これまで、お読みいただいた方には感謝とお礼を申し上げます。
この度、「kenroのミニコミ」は、Amebaの「kenro-miniのブログ」として
引っ越しいたしました。(https://ameblo.jp/kenro-mini/entry-12921512846.html)
今後は、Amebaでお会いできる日を楽しみにしております。
よろしくお願いいたします。
kenro5
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美術における「リアル」とは何か? 近代以前の宗教画が中心だった時代、目には見えない神の姿やとてつもなく過去であるイエスやマリアを画家は描いたが、それは彼らや見る者にとって「リアル」であった。近代に表現主義の時代が訪れると、具象と抽象という概念が席巻した。美術の中でこの具象・抽象を説明する最も簡単な分類として具体的な対象物の再現性にこだわるのが具象で、そうではない作者の構想の方が重視されるのが抽象と説明されることがある。大筋で合っていることもあるが、ことはそう単純ではない。
例えばルーマニア生まれの彫刻家コンスタンチン・ブランクーシ。抽象彫刻の代表作家とされるが、彼の主要モチーフである鳥のシリーズは、《雄鶏》《空間の鳥》といった具体的な作品名が付けられ、作家にとっては「具象」であるのが明らかである。しかし、それら作品をブランクーシについての知識なく見た者の多くは「抽象彫刻」と思うだろう。徹底的に削ぎ落とされた矩形の塊は幾何学的抽象の範疇に捉えるだろう。
では対象物をできるだけホンモノらしく描けば「リアル」なのであろうか。実は、西洋画が入ってきた開国以降の日本で、そのリアルと格闘したのが日本美術史でもあったのだ。本展はその歴史と、近世における日本画(この呼称も近代以降のものだが)の試みにも言及しながら、その発展性とその後を読み解く。
江戸時代末期油彩画の魅力にとらわれた高橋由一は、まだ日本人の多くが扱い慣れていなかった油彩でリアルを追求した。《鮭図》(19c後半)はいくつもの作例があるが、支持体の木目と見事に調和し、見る者を驚かせたに違いない。20世紀に入ると岸田劉生の筆力はまた日本での“リアルな”油彩画の発展に寄与したことであろう。それらと並行するように日本画もより写実力を増していく。しかし、画材が違うとはいえ、江戸時代から円山応挙ら写生の魅力に画期をなした画家らをはじめ、岩絵具など画材で油彩画の表現力と格闘した者も多い。日本における「西洋画」濫觴と言われる司馬江漢や秋田蘭画を想起すれば理解しやすいであろう。
本展では、近代美術を席巻したキュビズムやシュルレアリスムを「リアル」の追求形として俎上に載せる。つまりキュビズムは多角的視点で対象物を見、描くことにより、私たちがすでに知っている「現実」とは違う「現実」がありうることを見せつけた。さらに、「シュルレアリスム=超・現実主義」は、「現実」を描いている(はずである)のに、違和感を催す一つの傾向がある。西洋画ではマグリットやキリコなどが想起されるが、日本のシュルレアリスムは、むしろその傾向が強い。古賀春江《海》(1929)は、実在の対象物ばかり描きながら、それらが併存している近未来のような不可思議さに溢れているし、三岸好太郎《海と射光》(1934)は、その一つの到達点と言えるかもしれない。
多分展示の全体統括をした尾崎信一郎館長の特徴がでているのか、章ごとの説明文は少々難解である。尾崎館長は近・現代日本・西洋美術が専門であり、キュビズムやシュルレアリスに関する著作や図録監修も多い。館長の展示意図を全て咀嚼し、ここで屋上屋を重ねるような稚拙な解説は控えるが、リアルの追求の観点から西洋と日本を行き来し、また、その先に「境界を超えて」として「分断された現実を超えゆく力としての美術、未来に向けた一つの希望を展示する」と終章をしめる。作品にはジェンレレーションやトランス(ジェンダー)に触れたもの、まさに《ここに境界はない》(シルバ・グプタ 2005-2006)と曽爾とズバリと宣言した作品もある。
そして、鳥取県という郷土が誇る早逝の画家・前田寛治の作品がいくつも取り上げられていることに注目したい。前田は、東京美術学校卒業後、渡仏、帰国後里見勝蔵らと「1930年協会」を創立しこともあり、フォービズムの騎手と目されることも多いが、それはあくまで表現手法であって、前田が目指したものはやはりクールベばりの「リアル」であったのであろう。それがよくわかる展示であり、また、日本全国から集めた逸品も素晴らしい。そして話題になったアンディ・ウォホール《ブリロ・ボックス》(1968)ももちろんある。
日本で一番新しい公立美術館の今後に期待する。
「首相は「日本を取り戻す」とおっしゃいますが、その日本に沖縄は入っているのですか?」翁長雄志沖縄県知事が時の安倍晋三首相に問いかけた言葉だ。安倍首相は答えなかったという。
沖縄は日本なのか?そもそもの問いが発せられる背景は、沖縄が「別扱い」されてきたことによる。別扱いは特典ではない。差別である。1972年、日本に「復帰」した沖縄は、「核抜き本土並み」と約束したにも関わらず本土並みには程遠かった。県土の多くを占める米軍基地である。そして、土地を占有しているだけの意味ではない。地位協定という差別構造を国家が容認した制度のもと、沖縄の人民は被差別の立場を強制されてきた。米軍人の犯罪を告発し、日本の刑法制度のもとで審理できないのだ。1995年の少女暴行事件は、その不平等性に県民が怒り、米軍基地があるから、基地が集中しているから起こり得た許されざるべき犯罪と怒った。時の県知事は大田昌秀。
大田は1925年生まれ。戦時中「鉄血勤皇隊」動員の経験もある。研究者の道を歩んでいたが、90年に知事選に担がれた。任期中に起こったのが先の暴行事件であり、行政のトップとして謝罪した。しかし、駐留米軍の存在、しかも国内で74%もの基地が集中する実態は一人沖縄県知事の責任ではない。そして、在任中には軍用地の強制使用代理署名を拒否し、国から訴えられた。大田は言う。「憲法より地位協定が上位にある」。
大田知事を激しく攻撃したのが翁長雄志県議。その当時の翁長から見れば、政府との「交渉」をうまくこなせず、頑なな姿勢は沖縄の将来をきちんと考えていないと映ったのかもしれない。しかし、沖縄の将来をきちんと考えていないのは、いや現状を見ていないのは政府そのものと知ったのは翁長自身であった。
