対局日誌

ネット囲碁対局サイトでの、私の棋譜を記録していきます。
全くの初級者がどう成長していくか、見守ってください。

新刊棋書情報「玄妙」

2007-01-31 23:55:55 | 棋書
昨日なかったMYCOMの新刊、呉清源師による「玄妙」が今日は入荷していた。

本書は「昭和の碁聖」呉清源師オリジナル詰碁を、122題収録した詰碁集である。
【追記】完全オリジナルではないらしい
まぁ小振りの詰碁で完全オリジナルは難しく、どこか焼き増しの筋になるのは仕方ないが…。
しかし前書きに「創作した」と明記してしまっているので、問題もありそうだ。

詰碁鑑賞能力のない私には、立ち読み程度ではそうとしか言いようがない(汗)。
難しい順にそれぞれA、B、Cとランク分けしまとめられているが、それ以外、特に工夫は見当たらなかった。
平凡に問題が提示され、そのすぐ裏に解答という形式である。
簡単なヒント付き。
各ランクごとの問題数は、上記リンク先、「目次」を参照のこと。

前書きには、
「呉師が今まで創作してきた詰碁から、比較的スッキリしたものを選んだ」
とある。
確かに1問目、2問目を試しに解いてみたところ小さめの図で、直ぐに解答することが出来た。
もっともBクラス以降は呉師らしい、やや大きめの図が増えて、詰碁嫌いの私はちょっと敬遠気味。
尚、ライターはいつものように牛力力プロ。

「呉清源の名を冠した本は、値段が2割増しになる」
という法則がある(?)。
本書もその法則通り?
A4版という体裁で、一応値段とのバランスを取っているが、1題につき1ページ費やしている割には、解答の図は3つほど(場合によって4つ)
解説も簡潔であり、量としては四六版で十分。
もっと値段を抑えられたのではないか、という念が残った。

言ってしまえば既刊の「呉清源詰碁道場(上)(下)」を、そのままA4版にしたというイメージである。
もちろん収録問題は違うわけだが、A4版にするならそこに必然性か工夫が欲しい。
問題図が大きいので見やすいという、メリットはあろうが。

ランクはMYCOMからの既刊、郭求真プロの「求真詰碁」「至高の詰碁」に則した印象を受けたが、これも立ち読みだからアテにしないで欲しい。
ただそのランク分け形式や選題の基準に、「至高の詰碁」「張栩の詰碁」の売れ行きからの「3匹目のドジョウ」を狙った感じがして、あまり良い印象を受けなかった。

カラい評価なのは、私が最近詰碁ばかり解いていて食傷気味でありながら、成績が急降下中という、腹いせもあるかもしれない(汗)。
詰碁を全部解いて、その問題の質まで吟味出来れば、また評価が変わってくる可能性もある。

総じて詰碁嫌いの人には薦めないが、詰碁が好きな人には書いたほど問題はないとは思う。

新刊棋書情報外伝

2007-01-30 23:55:55 | 棋書
今月はないのかと思っていたMYCOMの新刊が、30日発売と言うことで書店へ。

まだ入荷しておらず。
尤もこれはいつものことで、週末ぐらいまでには入荷されるはず。

ところが同じMYCOMから今日発売予定の将棋の本、「一二三の玉手箱」は既に平積みに。
何故だろう?

仕方ないのでこの本を手に取ってみたのだが、変な本である。

第2章の「加藤一二三の名局」、第3章の「加藤一二三のエッセイ」は普通として、第1章が「加藤一二三伝説」。
なんでもNECのbiglobeストリーム、「将棋ニュースプラス」というサイトで公開されたものの紙面化で、
「滝を止めたことがある」
「チョコレートが好きで、一日に板チョコ8枚食べた」
というようなユニークな伝説を紹介、そして加藤プロに証言してもらっている。
加藤プロもよく証言してくださったものだ(汗)。

