先日最終回を迎えて、果たして理解できただろうかと
自問自答しているわけでありますけども
非常に面白い番組でありました
維摩経という仏教経典を100分で紹介するという
まぁ、名前のまんまの番組だったわけですが、
これを聞くことで、大乗仏教とは何かという話から
空、慈悲、不二といった仏教用語、ないし、教えというのが
なんとなし理解できたように思えたから
入門篇としては、大変ありがたい番組だったと思うのでありました
別段、取り立ててどの宗教をと思うこともなく
どちらかといえば、無宗教なのでありますけども
ありがたい教えであるとか、
哲学的な問答だとかは、人間として非常に興味を持つところでありまして
そこに仏教の経典というのは、なかなか
スパイシーに響いてくるというわけでありまして
大変楽しいと思ったわけであります
維摩という居士がいて、この人が在家のまま悟りを得ようとするというか、
きわめて正しい人といっていいのか、よく修行をした人だというお話で、
この人の存在が、様々な釈迦の高弟や、菩薩たちをとっちめるでもないけど
論破していくというのが筋なんだそうで、
それぞれ、ひとつの道を見出したような立派な人や仏を
それが本当に正しいかと揺さぶっていき、
また、ばらばらにして、新たな思想を作ろうとする
その切欠であり、源泉であるという
維摩という人の教えというか、その物語が綴られていたと
まぁそういうお話でありました
言葉遊びの極地といってしまうとあきませんが、
何かの理論、法が立ったときに、それを片っ端から壊していくというか
根幹の問いかけをしていくというのが、深めていくのだけども
なんといっていいか、大変なことだなと
頭のいい人ならではのあれこれじゃないかなどと
思ったりしたのであります
それはそれとして、思うところというか
執着から離れること、そこにまた執着があるという話や
空という状態というか、イメージがなんとなし理解というか
いいなと思えるようになったりしたので
非常に面白かったなと感じ入ったというわけでありました
年齢も年齢なので、自分の生き方を考えたとき
出家は現実味のある話かもしれないなどと
思ったりしていたわけでありますが、
在家のままでも、そうなのであるかというあたり
出家という言葉に逃げていたのではないかと
反省したりなんだったり
仏教は深いと思い知ったような気分でありました
自問自答しているわけでありますけども
非常に面白い番組でありました
維摩経という仏教経典を100分で紹介するという
まぁ、名前のまんまの番組だったわけですが、
これを聞くことで、大乗仏教とは何かという話から
空、慈悲、不二といった仏教用語、ないし、教えというのが
なんとなし理解できたように思えたから
入門篇としては、大変ありがたい番組だったと思うのでありました
別段、取り立ててどの宗教をと思うこともなく
どちらかといえば、無宗教なのでありますけども
ありがたい教えであるとか、
哲学的な問答だとかは、人間として非常に興味を持つところでありまして
そこに仏教の経典というのは、なかなか
スパイシーに響いてくるというわけでありまして
大変楽しいと思ったわけであります
維摩という居士がいて、この人が在家のまま悟りを得ようとするというか、
きわめて正しい人といっていいのか、よく修行をした人だというお話で、
この人の存在が、様々な釈迦の高弟や、菩薩たちをとっちめるでもないけど
論破していくというのが筋なんだそうで、
それぞれ、ひとつの道を見出したような立派な人や仏を
それが本当に正しいかと揺さぶっていき、
また、ばらばらにして、新たな思想を作ろうとする
その切欠であり、源泉であるという
維摩という人の教えというか、その物語が綴られていたと
まぁそういうお話でありました
言葉遊びの極地といってしまうとあきませんが、
何かの理論、法が立ったときに、それを片っ端から壊していくというか
根幹の問いかけをしていくというのが、深めていくのだけども
なんといっていいか、大変なことだなと
頭のいい人ならではのあれこれじゃないかなどと
思ったりしたのであります
それはそれとして、思うところというか
執着から離れること、そこにまた執着があるという話や
空という状態というか、イメージがなんとなし理解というか
いいなと思えるようになったりしたので
非常に面白かったなと感じ入ったというわけでありました
年齢も年齢なので、自分の生き方を考えたとき
出家は現実味のある話かもしれないなどと
思ったりしていたわけでありますが、
在家のままでも、そうなのであるかというあたり
出家という言葉に逃げていたのではないかと
反省したりなんだったり
仏教は深いと思い知ったような気分でありました
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