県外移設を公言した鳩山政権、そして再び自・公政権になり、地域協定は動いたであろうか?何も変わっていない。それどころか、マヨネーズ並みの地盤に途方も無い数の杭を打ち込むことで辺野古新基地に邁進する政権。さらには、中国の脅威との理由で、沖縄本島を含め南西諸島に大規模な自衛隊施設、要員を注ぎ込む。自衛隊が入り込めば地域振興になると倒錯した発想で受け入れる首長もいる中、沖縄の市民は再び戦争の最前線に立たされている。その既成事実、構造の前で「沖縄は日本に入っていない」。
大田や翁長が見せる苦悩は、県民全ての苦悩でもある。その苦悩を見ずして「寄り添う」と連発した首相もいた。その首相と沖縄以外の日本(人)も同じである。(太陽(ティダ)の運命 2024 監督:佐古忠彦)
信者数13億とも14億とも言われるから、世界人口の5人に一人がキリスト教徒との計算になる。それほど巨大な「世界宗教」のトップの選考に注目が集まるのは当然である。しかしバチカン市国のトップでもある教皇はあくまで人であって神ではない。教皇は世界中の枢機卿から選ばれるのだから、その枢機卿の「人間臭さ」も当然教皇選出のファクターとなる。
バチカンという閉ざされた空間の、それも教皇選挙(コンクラーベ)の期間中を描いた画面はほとんど室内のみ、限られた人物をヒューチャーしているだけなのに、このスリリング、迫力はどうだ。いや、狭い場所と多くのシーンを首席枢密卿、コンクラーベのマネジメントを司るローレンスに焦点を当てているだけでかえってそれらが増すのだろう。傑作であると思う。
2000年の歴史と世界地図のほとんど全てを網羅するキリスト教である。世界史の縮図と言っていい。そこには当然改革派(リベラル)と保守派のヘゲモニー争いがある。監督のエドワード・ベルガーはカトリック教会を「世界最古の家父長制」と呼んでいる。カトリックが女性神父を認めていないことなどを指すが、ずらりと並ぶほとんど高齢の枢機卿は男性ばかり。下働きのシスターの女性たちの姿は見えるが、男性側からはそれは「見えない」存在となっている。しかし不可視の存在側からは「見ていない」わけではない。ローレンスを支えるシスター頭が重要な役割を演じる。
2025年4月現在病床にあるとされるフランシスコ教皇はアルゼンチン出身で、「改革派」とされる。婚姻は男女間のものとする一方、同性カップルにも「祝福」を認めると発言している。世界中から集まる枢機卿であるから、地元ではすでに同性婚が認められた国、イスラム教が多数派の国からも集まる。現実の世界でもヨハネ・パウロ2世はポーランド、ベネディクト16世はドイツ、フランシスコとイタリア以外からが続いている。映画では、教皇はローマから出すべきだと地域(独占)主義を訴える者もおれば、イスラム教徒との「宗教戦争だ」と息巻く者もいる。しかし、ローレンスはじめ、改革派の路線を進めたい者たちとの抗争は激化。アフリカから初の教皇選出かと思われた者は過去の性スキャンダルが、それが明らかになるよう画策した保守派、さらにはイスラム世界、紛争の地カブールから赴いた若く清廉なベニテス枢機卿(メキシコ出身)がどんでん返しで教皇に選出されるが、そのベニテスこそ重大な秘密が。
候補者らの汚職、陰謀などを明かす重要な役割を演じるシスター・アグネスは「私たちシスターは目に見えぬ存在ですが神は目と耳をくださった」。家父長制が引き起こす醜い争い、愚行は家父長制のヒエラルキーから排除された者だからこそ、冷静かつ「神の正義」に基づいて観察しているということだろう。
折しも、トランプが牛耳るアメリカでは、DEI(Diversity、Equity、Inclusion 多様性、公正性、包摂性)を排除する動きが顕著である。反民主主義的価値観、動きが家父長制と親和性が高いことは明らかである。日本も例外ではない。(「教皇選挙」2024 アメリカ・イギリス)
2025年の3月末で千葉県佐倉市のDIC川村記念美術館が休館するので、足を伸ばしてきた。京成佐倉からバスに揺られ、あの素敵な空間へ。休館というが、この地で見えることができるのはこれが最後。実質閉館と言っていい。であるからかたくさんの人出だ。
人の波を抜けてロスコ・ルームに至る。静謐な空間とはこの部屋のためにある表現である。ロスコの作品を前にすると自身が吸い込まれていくような感覚になる。赤茶けた四角の画面が7点からなる〈シーグラム壁画〉は、世界で3カ所かしか臨めないという。7点の「赤茶けた」は同じではない。そこにリズムもある。さらに吸い込まれるのは自分の時間もだ。一体、このペインティングにしか見えない画面になぜそのような力があるのか。ロスコは作品展示の仕方にとてもこだわり、いったん契約したこれらを飾る予定であったレストランとの契約を解除した。空間そのものを手に入れたいとしたロスコらしい。今、その眼福に与れるのは至福の極みだ。2階にはフランク・ステラが贅沢な距離で観る者を囲み、順路の最後に位置するホールは昔モーリス・ルイスの1点のみがあった。今回は、残念ながら展示されていなかったが、窓の外に広がる木々はマグリットの絵のようだ。この空間に二度と身を置けないのかと思うと自然に涙が出てくる。さようなら、川村美術館。
都内に出て、東京国立近代美術館へ。企画展はスウェーデンが生んだ抽象絵画の先駆者ヒルマ・アフ・クリント。若い頃にキリスト教神秘主義に触れ、以後キリスト教の世界とスピリチュアルを混合、融合した作品を編み出した。20世紀抽象芸術を代表するカンディンスキーやモンドリアンも一時神智主義に傾倒していた。クリントの図案もカンディンスキーを彷彿させると見ていたら、クリントの時代が先である。彼らより「先駆けた」意味が納得できた。