確かにこういうのも面白いのだけれど、お堅い囲碁界なら「ふざけすぎだ」と睨まれ、実現不能だろう。
私も「わざわざ本にして出すようなことかなぁ」と、ちょっと眉をひそめた。
やたら紙面を贅沢に使っていて、内容が乏しいし…。
本当に加藤一二三プロファンだけのための、むしろマニアな一冊という感じ。

しかし考えてみると将棋は割とこういう本も出ていて、過去には宝島社から
将棋王手飛車読本」「将棋これも一局読本」というムックが出ていたことがある。
将棋界を面白可笑しく紹介しようという、本当にミーハーな本だが、羽生善治プロを筆頭に佐藤康光プロ、森内俊之プロなどもアンケート回答などで協力していた。
他にも類似の本があったはず。

こういう柔軟性、世俗的なところが将棋の強みでもあり、また弱みでもある。
そして「お隣」「似たもの同士」といわれる、囲碁界との大きな違いの一つかも知れない。

仮に「依田の玉手箱」などという本が出たら、みなさんは喜びますか?
囲碁界もこういうタイプの本を出してみるべきなのだろうか?

何らかの形で棋士の実像に迫るべきだというのは、再三このブログで主張している。
しかしこの本の「面白ければいい」というは、ちょっと賛成しかねる。
何か別の形、スタイルでという意見だが…、さて?

六段挑戦の詰碁(棋書評)

2007-01-29 23:55:41 | 棋書
六段挑戦の詰碁」(棋苑図書:石榑郁郎著)

石榑プロのオリジナル詰碁集(だと思う)。
タイトルで読者を減らしている本。
他でも書かれているが、実際はタイトルから受ける印象ほどには難しくなく、段持ち程度で十分。

六段挑戦するには、これくらいは2、3分で全問解きたいレベルを集めたの詰碁集」。
略して、このようなタイトルになったのではないだろうか(笑)?

具体的には
「着手候補が限定されている」
「筋一発で決まる」
「一桁以内の読みで決着する」
といった特徴の詰碁が多い。
だから「2、3分で解いて欲しい」という著者の要求を無視すれば、初段前後でも十分取り組めるはず。
解後感もスッキリしていて抜群に良く、続けて解く意欲を殺がれない。

またヒントがかなり「そのままズバリ」であることも、大きなサポートになる。
逆にストイックに取り組みたい人にはどうしても目に入ってしまうので、邪魔かもしれないが。

私が一通り解き終えた上でこの記事を書いていることからも、その難易度を察して頂けよう。
ただし(棋院認定の)級位者にはちょっとしんどいかも。
第一感の死活」程度の詰碁を一冊終わらせ、詰碁の筋に慣れた後の方が楽しめる。

さらに言えば、郭求真プロの「至高の詰碁」「求真詰碁」とは味わいが似ており、これらのCランクの問題を解いた後ぐらいに、取り組むには好適なのではないだろうか?
Bランクとどちらが難しいかは、私が郭プロのBランク問題を解いていないので、何ともいいかねるが(汗)。
郭プロの詰碁に満足した人には、すんなり受け入れられると確信する。
一度、手にとって頂きたい。

第1章 有段の基本詰碁(45題)
第2章 高段の基本詰碁(45題)
第3章 腕だめしの詰碁(15題)

という構成だが、章ごとに大きく難度が変わるわけではない。
第3章も一応「制限時間なし」ということになっているが、前2章と段違いに難しいと言うこともなかった。
問題数が105問ということに、やや少なさを感じるかもしれないが、価格も安いのでさほど問題になるまい。

解答や構成は平凡だが、問題の質から、なかなかの一冊といえる。

何故か日本直販でも販売

棋士の保守性

2007-01-28 23:55:55 | 雑談
棋士は囲碁が好き?
という問いかけに応え、とりさんに記事を頂いた。
今回はそのお返し。

いわんとするところを、私なりに咀嚼しまとめると、
「19路というのは歴史の経験から行き着いた、一つのベストの大きさである。
 そこから逸脱することでゲームバランスが崩れ、故に『つまらない』と感じる棋士がいてもおかしくない」
ということだと思う。
違っていたら、訂正お願いします(汗)。< とりさん

