kenroのミニコミ

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大阪で開催   やっと見られた「表現の不自由・その後」展

2021-07-17 | 美術

やっと見られた。「表現の不自由・その後」展。2019年のあいち・トリエンナーレでは行こうと予定した日を待たずに中止。あい・トリは閉展間際になり再開されたので、急ぎ出かけたが不自由展はすごい倍率の抽選でもちろんハズレ。もともと他の用事が入りそうだったので日を合わせてこの7月最初に入れた名古屋行き。名古屋展に足を伸ばそうとしていたら爆竹騒ぎで会場が閉鎖。どこまで右翼、レイシストは私に不自由展を見せたくないのか、と恨んだが同じように感じた人も少なくないだろう。大阪展も会場が街宣車や抗議電話などでビビってしまい「入館者の安全を確保できない」と会場利用を止めてきたが、開催側が裁判所に開催できる会場使用の仮処分を申し立て、最高裁まで行って「利用中止は(具体的危険性がないのに)まかりならん」と使用を勝ち取ったのは既報のとおり。

確かに会場のエル・おおさかの前には街宣車がノロノロ行き来し、街宣車や路上でがなり立てている人が数名。右翼も人材不足か、迫力不足? 時間帯によるが、エル・おおさかの周辺に一番人数が多かったのが警察官で、次に主催者の支援者、そして右翼。ここに「明白かつ現在の危険」(大阪地裁決定)があるとは思えないし、実際ないとして裁判所は利用中止を認めなかった。そもそも表現の自由に対する制約は憲法上想定されていないし、その範囲を確定することを考えるとするなら、すなわち表現の自由を脅かすことになるのは明らかだ。どのような表現さえあっていい。美術家の会田誠の作品が物議を醸したが、それも「見たくない自由」を保障するソーニングの問題で解決すべきだろう。

作品は、あい・トリよりかなり絞られていて、「従軍慰安婦」を象徴するとされる「平和の少女像」(キム・ウンソン、キム・ソギョン作)と昭和天皇の写真を含む支持体が燃やされる動画の「遠近を抱えてpartⅡ」(大浦信行作)はあったが、Chim↑Pomや、中垣克久の作品がなかった。この「少女像」と動画の2作品を、右翼が公開することを主に攻撃しているのだろうが、なぜ攻撃するのか分からないくらい穏当な表現と思える。「少女像」は従軍慰安婦を象徴していることから、歴史修正主義者としては絶対認められない背景があり、大浦動画については天皇の写真が燃やされることを我慢ならないとしているのだろう。しかし、「少女像」が従軍慰安婦を象徴しているとの理由は、従軍慰安婦とはどう定義できるかという歴史学的蓄積があり(吉見義明さんらの功績をあげるまでもなく、「従軍」だったのは明らか)、また、大浦動画については「天皇の写真が映り込んでいる紙」は「御真影」ではなく(右翼も「御真影」が下賜されるものだけを指すことを勉強してほしい)、いずれの批判、攻撃も当を得ていない。主催者側が「まず見てから言ってほしい」というのは、見る前から批判、攻撃ありきの人には届かないことが明白になっただけである。

ただ、街宣車の人たちが不自由展を盛んに「反日」呼ばわりするが、この国ではオリンピック開催に反対した人は反日だと、8年近く在籍した前首相が放言する。本当の「反日」が規定できるか、存在するのか分からない。しかし、国家転覆者ではない不自由展支持者や政策に反対する人に向ける言葉としてしては、あまりにも真正「反日」に失礼だと思うのだが、レッテル貼りというのはかくも安易で、実態とは関係ないという点では自戒したい。

(「梅雨空に「九条守れ」の女性デモ」の俳句)

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