東京近美はコレクションが素晴らしい。今期(2025.2.11-6.15)でも、美術書で会ったことのある名品が居並ぶ。いや、美術史を学ぶために必須のラインアップと言えるだろう。美術史や作者・作品の背景を知るだけなら、書籍やネットに頼ればよい。しかし、美術館に来る意味は、知識として得ていたものが実作と相対することによって、言うならば理論と実際が合体する、できるということである。そして、これら作品群に触れることにより、美術史が腑に落ちる。それは、日本と海外の作品が綿密に考えられた上に配置され、その連関性が推し測ることができるからだ。開国、明治以降怒涛のように持たらされた西洋文化(美術)は、それを受容、模倣するのに躍起だった時代①を経て、明治中期には東京美術学校油画科の設立など、自前の洋画を確立②、20世紀に入ると留学する者も増え、また西洋の前衛にどんどん触れた③。大正期には、日本自らで前衛を模索、構築する。同時に日本的な西洋画を追求する者も出た④。しかし、昭和期には自由な表現活動はどんどん圧殺され、やがて実績、腕のある画家ほど「彩管報国」に加担し、従軍画家も数多く出た⑤。そして戦後。占領期、アメリカ一辺倒の時代、さらにヨーロッパの息吹を得て、独自の前衛を生み出していった。そして現在に至る。展示に沿って言えば、①は浅井忠《山村風景》(1887)、②は原田直次郎《騎龍観音》(1890)、③は恩地孝四郎《抒情『あかるい時』》(1915)、④は飯田操《風景》(1935)や靉光《眼のある風景》(1938)、⑤は藤田嗣治《血戦ガダルカナル》(1944)などにその一端を見ることができるだろう。これらを補強する時代時代の西洋の作家、エルンストやロベール・ドローネー、ジャン・アルプなども展覧される。
東京近美のコレクションは美術史のコレクションである。
アーティゾン美術館の「ゾフィー・トイバー=アルプとジャン・アルプ」展を帰阪前に見た。アルプといえば多分ジャンだけが想起されてきたように、妻ゾフィー・トイバーの名は置き去りにされてきた。確かにゾフィーは1943年不幸な事故で早逝したため、その画業に注目されてこなかったのは事実であろう。しかし、ゾフィーはジャンの付属物でも、その芸術的功績はジャンの模倣やトレースでもない。ジャンと出会う以前からスイスで自己の地歩を固めていたゾフィーは、早くから構成主義的デザインに才をなし、その発想はマレーヴィチなどより早くに実現していた。それは絵画にとどまらず、建築やポスターデザインなど驚くほど多岐にわたる。リンダ・ノックリンの『なぜ偉大な女性芸術家はいなかったのか?』を引くまでもなく、芸術家イコール男性というウルトラ・ジェンダー・バイアスの元に女性芸術家に光が当てられず、言及もなかった。それが変わりつつある。
首都圏への遠出は色々負担も多い。しかし、川村美術館、東京近美に行って本当に良かった。川村美術館は、六本木に国際文化会館の別館として再出発するという。だが、コレクションの4分の3は売却する。
2024年の日本の小中高生の自殺は527人で過去最多という。子どもの数がどんどん減っていて、全体の自殺者は減っているのにこの数値だ。G7の中で10〜19歳の死因で自殺が1位なのも日本のみだという。自殺の原因は「学校関係」とあり、当然いじめが想定される。1994年に起きた愛知県西尾市の中学生自殺事件は、同級生からによる壮絶な暴力と恐喝が原因であったことが、少年の遺書から判明している。苦しくなる。
小学校に入学したばかりの7歳のノラ。友だちもできず、3つ上の兄が頼りだ。でも、お弁当の時間は勝手に移動して兄アベルの元に行ってはいけないし、その兄がトイレの便器に突っ込まれるなどいじめられているのを目撃してしまう。アベルに誰にも言うなと口止めされるが、お父さんに伝えてしまう。するとアベルの予想通りにいじめはひどくなるのだ。友だちもできつつあり、今度は見て見ぬふりをして、過ごそうとするノラ。一応、いじめる側の保護者と和解し、アベルへのいじめは止んだが。今度は、アベルが体格のより小さな子をいじめている現場に出くわす。ノラのとった行動は。
目線と視界がすばらしい。カメラはノラの目の高さだ。そして、被写界深度の浅い視界で、すぐ近くにしか焦点が合っていない。そう、子どもの視界は大人よりずっと狭いのだ。それは子どもの社会自体が狭いことの現れだ。そう、子ども、ノラにとっては「校庭」が世界のすべてなのだ。しかし、社会が狭いことと、意識や思索の範囲、可能性といった大人にとっては当たり前の抽象的観念が狭いことと同一ではない。それを論理的、説得的に表現する語彙、伝え方を持たないだけで、表せない、的確に訴えられないことも考えていないことと同義ではない。
これほどまでに子どもの視点に立った演出、カメラワークに驚嘆する。余計なBGMもない。子どもをめぐる問題は、大人が介入して解決しようとするが、そもそも大人は気づいていない。それが痛いほどよく分かる。そしてまだ小さく、非力なノラに何ができるのか。何をしなくてはならないのか。もどかしいが、子どもをめぐる真実でもある。この痛みを誰に、どのようにして、なぜ伝えればいいのか。伝えれば、自分もアベルも楽になるのだろうか。見ていてとても、とても痛い。
愛知県西尾市の事件当時より現在では不登校という選択はしやすくなった(ただし、同事件ではいじめる同級生が被害者を毎朝家まで迎えに来ていたという。)。だから大人は、社会は、学に行けないなら行かなくていいよとのコースを提示はする。しかし、基本的に学校は行くものと大人も子どももその規範を内面化していて、不登校の子どももその状態ゆえに自分を責め、時に自ら命を断つ子もいる。不登校が必ずしも安心できるアジールにはならないのだ。
舞台のベルギーでは、学校には肌の色の違いなどいろいろな子もいるようだ。だが、いじめの背景は人種や障がいなどを理由にする差別と原因がはっきりするものばかりでない。むしろ、人種や障がいなどによる差別は大人社会の反映であって、子どもの間に起こるのは体格の違いや、「いじめやすい」からといった、まさに「視界の狭い」理由によるものも多いだろう。こう書く私自身、子どもの頃、体が小さく、気が弱く泣き虫で「男らしくない」ことでよくいじめられた。苦しかった。
カメラワークといい、進行、アンチエンディングの手法は、ベルギー映画で子どもの世界を描いたら随一のダルデンヌ兄弟の作風と酷似している。脚本も書いた新鋭のローラ・ワンデル監督はダルデンヌ兄弟から多くのことを学んだと語っている。納得した。(Playground/校庭(英題) 2021ベルギー映画)
「美は細部に宿る」としたのは、バウハウスの最後の校長で渡米後、近代建築の3巨匠とまで言われたミース・ファン・デル・ローエである。デザインにおいて近代合理主義精神を体現したバウハウスの教員、学んだ者らがナチス政権下で追われ、アメリカなどに逃れた例は多い。ローエのほか、本作のモデルの一要素となったであろうモホリ=ナジ・ラースローはバウハウスで写真や舞台芸術など幅広い分野で教鞭をとった。ハンガリー出身のモホリ=ナジは、ナチスが政権を取った際オランダに逃れたが、やがてアメリカに亡命している。
