kikoがスタート

2005年8月にスタートしました。
私が観た(見た)、感じた、覚書き、気になることを書いてます。(^^ゞ

京都・衣笠街道「木辻馬代の‟馬代”と北野天満宮の所在地名‟馬喰”」

2019年05月26日 | 健康ハイキング・歴史クラブ・教養講座

衣笠(きぬかけ)街道を西へ歩いていくと「木辻馬代交差点」がありました。


木辻馬代(キツジバダイ)と読み
馬代通りと木辻通り(きぬかけの道)の交差点です。


交差点の北側には、衣笠西馬場町の地名があり・・・
北野天満宮の所在地である『馬喰町』という地名が気になりました。

◇北野天満宮の所在地である『馬喰町』を調べてみると
北野天満宮東側が外堀だったころは(現在は参拝者の駐車場)
右近衛大将であった菅原道真公の馬場があったそうです。

◇馬喰(ばくろ・ばくろう)は
伯楽とも書き。古くは伯楽の字が用いられ、馬のよしあしを見る人
または馬の病を治療するものを指したが、中近世では牛馬の売買
あるいはその仲介を業とするものを意味するようになったそうです。

◇馬代(ばだい)とは
「馬代」という地名に直接結びつく由来はありませんでしたが
平安京域の北西あたりに平安京建設以前にあった「綿代郷(メテゴウ)」
の名が転訛したのではないかといった説が紹介されていました。

◇衣笠には諸説ありますが
かつて洛中で亡くなった民衆は、洛外の葬送の地に葬られていました。
当時は風葬なので、遺骸を覆い隠すのに覆う布棉が絹かけや衣笠でした。
死者が放置され葬られていた山が、のちの衣笠山となったと伝わります。

また、宇多天皇が真夏に雪が見たいと望まれたので、山に白絹をかけたと
いうことから「衣かけ山」と呼ばれたとも言われているそうです。

気になる名前はたくさんあって、分からないことも多々ありますが
気になることから、色んなことを知ることが出来ました。(^^ゞ
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