kenroのミニコミ

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印象派と一線を画した象徴主義に酔う ホドラー展

2015-02-03 | 美術
今、ちょうどチューリッヒ美術館展が神戸市立博物館で開催されているが、兵庫県立美術館ではこのホドラー展である。筆者の知っているオーストラリア出身の英会話講師はラファエル前派が好みというほど美術には詳しいが、ホドラーは知らなかったそうだ。
スイス出身の画家と言うと最も有名なのはクレー、そしてジャコメッティ(は彫刻が主だが)、アルプスのセガンティーニくらいだろうか。クレーはスイス出身とはいえ、バウハウスで教鞭をとっていたし、カンディンスキーらとミュンヘンで「青騎士」を結成していたこともあり、ドイツでの活動が長い。しかしホドラーは生涯スイスを離れなかった。
ちょうどホドラー展にあわせて、高階秀爾さんの講演があった。高階さんは西洋美術近代美術の大御所らしく、ホドラーの位置づけを分かりやすく解説した。いわく1953年生まれのホドラーはフランス印象派の後の後期印象派ゴッホらと同世代。しかし、印象派より、モローやオーストリアのクリムトら象徴主義の影響が色濃い。そして、壁画でその名をスイスで不動にしたのはシャバンヌの影響があったからという。たしかに、全体として大仰なホドラーの作品は、戸外であれ、室内であれ、個別具体的なちまちまとした題材の多い印象派のそれとは明らかに違っている。それはホドラーがたどり着いた境地と言うべきか、リズムを平面で表す オイリュトミー の発想であった。
オイリュトミー それは、リズム。なるほどホドラーの絵からは、クレーとは違うサウンドが聞こえてくるようだ。サウンドと言っても、明確なものではない、かすかな、それでいて消えることのない確からしさ。なぜ、聞こえると感じたのか。ホドラーは、自身の絵画理論としてパラレリズムをあげている。平行主義、と訳されるが、同じような構図を繰り返し描き、むしろ形態(人間)の普遍性を表そうとした試み。シャバンヌに影響を受けたホドラーの壁画には、少ない動きの女性像が繰り返し出てくる。あるいは、実際の世界では見かけない宗教的な瞑想を感じさせる動き。パラレリズムの本質は普遍であること。現実にはない、現実的な女性らが舞う仕草は、もう写実を離れ、想像の世界でとさえ見える。しかし、卓越したデッサン力を有していたホドラーが、想像の世界だけに舞い落ちるわけがない。それは、同時代、フランス印象派が戸外に出てそれまでのアカデミズム画壇、現実にはない世界 に反して日常の世界にこだわったことや、スーラなどの科学的描画法とは違う絵画世界を表そうとしたに違いない。聞こえたと感じたホドラーのサウンドとは、印象派以前の劇的性を勝手に感受したかもしれない。
一方、壁画など、イタリア・ルネサンス期と思うなかれ。ホドラーの壁画は、実は現実的である。というのは、ハノーファー市庁舎を飾る「全員一致」は、題材こそ16世紀初頭、ハノーファー市がルターの宗教改革を受けて、プロテスタントを受容する重要なシーンであるにも関わらず、まるで、革命運動に賛同する民衆を描いているかのような斬新さがあるからである。ともあれ、ホドラーの作品は、象徴主義的にして、現代的である。また、分かりやすい裸婦像などにほとんど関わらなかった点で、ある意味ジェンダーを超えている。要はスイス的合理主義なのかもしれない。
まだあまり知られていない、ホドラー。日曜日の昼間というのにそれほどの人波でもなかった。もっと、ホドラーの作品が知れ渡り、好まれていいと思う。(恍惚とした女)
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