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成田 正の楽屋入り口 by STHILA COMMUNICATIONS

前回

2009-01-16 23:10:58 | ●Weblog
 今までの歯科医通院歴を振り返ると、前回、つまり、昨日以前の最後は、『Jazz Life』誌の筆頭編集員(?)で大活躍(?)していた時だから、大体1979年か80年頃で、なっ、なんと30年前。なので、このほどはよくも詰め物が落ちるくらいの軽傷で済んだものと楽観したら、昨日の初診結果は「歯周病が始まってますのでじっくり治しましょう」。ひとまず、先生に聞くだけ聞いてみた。「夕べ呑みすぎたことと関係ありませんか」と。前の晩、アヴァンギャルドが置いてある茅場町のジャズ喫茶で大先輩のAさんと落ち合い、それからそのスピーカーのことなどを酒の肴に、近くの赤提灯で熱燗をガシガシ呑んだ(もちろん音をさんざ聴かせてもらったうえで)。するとさて、先生って歯科先生の方、苦笑、いや、甘いこと言うんじゃありません的なレスポンス。その代わり、今何とかしておけば、一生ご自身の成歯のままいけますよとの勇気百倍が出るご至言。まだ「アラカン=around還暦」にはもう数年あるつもりでも、そろそろ「遠くにありて想うもの」では済まされない感じが強くしてきた。
 そこで「前回」ついでに、前項チック&マクラフリンの「前回」を巻き戻してみた。すると、81年7月、モントルー・ジャズ祭に於けるデュオという強力な記録が出てきた。そのうちの〈ビューティフル・ラヴ〉1曲が、『チック・コリアの音楽~ミュージック・フォーエヴァー&ビヨンド』に、7曲のセット・リスト全曲がマクラフリンの17枚組BOXに収録。その後のふたりは、91年7月のパリで、マイルス・デイヴィスと一緒にやることになるが、あの舞台はいい意味でのお祭り。その次に連名のある03年の『ユニヴァーサル・シンコペイションズ/ミロスラフ・ヴィトウス』は、「あれはオーヴァーダブだったのでジョンと会ってないんだ、あははっ」(チック)と07年に確認。ナタリー・コールの一件同様やっかいな話にはなるが、FPB(Five Peace Band)に至る直近の火種は、どうやらそこにあったのかも、とは、備忘録代わりでした。