「ブルータリスト」の主人公ラースロー・トートは架空の人物であるが、デッサウのバウハウスに学び、収容所に囚われたが生き延び、戦後なんとかアメリカに渡ることができる。愛する妻エルジェベートと姪ジョーフィアを残して。二人の生死は定かでなかったが、やがて富豪のハリソン・ヴァン・ビューレンに見出され、大きな礼拝堂建築を任される。そして二人をアメリカに呼び寄せることもできた。酒とドラッグに頼りながらも仕事をこなすが、戦時中の栄養不足で車椅子生活となったエルジェベートとの関係もギクシャクし、ハリソンとも対立する。トートはアメリカでの成功物語の主役となれたであろうか。
215分、間に休憩が入る長尺の大作でトートを演じたエイドリアン・ブロディは二度目のオスカーを獲得した。迫害されたユダヤ人ら移民がアメリカンドリームを成し遂げる直裁的な作品に見えるが、同時にユダヤ人差別もあり、さらにはハリソン自身が名前からオランダ系と思われる。成功した者とそうでない者の陰翳、決して多くはない登場人物の格差が微妙に描かれ、20世紀のアメリカを象徴する物語となっている。トートと長い付き合いがある友人は黒人のシングルファザー、渡米後すぐのトートの面倒をみたいとこはユダヤ人だがプロテスタントに改宗している。生き抜くために、いや、生き抜かなければならないために皆「アメリカ」に適応しようともがく様がリアルに響く物語、歴史大作なのである。
ところで「ブルータリスト」は日本語にはなかなか訳しくい。英語のbrutalは荒々しい、粗野などの意味であるが、ブルータリズム、ブルータリストは50〜70年代のアメリカ、そして日本や世界に広まったコンクリート打ちっぱなしの建築様式を指す。現在第一線で活躍する安藤忠雄の建築を想起すればいいかもしれない。もちろん、安藤は流行からだいぶ後の時代なのでより洗練されていると評さる。あの装飾性を拒否するかのようなブルータルな出立は、50年代の美術動向であるミニマリズムや、60年代の日本の「もの派」の流れが建築の世界でも実践されていたのだ。
建築に限らず流行には当然栄枯盛衰があるが、ブルータリスト(リズム)は、コンクリートに装飾を施さない分、普遍的とも言える。しかし、装飾に頼らないということは建物そのものだけが勝負ということだ。建ち上がった際、人工的な光源に頼らない灯りの取り込み、その自然光の入り方など設計段階の準備はその点について、より複雑、緻密になる。それを成し遂げた感動は大きいに違いない。安藤忠雄の光の教会などの人気を見ればそれがよく分かるだろう。
教会建築の最高峰と言われるゴシックの大聖堂は全て西向きで、聖堂の最奥部にして最重要部の祭壇のあるアプスに東から陽光が指す構造となっている。ユダヤ教徒であったトートは未知のキリスト教会の構造、建築に格闘した。コンクリートの隙間から光がさし、祭壇にクロスを映し出す。彼のデザインは宗教的神秘さとともにアメリカの成功をも映し出したのかもしれない。(ブルータリスト。2024/アメリカ、イギリス、ハンガリー)
ちょうどジェニン難民キャンプで支援活動を続ける写真家の高橋美香さんからの窮状を訴える声に呼応して、友人が日本でカンパ活動を始めた。筆者も高橋さんの報告を読むなどして僅かばかりの支援をした。パレスチナ・ガザや西岸の状況に陰鬱な思いを抱えていたし、私たちの支援金ほどではどれくらい現地の改善につながるのか心許ないが、自己満足も含めてのことだ。
イスラエルによるガザ攻撃の説明記事では、よくパレスチナ自治区の(支配)地域が映し出される。南西のガザ地区と北東のヨルダン川西岸地区である。しかし、この地図の示し方は誤解を招くと本作のパンフレットに寄稿する高橋和夫放送大学名誉教授は指摘する。イスラエルにより80〜90%も破壊されたというガザ地区で、地元住民が確保できる区域は地図よりとてつもなく小さい、狭いのは明らかだが、西岸はそれよりかなり広く、十分に居住地域が保障されているではないかと見てしまいがちだからだ。しかし、高橋教授は西岸地区で、パレスチナ人が行政も治安維持も担っているのは半分ほどである事実をイスラエル側による入植地を示すことによって明らかにする。本当に虫喰い状態で、パレスチナ人が互いに行き来することを困難にするよう企図しているからだ。
「入植」とは実は字面ほど穏やかな実態ではない。バーセル・アドラーは西岸のマサーフェル・ヤッタ出身のパレスチナ人ジャーナリスト、活動家。ユヴァル・アブラハームはイスラエル出身の調査ジャーナリストである。この2人に加え4人組で本作の監督・制作・編集をこなす。画面に登場するのはほとんどがアドラーとアブラハームで、目の前でアドラーの故郷がどんどんイスラエル軍の重機で押し潰されていく。住民を銃で追い立て、時に抵抗する者を撃つ。軍と一体化した入植者は違法建築で裁判所の執行命令もあるとする。しかし、そもそもパレスチナ人の土地に暴力的に「入植」し、治安維持を名目にパレスチナ人を追い出しているのはイスラエルの方なのだ。これは、紛れもない侵略・占領と侵略者による「平定」である。しかし、住む場所を破壊された一家は洞窟に一時避難するが、「一時」ではないのが明らかだ。そして、イスラエル軍が破壊するのは住居にとどまらない、学校も公共の建物も。
パレスチナの苦境を描く映画はさまざまに制作されてきた。移動を妨げる「分離壁」をめぐる苦難と友との葛藤、そして命を賭した反抗を描く「オマールの壁」https://blog.goo.ne.jp/kenro5/e/a8a94075cb3d609f57aa59cc991273d8)など優れた作品も多い。しかしそれらは劇映画で、本作がドキュメンタリーであることの意味は大きい。ブルドーザーがついさっきまでパレスチナ人が住んでいた建物を押し潰し、撃たれる。全て生身の映像なのだ。カメラを向けるアブラハームらを軍が銃で威嚇し、追い払おうとする。逃げ惑い、揺れる映像もそのままだ。映されたくない、広められたくない悪行を自白しているようなものだ。ところが、入植者=イスラエルの狙いは確実に奏功している。故郷に戻ることを諦め、都市に出ていくマサーフェル・ヤッタ住民も少ないからだ。しかし、だからこそ、アドラーらは撮り続ける。