「ゲームバランス」。
なるほどファミコン世代にとってはお馴染みの言葉であり、なかなか説得力がありそう。
アキラがあの強さなのも、プログラマーの試行錯誤の末のゲームバランスなんですよね(謎)。

しかし、どうも「納得」にまでは至らない。
「モヤッ」と感がが拭えないのだ。

この問題を考えていて、思い出したのは「コミ」の話。
本因坊戦が始まり、その一番勝負の中で公平な勝敗を決めるために導入されたルールである。
今でこそ「コミ」は、何の違和感もなくプレイヤーに受けいられているが、導入された当時は賛否両論だったと聞く。

特に当時の巨星、木谷実プロは「コミ」に反対。
「コミ碁は碁に非ず」
「碁は先の有利を、如何に白が盛り返すかが醍醐味である」
と主張してやまなかった。
これも一種の「ゲームバランスが崩れる」のを嫌った姿だろう。
あるいは「伝統」という面からかもしれないが。

今、現在こんな主張をしても「何で?」と言われるのがオチだろう。
更にはこのコミは当時の3目から、現在の6目半にまで拡大したが、この6目半が「絶対正しい」というのもまだ結論が出ない問題だ。
そこから考えると、盤の大きさだって400年以上変えていないにも関わらず、
「これが一番いいから」
とは、なかなか言えないのではなかろうか?
案外試してみたら、「21世紀」だから「21路」がフィットするかも??
現在なら17路とか15路の方がスピーディに決着し、観る側にもわかりやすい感じもするし…。

もっとも木谷氏のコミの例を思い出したことで、「盤の大きさが違うことで『つまらない』と感じる棋士」の存在も、少しだけ理解できた気がする。

「視野が狭すぎないか」「保守的では」と思いは残るが、「現在の形への思い入れ」から、変化を「嫌う」という意味で「拒否感」を感じるのは、プロならではの繊細さといえるのかもしれない。

堂々たる銅

2007-01-27 23:55:32 | スポーツ
トリノで行われている、ユニバシアード冬季大会。

カーリング女子日本代表が銅メダルを獲得しました。

このチームは余湖選手以外は、ほぼチーム青森」で編成されています。
いつのまにか立派な公式サイトまで…。< 前からあった?

大学生の大会ですから、正直この成果が上々なのかどうかはよくわかりません。
このブログでは取り上げませんでしたが、フィギュアスケートは男子女子とも金メダルを獲得していますし。
ただ予選の厳しい道のりから、接戦のプレーオフの末準決勝進出ということと、3位を争ったのが強豪国スウェーデン代表ということを考えれば、まずは一定の成果なのかなと。

偶々、昨日世界選手権代表決定戦の再放送をBSで観戦したのですが、このチームの良いところは逆境に力を発揮する点。
その反面、私も見に行ったパシフィック選手権もそうでしたが、序盤のリードを勝ちきるだけの確実性に欠ける。
今大会でも準決勝のロシア戦は前半3点リードをひっくり返されていますし、3位決定戦も最終エンドで追いつかれ、延長戦の末ということからもわかります。
もう一つ、好不調の波が激しく、碁で言えば若き日の武宮、加藤といった感じなのです。
もっとも何があるかわからないところに、カーリングというスポーツの面白さがあるともいえますが。

青森で開催される世界選手権、そして将来のバンクーバーに向けて、その辺の向上が課題でしょう。

代表決定戦を観戦していて一言。
「チーム長野」のスキップ土屋選手が、将棋棋士の千葉凉子プロに似てる?!
「氷上の将棋」というゲームの類似性から、顔つきも似てくるのでしょうか。

………んなわけない…!

