kikoがスタート

2005年8月にスタートしました。
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特別展・古代メキシコ ⑦「マヤ文明~アステカ 文明」 完

2024年05月12日 | 美術館・博物館
マヤ文明

「赤の女王」をイメージした赤いマネキンに
マスクや冠に胸飾りなどの展示された空間から出ます。


 第3章-5 チチェン・イツァ マヤ北部の国際都市
115 モザイク円盤

戦士が腰の後ろに着けた鏡の飾りです。
チチェン・イツァの大広場中央にあるピラミッド、エル・カスティーヨで出土した。トゥーラの戦士の石造にも表現されており、両都市のつながりを示す。


116 チャクモール像

後古典期のチチェン・イツァやトゥーラで多く見つかる彫像で、アステカにも受け継がれました。



お腹の部分がお皿のようになっており、供え物や時には生贄の心臓が捧げられることもあったとみられます。


 第4章 アステカ テノチティトランの神殿
アステカは14世紀から16世紀にメキシコ中央部に築かれた文明。



首都テノチティトラン(現メキシコシティ)は湖上の都市であり、中央にピラミッド型のテンプロ・マヨールと呼ばれる大神殿があります。


119 メキシコの国旗に使われている鷲の図表

国旗の中央に国章で描かれている鷲は国鳥で、蛇をくわえた鷲がサボテンに止まった場所に帝都(現在のメキシコシティー)を築いたという「アステカの建国伝説」に由来します。

古代メキシコでは、鷲は太陽の力
蛇は地の力を表すとされていたそうです。

123 鷲の戦士像   

テノチティトランの中枢には、太陽と戦争の神・ウィツィロポチトリ神と、雨と大地の神・トラロク神を祀った一対の荘厳なピラミッド型の大神殿、テンプロ・マヨールが建てられていました。鷲の戦士像はその大神殿の北側にある「鷲の家」で発見されたもの。高さ170㎝の等身大で迫力があります。


戦闘や宗教に重要な役割を担った王直属の「鷲の軍団」の戦士とみなす専門家が多いようですが、戦場で勇ましい死を遂げて姿を変えた戦士の魂であるとか、ウィツィロポチトリの姿を表しているとか、今でもさまざまな説があるようです。


127 トラロク神の壺

雨と大地の神であるトラロクはメソアメリカで最も重要視され、多くの祈りや供え物、生贄が捧げられた神です。水を貯えるための壺にトラロク神の装飾を施すことで、雨と豊穣を祈願しました。

テオンティワカン文明:350年~550年
マヤ文明:600~950年
アステカ文明:1486~1502年

※メソアメリカとは
16世紀のスペイン侵攻まで様々な古代文明が栄えた文化史的領域で、その伝統が今も続いています。一般的にメキシコの大部分と中央アメリカのグアテマラ、ベリーズ、エルサルバトル及びホンジュラス、ニカラグア、コスタリアの一部を指します。

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