kenroのミニコミ

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ナポリもいいが、やはりローマ。ベルニーニに会う。

2015-01-12 | 美術
ナポリは初めてだ。「ナポリを見て死ね」ということわざ?もある。が、ナポリは美しいがナポリ市街は美しくない。ごみと落書きとクラクション。ごみと言えば、何か月か市の収集が滞ったことも話題だが、そもそも道路にごみが散乱している光景もあまり気にならない市民性だったのではないか。落書きは、ロンドンやパリ、ベルリンなどヨーロッパの主要都市で多く見かけるが、特にベルリンなどではアートと思しきほど魅せられるものがある(表現されたものすべてがアートだという立場はここではおいておく)。けれどナポリのそれはあまりうまくない。クラクションは、交通量が多い、マナーが悪い、歩行者がそもそも信号や横断歩道を無視して道路を渡るなどがある。道路を歩くとそのように見るのもうんざりしそうな街だが、高台から見下ろす街は美しい。これを見てからでないと死ねないというのも分かるような気もする。
ナポリは教会が多いが、考古博物館はポンペイで出土した遺物であふれている。言うまでもなく、キリスト教以前の美術作品である。ポンペイがヴェスビオ火山の噴火で灰燼に帰したのが紀元79年。驚くべきことは、紀元1世紀の時代にあのような都市と文化があったこと。そして、それが美しい色彩も含めて遺っていること。筆者は、キリスト教美術がいくら古いと言っても、現存していて、私たちが美術館等で見られるのはせいぜい11~13世紀のもので、それ以前の作品は極めてすくないのに対し、日本の仏像や仏画は10世紀以前のものも多く、こちらの方が古いぞ、と偉そうに言っていた。しかし、ごめんなさいというか、ポンペイには脱帽した。2000年の時空は、容易に越えられない。劇場や闘技場といった大きな施設に加えて、住居に加えて、居酒屋や娼館まであって、2000年前の市民生活も現在とあまり変わらないことが見て取れる。それにしてもあのポンペイ市民のビビッドな表情が残っていることがすばらしい。
教会の多い旧市街スパッカ・ナポリは、一転キリスト教会絵画、彫刻の宝庫である。一つひとつの教会には残念ながら訪れることはできなかったが(教会の入場は朝早く、午前中のみの場合も多い。)、足をのばして、高台にあるカポディモンテ美術館には行った。南伊最大の美術館にして、15世紀のマンテーニャをはじめ、ルネサンスの巨匠ミケランジェロ、ラファエロも登場し、ご満悦である。北方のブリューゲルも多い。しかし、ナポリと言えばカラヴァッジョ。の作品は残念ながら、「鞭打たれるキリスト」だけだった。ただ、バロックの巨匠カラヴァッジョの作品は、たとえばローマのボルゲーゼ美術館のようなバロックそのものといった空間が美術館より似合うのかもしれない。
総じて、イタリアは地域的にきちんと時代や傾向を押さえておかないと美術史として捉えるのは難しい。レオナルド・ダ・ヴィンチはフィレンツェの工房で学んだが、ミラノで大成したし、フィレンツェで成功したのはボッティチェリや後にローマに進出するラファエロ、ミケランジェロ、ルネサンス以前はシエナ派、後期ルネサンスはヴェネチアのティツィアーノ、14世紀のジョットはパドヴァである。
であるから、カラヴァッジョがヴェネチアからナポリまで流れて、命を落とす衝撃的な変転物語より(カラヴァッジョはヴェネチアで殺人事件をおこし、より南へ逃れたという)、作品自体が、個々の美術館に収められた経緯を調べたり、想像する方が楽しいだろう。
実は、今回の旅の一番の成果は、ナポリに異動する前に半日ほど過ごしたローマで、ホテルから歩いて行けるところにあるサンタ・マリア・デラ・ヴィットリア教会にあるベルニーニの作品。ミケランジェロを超えたとまで言われたベルニーニは、サン・ピエトロ広場を設計するなど、バロック界で万能の才を見せつけた。なかでも、ボルゲーゼ美術館の「アポロンとダフネ」に匹敵する傑作。それが「聖女テレジアの法悦」であり、本当に、見られてよかった。
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