新型コロナウイルス感染症禍の下、巣篭もり需要で生活調度品、調理器具や家電の売れ行きが好調という。暮らしに潤いをもたらす工夫は、モノに限らないが、選ぶなら使いやすい、その生活スタイルにフィットする、そして長く使用できるなどが重要だろう。現在、日本中、いや世界中あまねく目指せ?と鼓舞されているSDGs(持続可能な開発目標)を先取りしたような地球に優しく、個々の豊かさを満喫できる暮らしのあり方だ。それを戦後間もない頃から提唱していたのが『暮らしの手帖』(1〜26号、1954年12月1号までは『美しい暮らしの手帖』)である。
NHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」で唐沢寿明演じた頑固な編集者は花森がモデルだが、そこで描かれたのは、戦争に協力した自己の過去に苛まれ、大橋鎭子(暮らしの手帖社社長。「とと姉ちゃん」では高畑充希演じる小橋常子)の勧誘になかなか首を縦に振らない姿であった。本展覧会では、花森の戦争への関わり、思いに焦点を当てたものではないので、その点はすぐには見えにくい。しかし、花森が徹底的にこだわった毎号の表紙、幅広く呼び込んだ随筆の数々、そして暮らしを、平穏な日常を彩る家事の道具や衣装など、平和な日々であるからこそ得られる反戦の証ではなかったか。
花森が死の直前まで描いた表紙のモダンさはどうだ。その丁寧な筆はやがてクレヨン、版画など技法を変え、手法を変えて継続していくが、一貫して時代に沿い、時代を先取りするデザイン感覚に溢れている。描かれる街や家具・調度品、女性らはそこにある、いるだけで安心し、そして次の表情を期待させる。同時に、決して媚びない。さすがに幼少の頃から絵の才に恵まれ、学生時代には新聞のレイアウトを担当したからであろう。また時代的に阪神間モダニズムを享受した世代であることも関係あるかもしれない。花森の描く表紙にはフォービズム、キュビスム、構成主義、シュルレアリスムなどヨーロッパ、そして日本に輸入された前衛絵画の要素が全てある。もちろんそれでいて具象からは離れない。デザインが絵画と違うのは、こういった絵画の歴史的変遷を取り入れつつ、それらのいいとこ取りだけしていても、理解できない前衛とは見なされないことだ。そしてそれを巧みに行き来するだけの技術と発想が花森にはあった。
随筆を寄せたメンバーも豪華で心憎い人選だ。小倉遊亀や猪熊弦一郎、津田青楓といった画家、工芸家の芹澤銈介、民俗学者の森口多里、山びこ学校の無着成恭、作家の犬養道子など。そして平塚らいてふと山川菊栄らの対談まである。しかし出色は、「とと姉ちゃん」でも描かれた家電を中心とする生活用品の綿密な商品テストと戦争中の暮らしの記録であろう。平和な暮らしは、行き過ぎた大量消費と公害を生み出す利益第一主義の製品生産に警鐘を鳴らす前者と、食べるものにも事欠き、精神主義によって全ての解決を目指す不合理主義の極致である後者を検証、徹底的に見つめ直すことによって担保される。そうであるためには消費者、生活者、権力を持たない者は愚かであってはならない。花森が描き続け、保とうとした「暮らし」には先人の知恵と同時代に生きる人の智慧が必要と訴えたのではなかったか。
戦後間もなくスカートを履き、長髪で登場した花森の姿はさぞかしぶっ飛んで見えたことだろう。しかし、イクメンという言葉が生まれる半世紀以上前に花森はジェンダー解体も見据えて奇行に励んだのかもしれない。(『花森安治 『暮らしの手帖』の絵と神戸』展は神戸ゆかりの美術館にて3月14日まで)
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