対局日誌

ネット囲碁対局サイトでの、私の棋譜を記録していきます。
全くの初級者がどう成長していくか、見守ってください。

依田先生の打碁

2005-01-31 01:38:35 | 棋書
パソコンが壊れました。
買い換える資金もないし古い林檎も併用しつつ、騙し騙しやっていくしかないですか。
また碁を打てるようになっても、WINGが主戦場になるかもしれません。

ふとHPMさんのブログを読んでいて気づいたのですが、
最近次々と刊行されている打碁鑑賞シリーズ、あるいは単行本版名局細解シリーズに、
依田先生の名前がないですね。
結城先生や張本因坊、羽根棋聖が既に刊行されているだけに不思議。
あるいは大物だけに温存しているのか、依田先生が編集に協力してくれないのかとも思いますが(笑)。
確か依田先生は一冊打碁の本があったと思うのですが、
えらく評判が悪かったように記憶しています。
今、調べてみるとフローラル出版の「勝負の極意」。
DASさんのところでも、あまり評価されてません。

石倉先生の本でも「並べるのに適している」棋士とありますし、
実際、雑誌にある棋譜をみてもケレン味がなくて並べやすい。
解説付きの棋譜が入手しずらいのは残念ですね。

将棋もトッププロ以外の棋譜というものは世間の目に触れにくいものですが、
定跡書の後半によく著者の自戦譜がつくので、
本を出してさえいれば、世間に見てもらう機会は囲碁より多いと思います。
まぁ、その形が嫌だという某将棋タウンの管理人様のような方もいらっしゃいますが(笑)。

初級囲碁読本(書評)

2005-01-29 02:34:15 | 棋書
初級囲碁読本(誠文堂新光社:小川誠子・石田芳夫共著)

目数小事典」(誠文堂新光社)は、トラックバックしていただきました。
ありがとうございます。

http://hw.bbzone.net/voice/view/30-5

元々、この本を話題にしているところがほとんどないのですが、その少ないサイトでは、評判は悪くないですね。
参考にさせていただきます。

今回紹介する「初級囲碁読本」。
小川先生と石田先生の共著です。
長くNHK杯の聞き手を務めておられた小川先生はそのまろやかな(という表現がピッタリ)口調がとても独特です。
囲碁に興味のないころ、NHK杯をよく見ていた父の横でそのことを指摘したら、囲碁番組について口にしたのが珍しかったのか何故か「小川先生が好き」ということになってしまいました。
本当は私はもう少しふっくらした方が好みなんですが…。これは余談。

趙治勲も武宮も坂田も林も知りませんでしたが、小川先生と、年末行きつけの蕎麦屋で見かけた大竹英雄名誉碁聖だけは知っていた私。
そんなこともあって小川先生にはちょっと親しみを感じます。

小川先生はアマ指導にも定評があるそうですね。
父の職場にもお稽古に来ていたようです。
そんな小川先生が著した、「初級囲碁読本」はとても良い本。
先に紹介した「上手な初心者」と並んで、入門後のステップとしては最適だと思います。

例えば、右図は前も使った図ですが、黒2のコスミツケに白3と立つ。
何でもないようですが、初級者は何故こう打つのかすらわかりません。
つまり右上星の黒石と黒2が連携してツケられた白1を圧迫している、という感覚が初級者にはないのです(少なくとも私はそうでした)。
故に、その圧迫に対抗するためコスミの形より強い鉄柱の形で対抗する(立つ)。
そんな本当に初歩の手筋の意味を4ページ1テーマ読み切りの形で解説してあります。
どんな形良くて、どんな形が悪いのか。
どんな形が強くて、どんな形が弱いのかということが見えてくると思います。
取り上げられた図、解説も平易なのも二重丸。
やや部分にこだわっているので、大局的視点は他の本で学習する必要がありますが、囲碁を始めるための土台作りにとても役立つと思います。

私記:窓98だと今、ここにアクセスすると「メンテナンス中」の表示が出る…。何故だろう?

