kikoがスタート

2005年8月にスタートしました。
私が観た(見た)、感じた、覚書き、気になることを書いてます。(^^ゞ

京都・西陣 興聖寺①40年ぶりの公開「古田織部ゆかりの 織部寺」

2022年01月23日 | 京都
22日午前1時8分頃、日向灘を震源とするマグニチュード6.6の地震があり
大分県、宮崎県では最大震度が5強でした。

22日 13時21分頃、また大分県で最大震度3の地震があったので、北九州市にいる知り合いに電話すると「夜中の地震は揺れて怖かったよ。プールで歩いていたけど、コロナで止めてから右ひざが痛くて病院通いして少し良くなってきたところなの・・・」心配でしたが、お元気な声を聞けて良かったです。

私は「スイミングを止めてから、また太ってきましたよ!」と
報告しましたが、いつまでこんな生活が続くのかな・・・(*_*)

京の冬の旅「西陣 興聖寺」の公開が40年ぶりなので
宝鏡寺門跡を出たあと向かっています。


たけびしスタジアム京都(西京極陸上競技場)からスタートして
堀川通りを走るようです。

西陣 興聖寺

興聖寺は、宝鏡寺門跡から歩いてすぐの所にありました。


臨済宗興聖寺派の本山で、茶道織部流の祖でもある
武将・古田織部との関わりから「織部寺」とも呼ばれています。


拝観予約していませんでしたが・・・


大丈夫でした。(^^♪


入ると右側に鐘楼があり


正面に、織部寺とも呼ばれる江戸時代の本堂が見えます。


右手に見えるのは庫裡のようです。


本堂の近くにきましたが


入口は・・・この先です。


本堂へは、この渡り廊下を行くようです。


この入口は、左の本堂と右にある方丈を繋いでいるようです。


それでは、本堂に向かいます。


江戸時代に建てられた本堂(仏殿)には天井に「雲龍図」が描かれ
ご本尊である釈迦如来を中央に、武将・藤堂高虎の寄進と伝わる
左に藤堂高虎の寄進と伝わる達磨像、右に弥勒菩薩が祀られています。


もとは仏殿として建てられましたが、そのうち法堂(はっとう)を兼ねるようになり、仏法を説く場所として使われていました。


本堂内は写真禁止なので
本堂から見えるお庭を撮りました。(^^ゞ

興聖寺では、青が印象的な「青波の襖」(海中写真)が奉納された方丈、茶室「雲了庵」、地面を深く大きく掘り下げ螺旋状の石段を降りた先に手水鉢を据えた「降り蹲踞(つくばい)」を見ることができましたので、次へと続きます。

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2 コメント

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再開されたのですね(o^-')b グッ! (Sera)
2022-01-24 08:58:26
久し振りに見せていただいたら更新されていました。

人気のブログですのでこれからも続けて下さいね。
返信する
Seraさんへ (kiko)
2022-01-24 16:27:54
Seraさん、こんにちは。
この間はありがとうございます。
>人気のブログですのでこれからも続けて下さいね。
私のブログは、行った所などの記録のような拙いブログですが
訪問して下さるブロガーさん達には感謝しています。これからも、よろしくお願いします。
返信する

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