通訳や翻訳は全くできないが、英会話のプログラムでは日本語独特の語彙をどう英語にするか悩んでしまう。例えば「忖度」。文化がそもそも違うので、訳しようがない言葉は日本語―英語に限らない。フランス語のエスプリ(esprit)や英語のウイット(wit)は、日本語では才気や機知、機転あるいは諧謔などと訳されるようだが、素人ながらしっくりこない。エスプリとウィットもそうそもそも同じでないだろうし。フランス人にとってのエスプリは近代合理主義を経験則として兼ね備えている個人が、どこか他者として自分を見る突き放した視線を感じるし、イギリス人のウイットには所詮人間一人ひとりは小者、と言う、冷めた、それでいて愛らしい諦観を感じるのだが、これも素人ゆえの思い込みである。
お隣の韓国語ではハン(한 15世紀にハングルが発明されるまで漢字文化であった韓国では「恨」と表記されるが、現在はほとんど使われていないのではないかな?)が思い浮かぶ。それは「恨み」や「やるせなさ」、「言いようもない悲しみ」などと説明されることも多いが、結局ドンピシャとくる日本語はない。だから日本による植民地支配の歴史の下で苦難を表現するときなど、この「ハン」を使っていても、その感覚が理解できないのであると思う。
外国語との関係に止まらない。沖縄の言葉(ウチナー口)である「チムグクル」は、「人の心に宿る、より深い想い」であるとか「心の底から湧き出る、相手を思いやる心」だそうだが、沖縄以外の人間が使いこなすのは難しそうである。文字を持たないアイヌの言葉になるともっと難しい(というか、同じ「日本人」と括るわけにはいかない)。本州内でも東北の言葉がどういう意味でしょうという番組まで存在する。かように言葉というのは、その意味はもちろん、使用法、使用する人の属性や背景、感覚、タイミングなどと不可分なのであるから面白いのだと思うし、どう境界を超えて、伝えよう、繋がろうという意識が大事なのだろう。
新型コロナウイルス感染拡大に際し「緊急事態宣言」が発出され、外出が抑制される中、この際『大菩薩峠』であるとか『失われた時を求めて』を読もうと意気込む人もいるようだがとても真似できない。それで以前に出版され、真面目に開いていなかった『日本語 語感の辞典』(中村明著 岩波書店 2010)をパラパラとめくってみる。例えば「大病」。「治るにしても長い療養生活を送る必要がある大きな病気(中略)「重病」よりやや古風な感じがある」へえ〜。「感染」は「病原体が体内に入る意で、会話にも文章にも広く使われる漢語」なるほど。「回復」は「ちょっとした擦り傷にも使える「治る」に比べ、治るまでに時間のかかるある程度重い病気や怪我について使う」。
通常の国語辞典より一言多い(具体的な用例が多いので、いい意味で)。古本(今は開いていないが、通販ならある)では1500円くらいであるよう。オススメです。