続・「次の一手」不要論

2005-01-26 20:25:09 | 雑談
先に掲載した「『次の一手』不要論」は、思った以上に反響がありました。

特に先の「不要論」の中でとりあげた、囲碁雑考に、
まえださん自身から補足がありましたのでトラックバックしておきます。

http://www.pietsch-companion.com/igo_talk/archives/2005/01/post_159.html

> 問題集に載っている問題というのは、
> さすがによく考えられていて(まあ何事にも例外はあるけど)、
> 私ごときの好みによっては変化しない「絶対の一手」が回答になるシーンが選ばれている。

これは私の棋力では確かめる術はありません(笑)。
言われてしまえば「そうですか」と頷くよりないですが、
実際のところ、まえださんの仰るとおりなんでしょうね。

そして、次の

> それなのにこちらの「好み」によって回答を間違えてしまうのは、
> 自分の「バランス」が壊れてしまっているということが本旨です。よ
> って問題集をやって、バランスの崩壊を矯正することが必要になると。

「次の一手」にそういう使い方があるとは、知りませんでした。
私が考えていた次の一手は
「難解な局面が妙手一発でヒックリかえる」タイプ(そんなの真似できねぇ)や、
「凄くオーソドックスな形を紹介している」タイプ(先のログの例題タイプ)で、
後者なら問題にする必然性があまりないだろうと考えていました。
まえださんの仰るのも後者に属するかと思いますが、
しかし「碁に対する感性を矯正するため」、「絶対の一手」なら、
確かに利用価値がありますか。
絶対の一手を打てず、そっぽを打つようでは駄目ですしね。

どうしても囲碁の知識がないので将棋に置き換えてしまうのですが、
例えるなら基本的な「戦いの絶対感覚」シリーズ(河出書房新社)なのかなぁ?
将棋の方にはこういう大局観を矯正する本というのはないのです。
というのも、囲碁以上に「感覚」より「読み」が必要とされますから。
強いて言えば「定跡」を勉強することが、その一助になると思いますが、
将棋倶楽部24の三段に「大局観が悪い」とお墨付きを貰っている身としては、
それも怪しいものですね(笑。私は友人間ではやたら定跡書を読んでいることになっている)。

もうちょっと捻って考えれば、まえださんの仰る「次の一手」は
「大局的な基本手筋」を会得するということでもあるのでしょうか?
つまり広義の手筋集。これなら「絶対の一手」になるのも必然。
そしてそういうことならば、やはり先の「不要論」にコメントくださった、
猿飛佐助さんの

> ワシは碁でも何でも最初の出だしは教わらなくてはなかなか難しいと考える。

というのはよくわかります。
囲碁も芸能の一つですから、
日舞や歌舞伎、能あるいは剣道、柔道といったところの、
基本的型をしっかり会得して、
自分なりの応用をするのはその後、という手法に通じるわけですね。

どだいタイトルにしても、取り上げたテーマにしても、
今の私には分不相応だったかもしれません。フライングですか。
しかし今これを考えてみたことは、それはそれで収穫がありましたし、
ガックリしたということはなく、
もっと強くなって、もう一度このテーマについてしっかり考えられるようになったら、
再度考えてみたいという意欲に燃えています。

しかし、対局できないんですよね…。
最近は時間がとれないのに加えて、パソコンも壊れつつあります(汗)。

目数小事典

2005-01-24 00:02:00 | 棋書
今回は書評のようで、書評でありません。
何しろちゃんと読んでいないのですから。

実はみなさんに質問したくて、このログを書きました。
すなわちタイトルの「目数小事典」(誠文堂新光社)ですが、
この本を使いこなしている方、あるいは使いこなし方を知っている方が、
いらっしゃるのかどうか
お尋ねしたいのです。

ざっと読んだだけなのですが、とにかく読者に読ませるということを、
全く考えていない本ですね。
ヨセの手何目というデータをひたすら並べた本。
下手をすると数学書を読んだり、国語辞典を前から読んでいくほうが、
ずっと面白いかもしれない。
昔読んだ物理の論文より読みにくい。そんな印象を受けました。

でもヨセの目数を辞書的に掲載する。
こんなタイプの本は求められていたような気もします。
ちょっと違いますが囲碁を覚えたての頃、
どう打っていけばいいのかさっぱりわからず、
「手の大きさが網羅的に分かる本があったらな」と考えていたことを思い出します。
すなわち一局が終わったら、この事典を調べて、
「こちらが大きかったか」「こうヨセれば良かったか」と考察する。
そういう使い方を目的としているのかと。
ただ、巻末に索引らしきものがあるものの、
本当にそういう使い方が可能なんでしょうか?
しかもヨセの形を網羅するなんてできないですよね?

正直、その評価は揺れ動いていて、
とにかく「使えない」稀代の悪書という気もするし、
データにこだわったストイックな一冊という気もするのです。

高段の方の評価はどうなんでしょうか?

「次の一手」不要論

2005-01-22 01:20:22 | 雑談
part1にコメントして下さった、yyzzさんの

> 囲碁は善悪の価値判断があいまいで、
> 非学術的な要素がどうしても序盤になればなるほどあると思います。
> だから、序盤・中盤の感覚が題材なら問題集形式が適しているのでは。
> 一手ポンと盤上におくことで、
> がらっと局面の見え方が変わったりする体験の修得がメインですから.