本作は2024年度のアカデミー賞ドキュメンタリー部門で作品賞を受賞した。ベルリン国際映画祭に続く快挙ではある。パレスチナに対するイスラエルの暴虐を絶対認めないドイツとアメリカでの受賞。現地で映像で、抵抗は続き、また支援を止めるわけにはいかない。(「ノー・アザー・ランド 故郷は他にない」2024ノルウェー・パレスチナ)
巷では「昭和100年」と浮かれている向きもあるが、100年前の1925年は、日本法政史上最も悪法の一つ「治安維持法」が制定された年である。当初「反共」、無産主義者を処罰の対象としていたのが、幾度かの改定によって自由主義者やキリスト者なども弾圧されたのは周知のことである。
「聖なるイチジクの種」は、厳格なイスラム法解釈のもと、女性にヒジャブの着用ほか様々な制限を課すイランの実状と、そういった性差別を一家庭内でも貫徹せんとして壊れていく「家族」の姿を描いた問題作である。監督・製作・脚本のモハマド・ラスロフは、政府による拘束を逃れ、秘密裏に出国。出国中に本国で「鞭打ち、私財没収、禁固刑8年」の判決が出されたことを聞かされ、公の場への登場があやぶまれたが、カンヌ映画祭会場に現れたのだった。カンヌでは審査員特別賞を受賞する。
裁判所に務めるイマンは、念願の調査官に昇進。仕事は、検察が請求するままに被告に死刑を含む重罰の許可証を発布すること。護身用のためと、上司から拳銃を渡される。ある日、その拳銃が寝室の引き出しから消えた。学生らの民主化運動に共鳴し、学内で重傷を負った友人を匿うなど「反体制的」な娘らと、何事にも夫に従順な妻ナジメ。一体、拳銃はどこへ、誰が盗んだのか。
イラン社会を描く本作のテーマは、「家父長制」と「監視社会」であると思う。イスラム国家、それも1979年の新米パフラヴィー政権の崩壊後、2005年から2013年まで大統領を務めたアフマディーネジャード政権下では、その家父長制的政策、強権主義が強まったという。イマン・ナジメ一家でもその姿はよく描かれる。娘二人は父親の庇護の元自由を謳歌できないばかりか、母ナジメは全て父親に従いなさいと言うばかり。自分の意見を持つことはない。
イマンの口癖は「神がお赦しになる/ならない」、「神の思し召しのとおり/でない」。そこでは一公僕たる自身の地位や職務もそこに帰することによって、疑ったり、深く考えたり、自立・自律に入り込もうとはしない。国家そのものが家父長制なのだ。
一方の「監視社会」は言うまでもないだろう。本作の着想の一つが2022年9月にヒジャブを適切に着用していないとし、道徳警察に拘束されたマフサ・アミニさん(22)の急死に端を発したヒジャブ(非着用)・デモである。イランにおいてもSNSの発展により、デモは瞬く間に全国に広がるとともに、そのSNSの傍受や取締りを政権側は強行した。映画でも娘らはスマホを巧みに操り、親が知らない情報を得るシーンが何度もあった。
ネット上に「殺人者」として氏名、住所などを晒され、家族を疑ったイマンは、田舎の旧家にナジメと上の娘を監禁して口を割らせようとする。辛くも逃げたナジメと娘らを追うイマンは完全に常軌を逸していて、下の娘に拳銃を向ける。
ラスロフ監督の描くイランはおそらく誇張なく、そのままで、そのような社会に危機を覚えているのは明らかだ。そしてなんとか「民主化」に繋げたいと。しかし、現状では監督はもう祖国には帰れまい。
映画の中でイマンや職場の同僚だったか、「外国が全てイランを悪者にしている。」との発言があった。現政権を支持する(せざるを得ない)層からは、そのように強権主義の合理化や納得できる説明が必要なのだろう。同時に不明朗な政権運営、警察国家体制にきちんと異議申し立てする若者らの姿もある。
イランよりはるかに「民主的」で強権国家ではない日本でも「家父長制」のくびきは強い。そして治安維持法がなくなったと言って安心できるだろうか。安倍政権下では「秘密保護法」「共謀罪」などの市民監視体制が進み、現在の経済安全保障体制下ではますますその重圧は厳しくなっている。軍事費増大の理由とともに政権が口にする「我が国をめぐる領海など周辺、いつになく厳しい国際情勢」。イラン政権支持者の「他国が自国を悪者にする」と相似形である。
「誰に食わせてもらっていると思うんだ!」。本書でも紹介され、解説の上野千鶴子さんが取り上げる近代日本での典型的な言い回しだ。これは、ずいぶん前に亡くなった私の父が、私の母である妻に浴びせていた言葉でもある。しかし、その言辞が「家父長制」の悪しき発現であると知ったのはずっと後のことだ。
強固に残る性別役割分業、選択的夫婦別姓が進まない「家制度」の残滓、政治でもビジネスでも女性が指導的立場に立てないなどなど。「家父長制」が原因、遠因と思われる現代社会の性差別は弱まってきたとの見方も、全く改善していないとの見方もできる。ではその「家父長制」はいつから、どこで始まり、長らえてきたのか。あるいは衰退しているのか。
本書は、人類の誕生から古生代の集団生活から紐解き、キリスト教など宗教との関係、産業革命後の近代まで時代に応じて「家父長制」は浸透し、その拡張したり、弱まったりの歴史を克明に記す。「家父長制」は字の如く父系社会が基本だが、母系社会ではもちろん見られない。だから、父系社会に見られる男子のみが相続するといった慣習はない。しかし、母系社会は、ステレオタイプな平和主義や協調主義ではない。このステレオタイプも家父長制が圧倒的に強い歴史の作為かもしれない。女性も戦士になるし、争いも起こる。当たり前である。
要はその時代、地域社会にとって「家父長制」を維持、温存、拡大する必要性があったのだ。日本でなら、明治以降男系男子しか認めない天皇制と、その神権天皇の赤子である国民全てが家長たるたった一人の男性に支配された「家制度」を想起すると分かりやすいのではないか。夫が妻の元に通った婚姻形態や、女性でも天皇になった前近代でそれは明らかだ。日本の例はさておき、興味深いのは、イスラム社会での女性の地位や、女性だけを蹂躙する制度や風習を女性自身が守ろうとすることがあるという歴史的変遷だ。イランではホメイニ師のイスラム革命前には女性の地位は高かったし、これはアメリカと結びついたパフラヴィー政権が資本主義の発展のためにそれを企図したこと。あるいは、革命後40年経ち、ヒジャブを強制されるものの男性を養う女性たちの存在。また、後者ではFGM(女性性器切除)を支持する女性たちの存在など。
