たんなるエスノグラファーの日記
エスノグラフィーをつうじて、ふたたび、人間探究の森へと分け入るために
 



前回帰国したのが、昨年の9月6日だったので、5ヶ月ぶりに、ふたたび、明日フィールドに向けて飛び立つ。2006年度の1年間のサバティカルを終えてから、夏春夏春と、今回が6回目のフィールドになる。ずいぶんとプナンのフィールドにかよっているものだと思う。でも、今回は、まったくもって準備不足である。物的側面については現地調達でなんとかなるだろうけれども、心的・知的な準備が不十分である。ピントがいまひとつ絞りきれていない。フィールドに入るまでの間に、道すがら、考えてみようと思っている。でも、そのわりには、今回は、さきほど、2桁に及ぶ書物をパッキングしてしまった。それらを道々読みながら、とも考えている。欲張りかもしれない。テーマは、とりわけ、動物と人間の関係から、自然と人間のありようを、エスノグラフィックに記述考察することである。それは、従来通りである。しかし、その表現の面において、痛々しいほどの能力の限界を感じているところでもあり、ブレイクスルーのための実験的な試みとして、一人称をベースにした語りを取り入れたいと思っている。自然に対する人びとの情動を視野に入れて、記述面において、より湿り気のある、内面的な書き方を。そんなことを、漠としてではあるが考えている。そのことは、一見して、精神や魂というようなものが、人間だけに独立的に存在することを語っているようでありながら、実は必ずしもそうではなくて、精神や魂が、自然のなかにも豊かに、かつ、ありふれて存在することを示すものになるはずである。見通しとしては。一人称の語りをつうじて、そんなことを、表現できないものだろうか。

(写真は、ライフル銃でしとめられた、metui と呼ばれている鳥;伽藍鳥ではないと思うが、犀鳥ともちがう)



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