という意見に同調した私ですが、
まえださんのブログを読んで気が変わりました。
そういえば、「上手な初心者」の作者、
小坂さんも「構想は自由に」と言っていましたし。
揺れる乙女心を察してください(意味不明)。

むしろ非学術的な要素が多い局面なら尚更、
問題形式にそぐわないのではないかと思います。

碁を打つことは良く絵を描くことに例えられますが、
絵を描くときに「次にどう筆をいれますか?」とは言われませんよね?
(いつものように不適切な例えかもしれませんが)
「これこれこう描くと、こう綺麗に見えるから、こう描いてみては」という形なら、
テキストとして成立するでしょうが、
絵を描くための問題集なんて聞いたことがありません。

碁に戻って、例えば、
多くの本では星目に白1とケイマにかかった場合、
右図のような進行を解説していることが多いかと思います。
しかし梶原先生の本(梶原流必勝置碁)や、白江先生の本(碁この法則を知っておけ)には、
黒a以外は全然緩いとありますし、
また大矢先生の本(なぜそう打つ なぜそうなる)には、
(白1に対し)黒4や黒bも立派な手としています。
趙先生曰く(とっておき上達法)、「身の丈に合った碁を打とう」に従うなら、
どれも正解でしょうし、盤面は広いのですから、他の奇想天外な手も考えられそう。

極端な例で、さすがにこういう局面が問題形式で出されることはないと思いますが、
他の次の一手にしても、よっぽどはっきりとした「決め手」になる局面でもない限り、
「絶対正解」というものはなかなか出てこないと思うのです。
第一、まえださんのブログにあるように、
現在の自分の好みで、「前に解けた問題が、次に解けなくなる」
ということが起きるって、変な感じがします。
それじゃあ、問題形式の意味がないのではないですか?
「問題を作った人ならこう打つ」ということなら問題形式も成立するでしょうが、
その場合にしても問題形式にする必然性はあまりなさそう。
少なくとも1ページまるまる問題を掲げるくらいなら、
その問題図にいたるまでの総譜でも載せてくれたほうが、私はありがたいですし、
(将棋と違って、「総譜」は載せやすいのは囲碁本の利点です)
正解の手が成立する条件、メリットデメリットを、一行でも多く解説する方が、
ずっとためになるのではないかと思うのです。
先に挙げた図でも黒cにまだ味が残っていることや、
その後の攻防をきちんと解説している本は少ないような。

もっとも問題形式にすることで、
一歩立ち止まって考える時間を持てるのは大変有意義だと思いますが、
その割には「相手が本の通り打ってくれない、と愚痴る」という話が絶えません。
しっかり手の成立条件を把握していれば、そういう愚痴は聞かれないと思うのですが。

囲碁と将棋の棋書比較 part2

2005-01-21 00:29:55 | 棋書
最近、対局はおろか満足に家に戻ることもできません。
そのため更新が滞っているのですが、
そんな中で、考察だけは脳内で出来るので進んでいます。

前回、私が書いたログを踏まえて、
HPMさんが、こんなログを書かれました。

Stock, Slot and iGo

大体、うなずける内容で、
(問題集形式の是非については、また後日考察できればと思います)
そのログの基盤となる「梶原囲碁講座」の内容の良さと、
HPMさんのセンスに感心しました。
特に最後の文には、得たり!と膝を打ちました

>級位者向けの名局細解があるといいのかもしれませんね。。

私が考えていたこととほとんど同じです!
喜びと同時に、いずれログに書こうと思っていたのにぃ…と、
ちょっと悔しくもありました(笑)。
でも、本当に初級向けの「名局細解」があっても良いと思いません?
誠文堂では高くなりそうなので、囲碁文庫の打碁シリーズの形で(笑)。

私の考える「名局細解」はこんな感じです。
まず書き手は対局者でも良いですが、この場合は石倉昇九段が良いのではと思います。
あの先生の話はわかりやすいし、下に述べるように詳しい変化を必要としないので、
必ずしも書き手が対局者である必要はないでしょう(取材は必要でしょうが)。
石倉先生の解説は、上級者の方には細かい変化の解説があまりなくて、
不満を感じるかもしれませんが、
我々初級者には、「今、黒がどういう狙いで打ち進め、白がそれにどう対応しているのか」
といった、大局的な方向性を中心に解説してくださるので、
大変にわかりやすいし、ありがたいです。
初級者にとっては厳密な優劣はどうでもよろしい。
部分の細かい手のテクニックも、ほどほどでよろしい。
どうせ使いこなせませんし。
とにかく、今打ち手が何を目的に打っている
(どの石を攻めているとか、どこに勢力圏を作るとか)のかが大事で、
それさえわかれば、碁をある程度、鑑賞できると思うのです。