カントリーマァムを食べられないなら…

2007-01-26 23:55:55 | 雑談
「キットカットを食べればいいじゃない」(鞠!アンタ、net)

私は甘いものが好きだ。

袋菓子類では「カントリーマァム」を好んで食べていた。
不二家の製品である…というわけで、今は入手困難。
まだ買い置きがあったりするのだが。

というわけで(?)、最近は「キットカット」の袋詰めに切り替えた(?)。

キットカットといえばこのシーズンはよく売れるそうで
「きっと勝つ」
というシャレから転じて、受験生の夜食の定番となっているそうである。
同時に
「きっとカット(足切り)」
の意味で、あまり験が良くないのではとも言われている…というのはしばしば耳にする話。

ただこの験担ぎ話は私が受験生だった頃はなかった。
キットカットは随分前から存在していたのだが?
いつからの迷信(?)なのだろう。

それとは別にこのキットカット。
確かになかなか受験生向けではないかと、食べて感じた。
中にウェハースが入っているせいか、一片食べただけでも結構胃が満足するのである。

というわけで、ネット碁をやるときは、PCの傍らにコーヒーとキットカット。
これが定番になりつつある。

囲碁における暗黙のルール

2007-01-25 23:55:55 | 雑談

時々、初手に黒1と打たれることがある。
ちょっと居心地が悪く、手が止まってしまう。

プロの棋士ならば
「黒右上隅小目」
と言えば、ほとんど例外なくAだと思う。
昔は覚えていないが、現在は例外なく私もそう打っている。

しかしそれはどうしてだろう?

右上に打つ理由としては、
「白が打ちやすいよう、下辺を空けておく」
という意味づけがなされている。
本当かどうかは知る由もないが、一応の理由は設定されているわけだ。
しかし小目の向きに関しては、それが見当たらない。

慣例といってしまえばそれまでだが、今まで並べた棋譜に黒1はなかったように思う。
慣例にしては強固なルール。
むしろ初手に右上隅に打たないケースの方が、プロ実戦例は多いのではなかろうか?

初手以外はどこに打っても良いということになっているが、昔武宮正樹プロが初手をBの星に打ったのに対し、小林光一プロがCに打ち、武宮プロが「カッ」となったという話がある。
Dでも同じであり、そう打つのが普通だから。
確か「武宮正樹名局細解」に記されていた。
これも本来、ルール違反ではないのだからカッとされる謂われはないが、やはり暗黙の了解というものが破られているのだろう。

ただそれほどまでに忠実に守り続けるルールに、理由がないというはちょっと不思議な気もする。

棋士は囲碁が好き?

2007-01-24 23:55:55 | 雑談
我ながら愚問を、タイトルに据えたものだと思う。

愛染さんのブログにこういう記述があった。
21路で打った人の(多分プロ)感想は両極端です。
 『広すぎてとらえどころが無くてつまらなかった』と『それなりに面白かった』


後者の「それなりに…」も気になるが、分からないのが前者。
「つまらなかった」とまでいう19路に拘る、その理由とは何なのだろうか?
「広すぎる」から「手筋が手筋でなくなった」り、「死活が変わってくる」わけでもあるまい。
多少、対局時間の増える煩わしさはあろうが。
精々、今までの「マニュアル」に修正が求められるぐらいで、結局は「読み」と「構想力」にいきつくだろうに…。
そんなことを言っていたら、「置碁」ですら「つまらない」ということになる。
批判など強い意味合いではなく、単純に「何故なのか見当がつかない」。

そこでタイトルの疑問が浮かんだというわけ。

もっとも愛染さんも「(多分プロ)」としているわけだし、受け売りの受け売りだから、あまり細かく詮索しても仕方ない。
それに愛染さん自身も「9路盤だと別のゲームのように感じる」と述べておられるし、私が鈍いところもあるのだろう。
確かに9路ぐらいまで小さくなると、「別のゲームのように感じる」という感覚は理解できる。

もう一つ思い起こしたのは、「大逆転将棋2007」の中での羽生プロの姿。
番組中で提供される様々な趣向将棋を、羽生プロが実に楽しそうに眺め、
「いや、実際どう指すのかいろいろと考えていました」
とコメントしていたのが、実に印象的だった。
この人は本当に将棋好きなのだなと。
そこにどうしても、「つまらない」と仰った棋士(?)と落差を感じてしまうのだ。
やはり「好き」というのは、トップに立つための「十分」条件でないにしても、「必要」条件なのか?

