
解答を読んでも、今ひとつよくわからない。
柔軟性が要求される高度な手法であるためか、あるいは棋風の違いか?
少なくとも私のレベルでは、お目にかかった(認識した)ことがないテクニックなのは確か。
故に内容の善悪は判断できないが、感触としては有段者以上の棋力は必要とされそうだ。
読者に媚びない、興味深い内容であるのは評価するが、いつになったら読めるレベルに達するのやら…。

「踏み込む」が4題、「すぐ動く」「捨てる」がそれぞれ8題、「フリカワる」が7題掲載。
類型の少なさから、具体的な細かい手順よりも、感覚を体得させるのが狙いだと思われる。

新刊棋書情報「求真詰碁」

2006-12-22 21:55:37 | 棋書
お待たせしました!
著者の名前と、詰碁の「真を求める」という意味を掛けた粋(?)なタイトルの棋書、「求真詰碁」(MYCOM:郭求真著)が発売。
(「の」をつけた方が、タイトル一貫性があるのに…)
…発売から2日経つはずなのに、置いてある書店が少ないです…(汗)。

本書は「至高の詰碁」の続編。
前作とは厚さと(笑)、表紙が淡いグリーンの基調なのが違う。
前作に対し、私は正直なところ
「馬鹿馬鹿しい分厚さと大きさ、問題量の詰碁」
という印象しかもっていなかった。
しかし意外や、行き着けのブログの間では評判がいい。
着点が比較的限定されている(=見た目、解けそう)故の取り組みやすさと、手筋が見えさえすれば余計な罠もなく、スムースに解けるスマートさが人気の秘密だろうか?
ちょっとした引っ掛けやヒネリを配置した、前田詰碁とは一味違って素直である。
今回続編が刊行されたのも、一般読者からの好評故とみられる。

今作も前作と、問題解答共に作りは同じとみていい。
ただ前書きにも書いてあるが、若干レベルを下げて(親しみやすくして)いるようだ。
それは前作の特A級(プロ級)問題を廃し、A級(高段クラス)が21題程度なのにもみてとれる。
また巻頭の2、3問を私も解いてみたが、1分と時間を掛けずに、正解にたどり着くことが出来た。
問題そのもののレベルも、若干ではあるが容易になった印象。
【追記】最初の方だけでした。
ユーザーフレンドリーを心がけた様子。
C級44問、B級86問。
前作の初段から5段ぐらいまでの問題層を、厚く補充した形だ。

問題数も減らした(それでも結構厚い)そのスタンスを、是とするか非とするかは人それぞれだろうが、前作で満足した人には概ね受け入れられると思う。