強引に例えれば、対局全体の流れを三国志の「官渡の戦い」「赤壁の戦い」とすれば、
その中の手筋や石の攻防は、関羽や張飛の戦いぶりですな。
通常は関羽達武将の戦いがハイライトでありますが、
そこを端折って、全軍レベルで戦いをみたほうが、
その戦いそのものを知るには、初心者にはわかりよいのではないかということです。
無茶な例えでしょうか。

あるいは書き手の候補を他に考えるならば、中山典之六段も有力候補。
この方は梶原「囲碁講座」のライターでもあり、
囲碁界きっての名文家です。
今後も書評でたびたび登場するでしょうが、その筆致をもって、
軍記物のように碁を解説してくださったなら、
ドキドキワクワクしません?

加えて「初級向け名局細解」は、出来ればヨセをくどいくらい、
細かく解説していただきたい。
通常の「名局細解」はここは駆け足で端折るのが定石ですが、
「アマはヨセが弱い」と良く言われるようですし、
ここは計算の世界ですから、理詰めで解説が利くと思います。
「こちらはこれこれしかじかで×目、こちらはこれこれで×目」とくどい位に解説。
私はそんな形で解説して欲しいな。

パッと思いついた構想を書き連ねてみました。どうでしょう?

皆さんが考える、「私にとって嬉しい名局細解」は何ですか?
教えてください。

囲碁と将棋の棋書比較 part1

2005-01-15 02:10:14 | 棋書
「囲碁」と「将棋」の比較というのは、
ありそうで、意外に論議しているサイトにお目にかかりません。
多分、両方を好んでいる年配の方は多いと思うのですが、
遠い親戚のようである意味、全然違うゲームなので、
比較しようがないところもありますか。
でも共通点もいっぱいありますよね?

上っ面だけで申し訳ないですが、
私なりに気がついた相違をちょっとだけ。

どちらにも大量の棋書が発行され、
わたしも結構買ったり読んだりしていますが、
両方を比較すると、真っ先に気づくのは
囲碁は「問題集」的な本がやたら多いということです。
半分以上がまず最初の1ページを割いて、問題の局面図を提示し、
「次の一手は?」と問い、
様々な候補を比較考察することで、解説が進行していきます。
それは時々、受験生に戻ったような錯覚すら覚えます。

翻って将棋は、特に最近は「次の一手」的な本は激減。
「詰め将棋」の本以外で、 
ちょっと思いついたのでは「四間飛車を指しこなす本」(河出書房)系列と
「読みの技法」「絶対感覚」(河出書房)系列、
「ラクラク次の一手」(日本将棋連盟)でしょうか。
あるとしても定跡書の理解を確認するために、
本の一部を「次の一手」に割いた程度の本が多いですね。

そして主流を占めるのは序盤の隅の隅までの変化まで解説した定跡書です。
「学術書」というのがピッタリ。
しかしプロの序盤研究を惜しみなくさらけ出したこれらの定跡書が、
プロとアマの差を確実に埋めた一因であると思います。

私はどちらかというと、この学術書的な将棋の本の方が
(読みにくくなければ)好きで、
囲碁を覚えたての頃、「囲碁の本って手抜きだなぁ」と感じていたものです。
問題集はあまり買う気がしませんでした。

その思いは今も変わりませんが、
反面、囲碁はあまりにも変化が広すぎて「学術書」的な本が成立しにくい、
図を多く載せると、どうしても図で紙面が埋まってしまい、
内容が薄くなりがちになってしまうというジレンマも見えてきました。
全局的に局面を眺めれば尚更ですね。
その点、将棋は「▲7六歩△3四歩…」と表記すれば良いから楽です。

しかし、そういったジレンマを承知の上で、
もうちょっと囲碁の方にも「学術的」な本が増えてくれないかなと感じます。
問題集にしても、どこかで見たような問題が複数の本に載っていたりして、
ちょっと苛立ちを感じます。
私が初級者だから、こうなってしまうのは承知の上ですが、
中にはこういった学術的な手法のアプローチを成立させている本があるので、
「出来ないことはないでしょ」と感じますし、
「読ませる本」や囲碁の本質的なところをわかりやすく解説している本、
「着眼点に個性を感じさせる本」があまりないなというのが実感です。

いろいろなサイトを見ると「最近の囲碁の棋書はダメだ」という評を聞きますが、
それは上に述べたようなところも関係するのでしょうか?

