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戦争をめぐる相克 忘れ去られた美術界のジェンダー視点『女性画家たちと戦争』

2024-06-25 | 書籍

画家たちの戦争責任という場合、そこでは藤田嗣治をはじめ、男性ばかりが取り上げられる。そこに女性はいない。Herstoryはなくhistoryのみだったのだ。

では女性美術家はいなかったのか。実は、明治政府が西洋の美術・文化を吸収、発展させようと設立した工部美術学校は女性に門戸が開かれていた(1876年)。日本で最初のイコン作家とされる山下りんや神中糸子がそうである。しかし、工部美術学校廃校(1883年)後、美術に特化した高等教育機関として設立された東京美術学校(1887年)には、西洋画科も設けられず、女性の入学も許されなかった。以後、女性の美術家志望者の私塾以外の公の教育機関としての受け皿は(私立)女子美術学校(女子美。1900年)だけとなった。女性が正規教育として美術を学ぶ機会を奪われた17年間に伸長したのは、「良妻賢母」思想であった。女性を家庭という私領域にとめおく今日の性別役割分業の始まりであったのだ。しかし、美術を学びたい、絵を描きたい女性たちはいたが「洋画家」になるにはさらにハードルがあった。

女性の洋画家としての活動、継続には同好の士のネットワークが必要、有用であった。やがて女子美の卒業生らも交えて、女性画家の存在を認めさせ、地位向上を図る中で時代は戦争へと突き進む。女性画家たちも当然戦時体制へと組み込まれ、奉国の証を立てんとする。そのような時代背景に描かれたのが大作《大東亜戦皇国婦女皆働之図》(1944 原題は一部旧漢字)である。《働之図》は、〈春夏の部〉と〈秋冬の部〉の2部構成であり、いずれも多数の女性画家による共同制作となっている。藤田嗣治をはじめ男性画家が従軍し、それぞれ個人の作品を制作したことの違いが明らかである。制作は「女流美術家奉公隊」。そして軍の要請による制作である「作戦記録画」のうち、洋画が主に戦地や戦況など具体的な事件、事案をモチーフとしているのに対し《働之図》は、「働く銃後の女性をテーマにした」合作図である(桂ユキ子の回想。107頁)。制作の指揮は長谷川春子が、構成の差配は桂が主に担ったことが分かっている。長谷川春子は現在では画家としての記憶にあまり残っていないと考えられるが、戦前「女流画家」界でトップの地位にあり、ネットワークを牽引した。

《働之図》には、銃後のあらゆる場面がおよそもれなく描かれている。戦闘機、弾薬など軍需物資の工場、田植えなどの農作業、傷痍軍人への慰問、さらに女性鼓笛隊の行進や炭鉱、水運、漁業など。制作された1944年はもう戦況も悪く、男性の働き手が極端に減っている銃後において、女性も本来力仕事であるどのような職種にも参画せざるを得なかったことから、描かれている男性は極めて少ない。そして上記のような生産や直接戦意鼓舞とは関係のなさそうな家内労働なども描かれている。まさに「愛国」の発露、「総動員」「挙国一致」である。

《働之図》は、同年に開催された陸軍美術展(3/8〜4/5 東京都美術館)に出品するために限られた制作時間、3部作(「和画の部」もあったようだが所在不明とのこと)という大作では共同作業にせざるを得なかったこと、そして「女流画家」の統制と奉国の意思統一という側面があったことであろう。現在〈秋冬の部〉が、靖国神社の遊就館に所蔵されていることは象徴的である。

さて、長谷川と並びすでに「女流画家」の中では傑出した存在であった三岸節子は、制作にはスケッチ程度で実際には関わらなかった。その点を長谷川に「非国民」と罵られた三岸は(104頁)、それまで共に仲間の地位向上などに尽くしてきた仲の長谷川と袂を分かつ。

戦後になり、戦争画に関わった男性画家たちはどうなったか。藤田嗣治は日本を離れ、二度と帰国しなかったし、戦争画に関わったことに触れられるのを嫌がった小磯良平など多くは発言さえ控えた。

一方「当時の戦いを聖戦として主張していたミリタリズムの信奉者であり、この戦争への否定や疑いはなかった」とされた長谷川は(田中田鶴子の回想。215頁)はやがて美術界を引退、忘れられた存在になっていく。三岸が94歳で没するまで旺盛な制作活動を継続したことは周知の通りである。女性画家たちの戦争をめぐる相克が《働之図》制作に至る過程で窺い知れるのである。

一点、本書と直接関係はないが、神戸市立小磯記念美術館にて「貝殻旅行 三岸好太郎・節子」展(2021.11.20〜2022.2.13)が開催された際に、「画業の長さ、展示作品数からすれば「三岸節子・好太郎」展ではないか。せめて「三岸好太郎・三岸節子」展とすべきではとアンケートに書いたが、さて。(吉良智子『女性画家たちと戦争』2023平凡社)

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