kenroのミニコミ

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20世紀の夢 モダン・デザイン再訪

2007-06-11 | 美術
大阪にある3つの代表的な美術館ー国立国際美術館、サントリー美術館・天保山そして大阪市立近代美術館建設準備室ーの所蔵作品を一同に集めて開催されているのが「大阪コレクション」。今回は前回の「夢の美術館」(20世紀美術(平面編))に続く第2弾である。基本的に所蔵作品の貸し出し合いなので目新しい作品があるわけでも、美術館によってはあまり所蔵作品がない場合もある(今回は、国立国際美術館はカンディンスキーの作品のみであった)。けれど、デザインという切り口で大阪にある作品で語って魅せようと言う意気込みだけは見て取れた(あくまで「意気込み」だが)。
テーマのサブタイトルは「アール・ヌーボーからロシア構成主義、北欧のモダンまで」であるが言い過ぎである。が、モダンデザインの発現はバウハウスにあると見る筆者からすれば結構楽しめる内容であった。と言うのは、美術が王族・貴族のものから市民のものへと展開する契機はやはり産業革命そして、フランス革命であり、それが「趣味」の美術から「道具」のデザインへ発展するいわば時代の変遷や作者の悩みが近代デザインに反映されているのはそのとおりであるからである。
アール・ヌーボーが貴族が室内で楽しむものを市民がマチで感じるモノへと発展させたにもかかわらず、合理性と大量生産という近代社会の要請を担えなかったのは当たり前であり、であるからこそ、近代が持つ合理的「知」の証明としてのモダンデザインが市民へのいきすぎた提供になりかねなかったことの未熟性こそ、モダンデザインの初期の魅力である、とは言い過ぎだろうか。
バウハウスで教鞭をとったのは、カンデンスキーにクレー、イッテンなどその後20世紀のモダンコンセプションをまさに牽引した人たちであり、それを受け継いだオランダのリートフェルトなどのデ・ステイルはゲルマンの合理性を、マレービッチやタトリンなどのロシア構成主義は社会主義の「魅力」をよく伝えているように思える。
何よりもモダンは決して冷たいデザインではない。モリスや柳宋悦など手仕事の妙としても現在に生きているのが憎く、うれしい。
デザインは決して使う人を無視しては成り立たないことをよく示している今回の展覧会ではないか。いや、六本木に鳴り物入りで開設した3大美術館に対し、お金じゃないよ、すでにあるものでこれだけ展示できるのだよという大阪人の反中央主義?というアンチとしても見られるだろうか。

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