kikoがスタート

2005年8月にスタートしました。
私が観た(見た)、感じた、覚書き、気になることを書いてます。(^^ゞ

京都・宝鏡寺門跡「百百(どどの)御所と呼ばれる 人形の寺 」

2022年01月22日 | 京都
大阪府・兵庫県・京都府の3府県は21日、「まん延防止等重点措置」の
適用を国に要請することを正式に決定しました。

そして21日、厚生労働省が5歳から11歳の子どもを対象に
新型コロナワクチンについて特例承認しましたが・・・
ワクチンが子供たちの将来にどんな影響があるか心配ですね。"(-""-)"

報恩寺さんを出て、西陣・興聖寺さんへ向かう前に
「宝鏡寺門跡」へ忘れずに行こうと思っています。


写真の左に見えているのが、いまから行く宝鏡寺さんですが
その手前にあるのは何でしょう~?


気になったので立ち止まると
「明治十三年・・・」の文字が見えます。


説明板があるので見ると「小川と百々橋の礎石」


この場所には、本法寺や報恩寺の東に小川が南北に流れていたようです。


百々橋(どどばし)は、当地を南北に流れていた小川に架かっていた橋(長さ約7.4m、幅約4m)で、橋名は、応仁の乱以前の風景を描いた『中昔京師地図』に「百々の辻」と記載されている 。


この礎石は、小川に架かっていた「百々橋の礎石」でした。
報恩寺さんの門前でみた石橋は、この小川が続いていたのです。


そして、「上杉本洛中洛外図屏風」から
宝鏡寺さんの横を小川が流れていたことが残っていました。

旧百々御所 宝鏡寺門跡

「宝鏡寺門跡」は、報恩寺さんへ向かう道で見た
『百々御所』と呼ばれているのが気になったお寺です。


宝鏡寺は「人形寺」とも呼ばれ、中世の京都に栄えた尼五山第一位の景愛寺の法灯を今に受け継ぐ尼門跡寺院でした。

開山は、景愛寺第六世の光嚴天皇(こうごんてんのう)皇女華林宮恵厳(かりんのみやえごん)禅尼で、後光厳天皇より宝鏡寺の号を賜りました。

その後も、多くの皇女が歴代となり
「百々御所(どどのごしょ)」という御所号も賜っていました。


入って右の方を見ると、塚が見えました。


塚には、京人形を象徴する
御所人形が彫り込まれています。


その台座には・・・

人形よ 誰がつくりしか
誰に愛されしか 知らねども
愛された事実こそ
汝が成仏の誠なれ
   武者小路実篤


孝明天皇の人形をはじめ由緒ある人形を数多く保存しています。
春・秋の「人形展」では、一般公開されるそうです。

10月の人形供養祭には、この日に持ち込まれたお人形を並べ、年に一度の総供養の日として、受付で名前を書いていただいた紙のひとがたの灰の一部が人形塚に納められ、寺内で盛大にお勤めが執り行われるそうです。

旧百々御所 宝鏡寺門跡
〒602-0072  京都市上京区寺之内通堀川東入ル百々町547
TEL:075-451-1550
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