ポケット手筋200(書評)

2005-01-14 01:30:53 | 棋書


ポケット手筋200(日本棋院:白江治彦)

今手元に本はないのですが(つまり購入していない)、将来もう一度解いてみたいと思っている一冊。

とにかく昨年(9月か10月頃)初めて解いた時の第一感は、「解答を読んでも訳わからん」。
前半の100問(基礎編)は正答率59%、後半の100問は正答率42%でした。
ちなみに「ポケット詰碁」の方は、全体を通して8割ぐらいです。
全然解けないので、最後のほうはちょっと解くのが苦痛に。
これは「詰碁」を解いているときには(たとえ解けなくても)なかった感覚でした。
私が馬鹿なせいでしょうか?

ひと目の手筋」の時のレビューと一部かぶりますが、まぁ、この解答を読んでもわかりにくいというのは手筋本の一つの宿命ではあるんですよね。
解答が数学的な明快さで示せるわけではないですから。
加えてこのシリーズはコストパフォーマンス重視なので、どうしても解答が簡潔になりがちです。
そういう意味で、当時全然わからなかったのはしょうがないのかも知れません。
実戦を積んできて手筋や「形」が少しわかってきた(つもりの)今なら、もうちょっと解けるかもしれないし解答の読み方も違うでしょう。
そしてさらにもう少し囲碁がわかってくれば、この本の評価も変わってくる。
そんな確信はあります。

でもやはり囲碁入門したて、あるいは初級者の方が「この一冊だけ」で手筋を会得しようとするのは効率が悪いような気がします。
「この一冊だけ」ならば「ひと目の手筋」を徹底的にやるほうが良いでしょう。
今後、またレビューするつもりですが、手筋に関してはこういった問題集のほかに、手筋を詳細に解説することを目的とした「教科書」的な一冊が必要かと思っています。

そしてその教科書と併読して利用すれば、この「ポケット手筋200」は、非常に良い本になるかもしれません。
コストパフォーマンスは「詰碁」と同じで、ピカイチですから。

また解いてみたら、初めて解いたときとの感想の違いをここに載せたいと思っています。
それまでは総合的な評価は保留させていただきます。

私は碁の美しさがわからない

2005-01-12 00:11:02 | 雑談
王将戦が始まりました。
…って将棋ですね。
でも今日からの棋聖戦より俄然楽しめそうです。
申し訳ない。

というのも、元々将棋畑(?)の人間だったこともあるのですが、
囲碁の棋譜をみても全然わからないんです。
解説のない、リアルタイムの碁なら当然。
解説があっても、例えば日本棋院ネットの中継もさっぱりわかりません。
全然、思いも寄らぬところにから思いもよらぬところへ石が飛び、
並べても、番号を探すので精一杯。
名局細解のような解説で、ようやくその凄さがうっすらと見えるくらいです。
それでも感動とかには、程遠いですね。
だから面白くない(汗)。
決して羽根先生、結城先生が悪いわけではないです。

元々、囲碁の第一目標が父が見ているNHK杯を楽しめるようになるというところにあるのですが、
その道は相当険しそう。

そんな自分と比較してみると、棋力的にほぼ同じと思っているHPMさんの、
「プロ以外で美しい碁をみた」といった感想は「凄いな」と感じてしまいます。
感性の違いというところでしょうか。

皆さんは、プロの棋譜をみて感動しますか?
愚問ですね。

韓国と日本の段級位

2005-01-11 00:52:50 | 雑談
Book off巡りや書店で棋書を読むのが好きです。
書店には迷惑ですが(汗)。

今日、「ごまかし手辞典」(棋苑図書:韓国棋院)という本が面白そうなので手にとって見ましたが、
その前書きに衝撃な文句が…、
「韓国のアマ1、2級(日本の4、5段に当たる)…」………ええっ!
日本と韓国の段級位の差についてはまえださんが書かれている通りでしたが、
一般の棋書でこう書かれると、やっぱり驚きが違いますね。
確か藤沢秀行先生が若い頃は、4子でプロと互角なら初段だったかと思う(今だと五段?)ので、
韓国は今もそのランクを踏襲しているという解釈で良いのかしら?

私はまえださんのように「恥ずかしい」とはあまり思わないのですが、
(入門したての人が初段という一つの区切りを目指しやすいというメリットはありそう)
でもやはりこれだけの差があると、ちょっとどうにかしないと、という気にはなります。
またということは、日本のアマ6段はかなり実力にバラつきがあるということなんでしょうか?
NHK将棋講座の押田さんや、林芳美ちゃんはどの辺り(笑)?
「恥ずかしい」というより「不便」だし、5、6段に「次の目標」がないのもどんなもんでしょう?