20歳の夏、メキシコに旅に行かなければ、わたしは、ラテンアメリカ文学には届かなかったにちがいない。ガルシア=マルケスの『百年の孤独』を読んでから、時折、ラテンアメリカ文学作品を読んできた。それは、わたしにとって、つねに、うっとりするような楽しみであった。週末から、「愛」をテーマして書かれた、ガブリエル・ガルシア・マルケスの『コレラ時代の愛』(原著85年)を読んだ(どうやら映画化もされているようである)。
全編これ、愛の情動とそれをめぐる経験の記述である。フロレンティーノ・アリーサ(♂)は、フェルミーナ・ダーサ(♀)に恋をする。
平日は行き帰りがあるので、一日に四回、日曜日は荘厳ミサの帰りに一度姿を見ることができた。彼にしてみれば少女の姿を眼にするだけで十分だった。そのうち彼女を少しずつ理想化するようになり、ありえない美徳が備わっているとか、これこれの感情を抱いているだろうと空想をたくましくするようになった。二週間もすると彼女のことしか考えられなくなった・・・
フロレンティーノ・アリーサは、フェルミーナ・ダーサからの手紙の返事を待つ間、不安と焦燥に加えて下痢と緑色の嘔吐に悩まされるようになり、方向感覚がおかしくなり、突然失神するという、コレラとそっくりの症状を示すようになる。その後、フロレンティーノ・アリーサの愛は、受け入れられないまま、フェルミーナ・ダーサは、フナベル・ウルビーノ医学博士に言い寄られ、結婚する。
失意のどん底に陥ったフロレンティーノ・アリーサは、フェルミーナ・ダーサのために貞節を守ることを決意するが、その後、船上であっさりと、ロサルバというどこの誰だか分からない女に童貞を奪われる。その後、彼は、フェルミーナ・ダーサを忘れるために、次から次へと女と性的遊戯にふけってゆく。しだいに、彼は、彼の愛を全うするためには、ウルビーノ博士が死ぬまで待つという強い決意をするようになる。
フロレンティーノ・アリーサは、フェルミーナ・ダーサが数時間そこに写っていたという理由だけで、大金を支払って、鏡を手に入れる。心の底深くに、フェルミーナ・ダーサを抱いて、彼は生きてゆく。やがて、時間だけが、容赦なく、フロレンティーノ・アリーサの上に降り積もっていくのである。
彼がそれまで全力を尽くして戦いながら、ついに勝利を収めることができなかった大いなる戦闘がある。それは禿げとの戦いだった・・・それまでずっと通っていた理髪店は店主が見事な禿げ頭だったので行くのをやめ、月が満ちはじめるときにしか髪を刈らないという、新しく町にやって来たよそ者の理髪店に足を向けるようになった。新しい床屋のおかげで髪の毛が増えはじめたが、その床屋が何人もの初心な娘を犯した強姦魔で、アンティル諸島のあちこちの警察から指名手配されていることが判明し、床屋は鎖で縛られて連行された。
フベナル・ウルビーノ博士が、不慮の事故で死んだとき、フロレンティーノ・アリーサは、すでに76歳になっていた。川船会社の社長として裕福なフロレンティーノ・アリーサは、複数の愛人のもとに通っていたが、そのときは、そのうち、孫ほども歳の離れたアメリカ・ビクーニャとアバンチュールの最中だった。フロレンティーノ・アリーサは、フェルミーナ・ダーサが未亡人となった最初の夜に、51年9ヶ月4日の歳月を経て、永遠の貞節と永遠の愛の誓いを繰り返すために、フェルミーナ・ダーサのもとを訪れたのである。彼女もすでに72歳となっていた。
過ぎ去った時間は、残酷なかたちで、老いというかたちで、二人の愛の上にのしかかるが、それでも、彼らは船で航海を続けようとする。船長がフロレンティーノ・アリーサに問う。『「川をのぼり下りするとしても、いったいいつまで続けられるとお思いですか?」フロレンティーノ・アリーサは53年7ヶ月11日前から、ちゃんと答え用意していた。「命の続く限りだ」と彼は言った」。
心の移ろいの克明な描写と圧倒的な背景の記述。わたしは、登場人物の気持ちに自らを重ね合わせて、漂白する二人にうっとりとして、ただただ物語の展開を追うだけであった。