根本的な問題は「家父長制」を支える言説が、「男の方が強くて賢い」「支配者に向いている」「女は出産・育児するから働く(戦う)のに向かない」など、根拠もない陳腐なものばかり、それも現代に言われることばかりということだ。例えば、戦争で女性が奴隷にされたり、略奪されるのは次代を産むからである。その構造を支配しようとする欲望こそ「家父長制」と考えるとストンと落ちる。
選択的夫婦別姓法制化に頑迷に反対する層は、安倍政権を後ろ押しした統一教会などの宗教右派と、安倍亡き後その意志を注ぐと鮮明にしている高市早苗議員などである。彼らは、戦前の日本のカタチ、それも大和政権から日本史を数えるとほんの半世紀ほどのことであるが、を最良・最上の政治体制とする価値観にまみれている。しかし、冒頭に指摘したような性差別が横たわるこの国の根本に巣食う「家父長制」をこそ破壊されなければならない。(『家父長制の起源』アンジェラ・サイニー 集英社 2024)
20世紀を代表するオランダは構成主義のアート・デザインのグループ「デ・ステイル」のリーダー、テオ・ファン・ドゥースブルフと盟友であったピート・モンドリアンが絵画に斜めの線を入れるかどうかで喧嘩別れした話は有名である。斜線を絶対に拒否したモンドリアンは、その後フランスに渡り、ナチスに追われて渡米するまでパリを拠点に活動した。
バウハウスの流れを引くウルム造形大学の最初の日本人女子学生となった吉川静子は、ウルムに進む素養と実力がすでにあった。最初の進学先である津田塾大学で語学力を磨き、東京教育大学(現筑波大学)で建築や工業デザインを学んでいたからだ。自己の影響力を広めようとバウハウスに乗り込んだドゥースブルフ、同時代にマレーヴィチはじめロシアを席巻した構成主義の流れなど、吉川のデザインには先達の遺産、功績、技量の全てが詰まっている。
しかし、全体のフォルムは正四角形を斜めにしたものや、円を用いるのに画面には縦と横の直線しか登場しなかった吉川の画業にモンドリアンの頑固さを見てとったのは、完全に筆者の無知ゆえである。計さされ尽くしたグリッド(格子)は、その色調、長短、カッティングの妙とも変奏し、頑固どころか自由であり、さらなる展開を期待させる。吉川がこのような旺盛な制作をこなしたのは1960年代から21世紀にまでわたる。デザイン作家がエアーブラシを駆使する時代に、筆で細かく丹念に、愚直に線を引く様は画家の描画というより、建築家の製図を思わせる。しかし、間違いなく展開図などではなく画なのだ。
吉川の評伝を見ると、キネティック・アートの大家ブリジット・ライリーとも親交があったことが判明する。歴史として扱われる構成主義にとどまらず、同時代の規則的、数理的なデザインも貪欲に取り入れていたことが分かる。さらにローマ滞在中には、日の出や落日を思わせる幾つものカラーを組み合わせた反円の中のグリッドを、20世紀も終わる頃には竹林から着想を得たのか、斜めのラインが躍動し、そして21世紀に入ると楽しげな水玉模様まで現れる。しかもそれらが全て考え抜かれたフォルム、配色、配置であるのに驚嘆させられるばかりだ。そして、幾何学的矩形しか登場しない作品群は決して無機質ではなく、名状し難いが精神的な明るみ、楽しさ、華やかさに溢れている。
思うに、構成主義的絵画の起源は、ヨーロッパにおける聖堂建築の緻密さや、後期印象派やキュビスム以降の表現主義とも関わりがあるのではないか。しかし、幾何学的矩形という意味では、ミニマルアートを牽引したアメリカでも昨年亡くなったフランク・ステラなど著名な仕事も多いが、ヨーロッパ的な緻密さ、繊細さは見られない。そして、障子や襖など、日常の生活デザインにグリッドがふんだんに現れる日本の美意識とも親和性が高いのかもしれない。
吉川は、通訳を担ったことが縁となり、スイス人デザイナー、タイポグラファーであるヨゼフ・ミューラー=ブロックマンと結婚し、生涯ほとんどをスイスで過ごした。吉川が日本に留まっておれば、このような偉業は成し得なかったのではとは考えすぎであろうか。
(「Space In-Between:吉川静子とヨゼフ・ミューラー=ブロックマン」展は、大阪中之島美術館 3月2日まで)
2021年4月19日、大阪市松井一郎市長(当時)が、新型コロナウイルス(COVID19)禍で緊急事態宣言が出されたら市立学校を全てオンライン授業にするといきなり発表した。その年の2月すでにオンライン授業を経験し、ネット環境などのインフラ不備や低学年も含む全ての児童へのオンライン授業はふさわしくないと考えていた大阪市立木川南小学校校長の久保敬さんは、それまでの市の教育行政への違和感も含めて松井市長に考え直してほしいと「直訴状」を直送した。これが久保さんの友人を介してネット上に一気に広まり、久保さんの意見に賛同する声とともに、松井市長・大阪市教育委員会側からの久保さんへの「事情聴取」が始まった。結果的に久保さんは8月20日に公務員の信用失墜行為として文書訓告を受けた。久保さんは翌2022年3月に定年退職し、文書訓告の撤回を求めて活動を続けている。
「型破りな教室」のファレス先生と久保さんの実践は同じではない。けれど、「教室」で描かれる子どもや学校現場の実態を無視した一斉学力テストや、その点数だけで子どもや学校を序列化し、いたずらに競争を煽る教育行政の姿勢、IT環境の不備、学力テストの予習以外の授業を認めず、学校に乗り込んで来る市長や、はてはファレス先生の停職まで、全て大阪の教育現場で実践されてきたことだ。「教室」はメキシコの国境の町マタモロスの学校での事実に基づく。2011年の出来事なので久保さんの事件より10年前のことであるが、上述の学校、教員への締め付けや攻撃は、大阪では2008年に橋下徹大阪府知事が誕生した時から進行していたことだった。