冒頭に戻って、ほとんどの棋士が囲碁を好きだとは思うのだが、中には
「職業として仕方なくやっている」
という棋士もおられるかもしれない。
些かファンとしては夢を感じない話だが、我々だって
「好きでないけれど、活きていくために仕方なく仕事している」
人だった多いわけだから、とやかく言えることでもない。
スポーツ選手と似ていながら、スポーツ選手のようには「引退」出来ない面も考慮されるべきだろう。

もっともほとんどのスポーツ選手は、引退後が大変だから一概に比較出来ない話でもある。

それはダイエットに非ず

2007-01-23 23:55:55 | 雑談
世間を騒がせている「納豆ダイエット捏造」事件。
しかし騒ぎになったというものの、実害はそれほどでもない内容だったのが幸いだ。
そういう意味で「番組に『だまされた』と抗議した人」の気持ちはわかるが、些か滑稽さを感じるのを否めない。
普段納豆を購入している人が、買えなかったという抗議なら理解できるのだが…。

むしろこの事件で目を向けるべきは、情報を自ら取捨選択する能力の乏しさ、メディアに容易く流れる傾向、そして「ダイエット」という言葉に過剰に反応する、現代日本人の問題点にあると思う。

特に3つ目の問題は、仮にこれが「ダイエット」でなく「頭が良くなる」とか「肩こりに効く」などなら、売り上げは伸びるにせよ、スーパーから消えるなどというところまではいかなかったのではないだろうか?
以前、中国の怪しい「痩せる」という謳い文句の漢方薬を服用し、体に異常が出たニュースがあった。
外国人モデルが日本のダイエットの風潮から、「ダイエット」に対する強迫観念陥り、拒食症になって亡くなるというケースもあった。
これら3つのケースからも多く日本人が如何に、「ダイエット」という言葉に過敏になっているかが伺い知れる。

しかし本来「ダイエット」とは、「適切な食事をし、正常な体重になる」という意味であった。
決して「痩せれば良し」という意味ではないのである。
これは私の恩師の口癖。

それなのに乱れた食生活を、ある特殊な食べ物や方法で、無理矢理誤魔化すという形が、「ダイエット」として蔓延している。
また多くの正常な体重の人が、むやみやたらに「痩せよう」としている。
これはおかしい。
それはもう既に「ダイエット」ではない。
まぁ、言葉は変容するものではあるけれど。
しかしどうせなら「納豆」を勧めるより、まず「ロデオボーイに乗りながらポテチを食べる」ような人の姿勢に、警鐘を鳴らしていただきたいものだ。

知人のスレンダーな美女が
「私、ダイエットしないと」
などと発言するのを聞くと、その異常さに背筋が寒くなる。

これは決して私が、「ムッチリした」女性を好むからではない。

大逆転将棋2007の謎

2007-01-22 23:55:55 | 雑談
大逆転将棋2007」を観ていて不思議だったのは、
「何故、今回からアシスタントが華原朋美さんから嘉門洋子さんに変わったのだろう?」
ということ。

ググった結果、朋ちゃんの休養宣言に伴うものだったという憶測はなりたつ。

しかし朋ちゃんは連盟の将棋道場に通ったこともあるということだったが、嘉門さんはどういう繋がりなのだろう?
wikiには
「アクションも出来る肉体派女優」
とあるが全然将棋っぽくないし。
とはいえ着物は似合っていたし、上品な感じでもあったし、綺麗所が一人いれば良かったという位置付けなのかな?