いよいよ明日となりました。
竹本孝之 デビュー35周年記念コンサート「Back in the Game」
東京メルパルク大ホール(東京郵便貯金ホール)。
35年前、当時16歳だった竹本さんのワンマン・デビューライブが行われた場所ということですが、
16歳で、ホールでワンマンのデビューライブというのは、考えてみますと、凄い事ですよね。
いやはや、できるのでしょうか、今の16歳に・・・。
やはり、時代を作ってきた人というのは、半端ではありませんね。
さて、そんな竹本さんからのメッセージを、是非皆様にも。
--------------------------------------
『デビュー』
1981年7月21日
35年前のこの日に私はデビューした。
高校一年生になったばかりの小僧だった私はコンバースのエナメルバックひとつを持ち長崎から旅立った、16歳の春。
CBSソニーと月刊平凡の共同企画、「ミスターCBSソニー81’オーディション」で、訳も分らずグランプリを獲ってしまった私は、その年の7月にデビューする事となっていた。
幼き頃からの夢が「ソレ」だった訳ではない。私は設計士になりたかった。建築を学び、故郷で大工をやりたかった。そこへ突如現れた岐路。
「君優勝したこのオーディションには、君の立場に立ちたかった何万人もの夢があった。その夢を君は引き受けたんだよ。」
16歳の小僧は悩んだ。グランプリを獲ったのが4月28日、
16歳になる私の誕生日だった。上京する期限が5月16日。
約2週間しか時間は無かったのだ。
「仕事を始める。」そう決断し、単身上京した。
東京は大都会だった・・・希望とか夢とか考えた事なかった。ただ必死で「仕事」を覚えようとした。
歌なんて歌った事なかったし、まして芝居なんかした事もなかった。
『 ファースト・コンサート』
「ファーストコンサートをやるから」
そう言われたのは多分その年の12月に入った頃だったと思う。
シングル1枚、アルバム1枚をリリースしていたものの、手持ちの楽曲はあまりにも少なかった。
自分の意思が反映される訳も無く、プログラムは組まれていった。カヴァー曲も沢山やった覚えがある。寝る間を惜しんで曲を覚えた。1981年は瞬く間に終わりを告げた。
明けた82年の1月30日。
私のファーストコンサート「THE GAME」が東京の「郵便貯金会館」で行われた。当日の事はよく覚えていない。ひとつだけ鮮明に覚えている出来事がある。
ド近眼だった私。当時両目共に0.03しかなかった。舞台の端すら見えない状態。そこでコンタクトレンズを装着する事にした。コンタクト自体初めての経験だったが、お陰で舞台から落下する事無くコンサートを終える事が出来た。
事件はその後に起きたんだ・・・
楽屋に帰った私。何やら白く靄が掛かっているように感じた。
「スモークって此処まで広がるのかな・・・」
視界に入る全てが白く霞んでいた。
そして私はおもむろに、装着していたコンタクトレンズを外した。
それっきり目が開けられなくなった。
メンバー、スタッフ、関係者の皆様に挨拶することもなく、東京女子医大病院に緊急搬送された。
照明の熱で張り付いたコンタクトレンズをそのまま外した為、両目の角膜をボロボロに傷つけてしまったのだ。担当医には「失明寸前。覚悟はしてください」とまで言われた。
『あれから35年、再びメルパルクホールへ』
あの日から35年が過ぎた。私も今年51歳となる。
順風満帆の人生なんて何処にもない。
何度この世界を辞めようと思った事か・・・
でも、今現在も歌える、唄わせて貰える環境に居られる事に感謝する。
2016年7月21日
デビューしてから満35年のこの日、私はかつての
「郵便貯金会館」 現「メルパルクホール」に帰りたいと思います。
それは決して懐古主義ではなく、己にとっての「原点」からもう一度始める為に。
人生の中で、何かしらの句読点を付けたい時がある。
そのひとつひとつの確認する事で、次に進めるのだと思う。
お終いの「。」を打つのはまだまだ先。己の人生の終着地、命の炎が消える時に最後の「。」は打つのだと思う。
51歳となった竹本孝之。その原点回帰の瞬間に、あなたも立ち会ってくれませんか?
志を共にする仲間と共に歩む第一歩。そこから始めましょう。
竹本孝之 Back in the Game 2016メルパルクホールで待ってます。
(特設サイトより転載させて頂きました)
--------------------------------------
明日、やりますよ、怒涛の30曲。
会場でお会いできます皆様、どうぞよろしくお願い致します。
素晴らしい時間に致しましょうね。
ではー、