「教室」が大阪の状況と大きく異なるのは、貧困や暴力が町にはびこり、麻薬組織の抗争などで道に死体が転がる情景や学校に行かない、行けない、途中に消えてしまう子どもが少なくないという実態だ。もちろんテストの成績は全国最下位クラス。ごみの中から鉄屑など金目のものを拾っては生計を立てる父と暮らすパロマ、無計画に子を増やす家庭でヤングケアラーの役割を押し付けられているルペ、そして兄が銃や麻薬などの運び屋でそれを手伝うニコ。日本ならみんな小学6年生に当たる年頃。「裕福」や「恵まれた」環境と正反対の彼らのもとに赴任してきたのはちょっと熱血なファレス先生。机を取り払い、校庭に飛び出す実践的な授業で生徒らに自ら学ぶ楽しさを気づかせるタイプはまさに「型破りな教室」。しかし、おそらくギフテッドのパルマは宇宙工学研究につながる数学や物理に才を見せ、家庭責任か自己実現かの葛藤に悩むルペは哲学や倫理学を志し、学校が嫌いだったニコも前向きな少年に。だが物事が全てうまくいくわけではない。
原作は雑誌『Wired』2013年10月号に掲載された記事から、クリストファー・ザラ監督が着想を得て脚本、制作も担った。ファレス先生とパルマは実在で、ルペらは虚構の世界だが、学校の存在や子どもらが全国テストで国内試験のトップに食い込んだのは事実。ファレス先生は現在もメキシコの学校で勤めているという。学校では子どもに夢を見させるのが教師の仕事という面もあるが、現実の世界では夢を諦めさせる、夢を見させない役割を担わされている。そして、現在の教育システム自体がそうなるように組み立てられており、また、「教育は2万%強制」とのたまった橋下知事に象徴されるように、教育や学校を為政者の思惑通りにコントロールしようとする政治家も多い。ファレス先生の授業実践を「見学」して、停職を発する市長の行動は、東京都立七生養護学校(当日、現在は七生特別支援学校)に大挙して、教員らを攻撃、処分を課した当時の東京都議会議員らの行動を彷彿させる(2003)。
本作品の「教室」と大阪の状況は相似形と前述したが、「教室」の周辺では子どもが暴力事件に巻き込まれ命を落とすことがあるが、現在日本で小学生の自殺まで報じられていることと同じではない。しかし、子どもを守る大人の役割・責任が不全であることに違いはない。
(「型破りな教室」2023 メキシコ映画。参考文献『フツーの校長、市長に直訴! ガッツせんべいの人権教育論』久保敬 2022 解放出版社。『ルポ 大阪の教育改革とは何だったのか』永尾俊彦 2022 岩波ブックレット)
平野啓一郎原作にかかる本作は恐ろしいが、滑稽だ。人間の性(さが)、本質を衝いているとともに、その不可解さや無限性をも示唆しているように思える。
恐ろしさは、オーウェル『1984年』も彷彿させる個人管理。『1984年』では、国家がアナログな方法で個人の情報、行動そして思想を全て管理する様が描かれていたが、そこには隙間もある。主人公が束の間の恋を愉しむ時間はその隙間を自由となし、やがてその自由が彼を追い込んでいった。デジタル社会で個人の動き - そこには視界や聴覚も捕捉される - を全て管理される様を描く「本心」では、思考の自由は担保されているが、それゆえ「自由死」を選んだ母親の真意=本心、を探ろうとハイパーテクノロジーであるデジタル仮想空間にどんどんのめり込んでいく。ワヤレスフォンとゴーグルをつければ、そこにAIで完璧に学習した母(ヴァーチャルフィギュア、VF)が立ち現れ、普通に会話する。「自由死」とは、自分で自分の死期を決めることができる制度である。果たして「自由死」を選択したのは母の「本心」であったのか。生前の母石川秋子(田中裕子)と仲良く、朔也(池松壮亮)と同居することになる三好彩花(三吉彩花)の情報も得て、VIはどんどん進化しいく。
過日、大雨の日、危険な場所にいた母を追い、重傷を負った朔也は昏睡中に母を失い。職場もなくなっていた。リアルアバター(RA)として仕事を始める。RAとは、依頼者に成り代わって実際行動をするいわばヴァーチャル・リアリティから「ヴァーチャル」を取り除き、ウーバーイーツの行動力で実演する奴隷的労働である。臨終間近の依頼者から、かつてよく訪れていた高級レストランで食事などはまだいいが、「殺人」まで依頼する者もいる、カスタマー至上主義の「タガがはずれた」サービスだ。依頼者は成果に星をつけ、評価が低ければクビになる過酷な世界だが、社会的に這い上がれない層にはこのような仕事しかない。タイミーなどギグワークが当たり前の現在、もはや「ヴァーチャル」ではなくなるだろう。
母との会話、そこに彩花も加わり、「本心」を探るが、VFの完成度にハマるほど、「本心」は見えなくなる。そして、RAの仕事は過酷さを増してゆく。朔也が外国人ヘイトの男を「懲らしめた」動画が出回り、ヒーローとなり経済的には落ち着く。が、朔也に手を差し伸べたアバターデザイナーのイフィーは彩花に結婚を申し込み、そもそも不安定な彼らの関係はどんどん壊れていく。
本作にはいくつかの問いがある。AIを中心にテクノロジーでヴァーチャルはリアルを創作したり、超えたりすることができるのかということと、人間の「本心」は他者に、あるいは自身に解明可能なのかということ。同時にこの2つの問いに(正)解はないことも。さらに、本作では「自由死」の制度的背景は描かれていないが、「プラン75」(早川千絵監督、倍賞千恵子主演。2022)を想起すれば、容易に理解できる。「プラン75」では、財産も仕事もない主人公ミチが75歳以上は自己の死期を選べる制度を選択せざるを得ない姿を描いた。秋子もミチも貧困で「用のない、役に立たない高齢者」は超高齢社会、財政逼迫の国家のために自死に追い込まれるのは同じである。もちろん「プラン75」でも制度に疑問を持つ、より若い世代も描いていたが、制度の前に朔也も含めて抗うことなどできない。しかも、それでも精神の自由だけはあった(はず)なのに、困窮や孤立ゆえにその自由さえもない仕事しかない、それに全て縛られるとすれば。
ここまで見てくると、「本心」も「プラン75」もSFなどではなく、とても近しい「近未来」であることが分かる。紛れもなく、実現「可能」なディストピアであったのだ。
「何よりもまして自由なものは心の中のものおもい 目をひらく以外に止めるものはない」(小椋佳「思い込み」)。目をひらいたらVFのゴーグルがあった。テクノロジーは思念をも支配する。(「本心」石井裕也監督・脚本 2024)
9月26日という日は、それまで「洞爺丸沈没事件(洞爺丸台風)」の日であったが、2024年からは袴田巌さんの無罪判決の日として記憶されるだろう。それは巖さんが逮捕されてからこの日まで58年もの時を要したからである。
