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kenroのミニコミ

kenroが見た、読んだ、聞いた、感じた美術、映画、書籍、舞台、旅行先のことなどもろもろを書きなぐり。

建築はブルータルに、そのほかはそうではなく。アメリカの夢 ー ブルータリスト

2025-03-06 | 映画

「美は細部に宿る」としたのは、バウハウスの最後の校長で渡米後、近代建築の3巨匠とまで言われたミース・ファン・デル・ローエである。デザインにおいて近代合理主義精神を体現したバウハウスの教員、学んだ者らがナチス政権下で追われ、アメリカなどに逃れた例は多い。ローエのほか、本作のモデルの一要素となったであろうモホリ=ナジ・ラースローはバウハウスで写真や舞台芸術など幅広い分野で教鞭をとった。ハンガリー出身のモホリ=ナジは、ナチスが政権を取った際オランダに逃れたが、やがてアメリカに亡命している。

「ブルータリスト」の主人公ラースロー・トートは架空の人物であるが、デッサウのバウハウスに学び、収容所に囚われたが生き延び、戦後なんとかアメリカに渡ることができる。愛する妻エルジェベートと姪ジョーフィアを残して。二人の生死は定かでなかったが、やがて富豪のハリソン・ヴァン・ビューレンに見出され、大きな礼拝堂建築を任される。そして二人をアメリカに呼び寄せることもできた。酒とドラッグに頼りながらも仕事をこなすが、戦時中の栄養不足で車椅子生活となったエルジェベートとの関係もギクシャクし、ハリソンとも対立する。トートはアメリカでの成功物語の主役となれたであろうか。

215分、間に休憩が入る長尺の大作でトートを演じたエイドリアン・ブロディは二度目のオスカーを獲得した。迫害されたユダヤ人ら移民がアメリカンドリームを成し遂げる直裁的な作品に見えるが、同時にユダヤ人差別もあり、さらにはハリソン自身が名前からオランダ系と思われる。成功した者とそうでない者の陰翳、決して多くはない登場人物の格差が微妙に描かれ、20世紀のアメリカを象徴する物語となっている。トートと長い付き合いがある友人は黒人のシングルファザー、渡米後すぐのトートの面倒をみたいとこはユダヤ人だがプロテスタントに改宗している。生き抜くために、いや、生き抜かなければならないために皆「アメリカ」に適応しようともがく様がリアルに響く物語、歴史大作なのである。

ところで「ブルータリスト」は日本語にはなかなか訳しくい。英語のbrutalは荒々しい、粗野などの意味であるが、ブルータリズム、ブルータリストは50〜70年代のアメリカ、そして日本や世界に広まったコンクリート打ちっぱなしの建築様式を指す。現在第一線で活躍する安藤忠雄の建築を想起すればいいかもしれない。もちろん、安藤は流行からだいぶ後の時代なのでより洗練されていると評さる。あの装飾性を拒否するかのようなブルータルな出立は、50年代の美術動向であるミニマリズムや、60年代の日本の「もの派」の流れが建築の世界でも実践されていたのだ。

建築に限らず流行には当然栄枯盛衰があるが、ブルータリスト(リズム)は、コンクリートに装飾を施さない分、普遍的とも言える。しかし、装飾に頼らないということは建物そのものだけが勝負ということだ。建ち上がった際、人工的な光源に頼らない灯りの取り込み、その自然光の入り方など設計段階の準備はその点について、より複雑、緻密になる。それを成し遂げた感動は大きいに違いない。安藤忠雄の光の教会などの人気を見ればそれがよく分かるだろう。

教会建築の最高峰と言われるゴシックの大聖堂は全て西向きで、聖堂の最奥部にして最重要部の祭壇のあるアプスに東から陽光が指す構造となっている。ユダヤ教徒であったトートは未知のキリスト教会の構造、建築に格闘した。コンクリートの隙間から光がさし、祭壇にクロスを映し出す。彼のデザインは宗教的神秘さとともにアメリカの成功をも映し出したのかもしれない。(ブルータリスト。2024/アメリカ、イギリス、ハンガリー)

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