勤務する大学の一般入試二日目。多摩地域では、昨夜、雪が降り積もった。2年ぶりのことである(写真)。入試には、大きな影響はなかったようだ。授業期間が終わり、入試が終わると、次年度に向けての準備が本格化する。次年度だけでなく、大学、とりわけ、勤務先の大学を、今後、どうしていくのかという議論は、すでにというか、水面下で延々と続けられている。小手先だけの改革・調整案を聞くにつけ、大学とは、いったい何かという、やや根源的な問いにぶちあたる。「大学の敗北」を特集している『中央公論』2010年2月号を本屋で見つけ、読んでみる。吉見俊哉の「爆発の時代に大学の再定義は可能か」という論考が目に留まった。
中世における大学の誕生のベースには、全ヨーロッパでネットワーク化された諸都市間の人とモノの流通があった。人びとは、都市に集まって知識や情報を交換し、着想を磨いた。人とメディアを組織した草創期(中世)の大学は、近世の印刷技術の発明による知識の流通方式の変化に対応しようとしなかった。つまり、吉見は、大学は、近世になって、メディアやコミュニケーション環境と結びついて変身することに失敗したのだと見る。大学は、知識の生産・再生産システムの重要な部分を担ってきたが、「あくまでその部分にすぎないことを自覚し、大学を同時代の知のネットワーク、コミュニケーションの重層的な編制全体の中で定義しなおすこと」が必要であると、吉見は述べている。
言っていることはよく分かるような気がする。彼の主張が、大学が拠って立つ社会の知識の生産・再生産のありように深くリンクしながら、学問を、研究を、教育を、大学を再定義しなければならないということであるならば。ただ、それは、インターネット環境が提供する e-learning のような道具立ての上に、学問のありようを変えてゆくというような、単純なことではない。そんなことをすれば、社会のニーズに、大学を従属させることになるだけである。そういったことを、彼は言いたいのではない。
インターネットを用いてグローバルに知識や情報に容易に接近できる現状のなかで、知識と学問が、どのように方向づけられるべきかについて考えることを含めて、これまでの大学の遺産を継承し、教育と研究をどのようなものとして編制しなおすのかについて考えることは、たしかに大切なことである。吉見の論考には、近現代において、とりわけ、日本という土壌において、大学が担ってきた役割が、まったく触れられていない点が気にかかる。わたしたちの(日本の)大学について考えるには、その点が、出発点となるのではないだろうか。
そういった議論の捉えどころのなさにややモヤモヤ感を感じつつも、わたしの関心は、いまのところ、大学における人類学という「虚学」(実学の反意)の役割と行方について、ちょっとだけ考えてみることのほうにある。