本作は、2002年1月にまだ静岡放送の入社2年目であった笠井千晶記者(当時)が静岡県警の記者クラブで知った「袴田事件」に興味を持ち、取材、そして2014年に釈放された巖さんが姉の袴田秀子さんと暮らすようになった後もずっとカメラを回し続けた労作である。
巖さんも秀子さんも笠井監督の前ではカメラを意識していない。秀子さんは大きく笑い、巖さんは着替えをして、監督と将棋も指す。もちろん取材を始めた当時は、巖さんが娑婆に出てくるなんて予想もしなかったことだろう。それが実現し、拘置所から出てきたばかりの巖さんが迎えの車に乗った隣には監督のカメラがあった。そして姉弟に密着。信頼を得られないわけがない。そこまでしても50年近く獄中にあり、また死刑執行の恐怖の中にいる巖さんの心を、弟の無実を信じ、その雪冤のために人生を費やした秀子さんの思いを描くには難しいだろう。
映像では、二人の日常とともに、巖さんの取り調べ時の音声が流される。警察官はハナから巖さんを犯人視して、自白させるための過酷な取り調べの様子が分かる。判決を導く際に自白が証拠とされるためには任意性と信用性を要する。このような取り調べで得られた自白などそのどちらもないことは明らかだ。現に袴田事件での一審判決では自白調書は1通しか採用されなかった。しかし巖さんは死刑となった。自身は無実と信じていたのに、合議体の裁判長、右陪席裁判官が有罪としたため、意に反して死刑判決を書いた熊本典道裁判官は、死の目前、病床で巖さんへの謝罪の言葉を口にできたが、彼も人生を狂わされた一人であった。
様々な問題を抱える日本の刑事裁判であるが、袴田事件では「死刑」の存在と、再審請求が認められるためのハードルの高さが如実に現れている。言うまでもなく「死刑」は執行されれば、冤罪であった場合取り返しがつかない。事実、巖さんはその恐怖のため精神を病んだ。そして、現在再審請求中である飯塚事件など冤罪の疑いが濃厚であるのに死刑が執行されてしまった事案もある(警察、検察は証拠をつくる 「正義の行方」https://blog.goo.ne.jp/kenro5/e/4a8b3cf764276e660a0587f7a475d7d2)。
現在、日弁連が大きく運動を進めている刑事再審法制改正。再審事件に恐ろしく時間がかかるのはその法整備がなされていないからである。請求審における検察官による異議(抗告など)を認めていること、証拠開示ルールの不存在など課題は多い。そして、ただでさえ手持ち件数の多い裁判官は記録も膨大で手間もかかる再審事件は敬遠しがちだ(裁判官の当たり外れによる「再審格差」)。袴田事件の再審開始決定を出した村山浩昭判事は、高裁で逆転不開始となった件で、のちに「ひっくり返されないような決定を書くべきだった」旨おっしゃっていた。それほど緻密な判断が要請されると言うことだ。「疑わしきは被告人の利益に」の正反対である。
袴田事件の再審無罪を受けて、畝本直美検事総長は無罪理由となった「捜査当局による証拠の捏造」にとても反発し、本来は控訴すべきだが「袴田巌さんの長期にわたる境遇に鑑みた」旨を理由とし、控訴断念を発表した。巖さんをそのような境遇においたのは検察庁であるのにである。この発言は到底許し難い。
拘禁反応のため、意思疎通が難しくなった巖さんは自身を「神」とする。「神」にならなければ強固な意志を保ち続けられなかったのだろう。それに引きかえ、検事総長談話に現れているように検察は「ばい菌」である。
音楽のことはとんと分からない無粋人にて音痴の筆者だが、「音楽で世界は変わらないが、人を変える力はある」と信じられるような快作だ。女性の指揮者が6%、フランスに限れば4%なんていうのも知らなかったし、作品のモデルとなったザイアとフェットゥマ姉妹が学んだ1990年代でも女性差別がひどかったことも。
アルジェリア出身でパリ郊外のパンタンに住まう二人は、パリ中心部の富裕層が学ぶ音楽院に編入。そこではあからさまに女性差別、地域(移民層が多い)差別に遭う。しかも姉のザイアはこれまで取り組んできたヴィオラではなく指揮者志望。「女性は指揮者になれない」言い放つのは、男子学生だけではない、学校の教員も、のちにザイアを鍛えることとなる世界的指揮者のセルジュ・チェビリダッケも。嫌がらせに揶揄、恣意的な評価。二人を阻む壁は「女性」「移民」「居住区」と幾十にも張りめぐらされる。しかし、負けなかった。地域で障がいのある子どもたちに音楽を教えるなど、徐々に仲間を増やしていく様は、希望が広がり、増える様そのものだ。
チェビリダッケがザイアに言う。「(指揮者が孤独だなどと)言っている間は、演奏者たちと一体化していないからだ。一体感を感じれば音は変わる」と。この辺は、音楽(家)の世界に疎く、その精神性がすぐには理解できない朴念仁には遠い世界でもある。しかし、何らかの差異をわざと言い立てて、差別に転化する言説や行動に対する有効な反撃は、その差異を無効化する実践と共感でしかないというのは分かる。「女性だから」の「だから」の前に入る様々な決めつけは、そこに自分は入らないと思う臆病者の逃げ道でしかない。
ザイアはやがて交響楽団結成を思いつく。そんな地区で、練習場所は、資金は、団員は?の幾つもの困難を乗り越えていくうちにザイアも音楽家として成長していくが、これは全て史実なのだ。
作品が終始メロディに溢れているのが心地よい。楽団名は「Divertimentoディヴェルティメント」(「娯楽」、「楽しみ」または「嬉遊曲」。本作の題でもある。)。モーツァルトの作品が有名だそうだが、このディヴェルティメントほか、作品の前後を締めるボレロがいい。単調に思える楽曲はじれったくなるほどの遅さで楽器が増えていく。本来はフルートで始まるそうだが、本作ではザイアの盟友ディランがクラリネットで参加して大団円。自信をなくしていたザイアは再び、指揮台に立つ勇気を得て、姉妹はその後楽団結成、フランス全土で活躍する。上映中次はどんな楽曲が流れるか楽しみで仕方なかった。
ところで、同時期上映されているフランス映画の「助産師たちの夜が明ける」(http://pan-dora.co.jp/josanshitachi/)も優れたアンフィクショナルなドラマ。ドキュメンタリーではなく本作と同様にドラマであっても現実や歴史を描いているものには、全くの虚構は叶わないと感じた。ブラボー!