kenroのミニコミ

kenroが見た、読んだ、聞いた、感じた美術、映画、書籍、舞台、旅行先のことなどもろもろを書きなぐり。

主役はスペイン史   宮廷画家ゴヤは見た

2008-10-19 | 美術
異端審問というと何かおどろどろしい不吉なイメージが浮かんでしまう。魔女狩りなどキリスト教世界の負の歴史を思い浮かべる場合、異端審問もそれとごっちゃにしてしまうからだ。もちろん、魔女狩りと全然関係ない訳ではないが、ヨーロッパ世界、近代勃興直前の時代においてすでに禁止されていた異端審問がカソリックの強いスペインでは18世紀末にもまだ行われていたとうことが本作の要諦の一つだ。
異端審問。それはキリスト教信仰を持たない人を、その信仰を明らかにするために拷問して無実の自白をさせるということである。裕福な商人の美しい娘イネスも豚肉が苦手ということだけで審問を受け、「ユダヤ教徒です」と虚偽の自白をしてしまう。もちろん拷問の末。拷問に傷つき、衣服もつけていないイネスを助ける振りをしながら(異端審問を強化した張本人でもあるのだが)、抱くロレンソ神父。娘を助けたい一心でロレンソ神父に恥をかかせた父親トマスだが、イネスを教会への多額の寄付でも助け出せなかったロレンソは出奔。15年後、フランスはナポレオン軍がスペインに侵攻。フランスの革命に共鳴したロレンソは今やフランス軍の検察官として戻ってくる。スペイン国王は逃亡、異端審問が廃され、変わり果てた姿で出獄したイネスはロレンソに孕まされ、牢で産んだ我が子を探し回る。
王の画家としてこれらの時代、歴史をずっと見続けてきたゴヤ。
ゴヤというと、もちろん宮廷画家なのでカルロス4世に寵愛され、数々の王室画を描いているが同時に圧政、軍政に苦しむ庶民の姿も描いている。ナポレオン戦争に倒れる反乱民(ナポレオン軍に銃殺される姿)を描いた「1808年5月3日」はあまりにも有名である。晩年聴覚を失ったゴヤは王室の仕事もなく、ますます宗教的、深く、厳しい画を制作していく。その集大成が「わが子を食らうサトゥルヌス」(1820~24年)である。
ゴヤは王制の時代、革命の時代、反動の時代それらすべてを生きた画家である。ゴヤが活躍したのにはもちろんスペインが生んだ宮廷画家の粋ベラスケスがおり、キリスト教画ではギリシア人ながらスペインで一大画期をなしたエル・グレコらがいるからである。しかし先代の画業それ以上に多くの作品、肖像画、宗教画、大衆画をも描き分けたところにゴヤのすごさがある。映画の中でロレンソがゴヤに言い放つシーン、「あんたはいつも安全なところにいるだろ!」はそれはそうで、あるからこそいろいろな場面に立ち会い、描くことができたのであろう。
この映画はゴヤが主人公のようであるが、真の主人公は最後は裏切りの罪で処刑されるロレンソでも、今売り出し中のナタリー・ポートマンが二役を演じるイネス(またはアリシア)でもない。「ゴヤは見た」とあるように主人公はスペインの歴史でる。そしてナポレオン戦争、イギリスの侵攻を経験したスペインはやがて王制は脱したが、ある意味で王制より過酷な独裁制(第2次大戦後から近年まではフランコ将軍の軍政)を長く経験することになる。
ゴヤの見た王室の姿がぼんやりしているとまみえたのは、この頃政治を牛耳っていたカルロス王妃の愛人ドゴイの姿が出てこなかったからであろう。作品の焦点をどこに合わすかによって描いたり、描かれなかったりする人・歴史が落ちるのは仕方がないが、ドゴイなくして18世紀末スペインを描いたことにはならないだろう。(1808年5月3日部分 プラド美術館)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする