フィールドワークに行くまでは、何も分からなかったことが、フィールドワークに行って、自らの身をその場へと投げ出せば、そこでの親族や社会関係の組織のされ方、性愛の実践や心の動き、自然との付き合い方、人びとの世界観だけでなく、じつにさまざまなことが、分かってくるのだと言って、授業なんかでは、それが、フィールドワークのスゴイところだと褒め称えている。しかし、あまりにも、そのことを強調しすぎてきたあまり、逆に、わたしは、フィールドワークとは、ほんとうにそういったものなのだろうかと疑いはじめるようになった。その言い方のなかに、わたし自身が、溺れかけているのではないかという思いが、ふと、わたしの脳裏をかすめたのである。とりわけ、わたし自身が、この3年間、春と夏の年2回ずつ行っているフィールドワークによって、いったい何が分かるのかについて、いや、もっと根源的に、何を知ろうとしているのかについて、もう一度、確かめておかなければならないのではないかと、思い立った。
フォックスはいう。「フィールド・ワークは目的ではなくて、たんなる手段にすぎない。それは必要なデータの収集であって、そこからわれわれは出発するのである。しかし多くの人類学者にとって、たとえ彼らが別の努力目標を認めるとしても、やはりフィールド・ワークは目的なのである」(ロビン・フォックス『人類学との出会い』p.20.)。手段としてのフィールドワークは、じつは、それ自体が、人類学者にとっての目的なのであるという認識。それは、実感としてかなり正しい。人類学者は、フィールドデータを得るためだけに、フィールドワークに行くわけではない。エスノグラフィーを書くための手段として、フィールドワークに赴くならば、さらには、そういった意識が浸透しているのならば、わたしたちは、もっともっと生産的に、社会的に意義のある(価値のある)エスノグラフィーを書けているはずである。現実は、そのことから程遠い。フィールドワークは、たんなる何かための手段ではない。
わたしにとっては、フィールドワークは、エスノグラフィーの手段ではなく、それ自体が目的であると断言できる。とは言うものの、そのことによって、エスノグラフィーを書かなくていいということには、まったくならない。そうではなくて、何を知ろうとしているのかという点にまで踏み込んで、何をどう書くのかを考えなければならないのではないか。
ピーコックは、ゲーテと人類学者を比較して書いている。「彼(=ゲーテ)はしばしば恋におちいり、愛にわれを忘れてのめり込む一歩手前のところでとどまって、その出来事について書いた、というのだ・・・こうした心理のある部分はおそらく人類学者にも共有されているだろう。いかに彼が旺盛な好奇心を持ってある集団に入り込んでゆくにせよ、である。人類学者の仕事はかかわることと離れていることの両方を要求する。入り口があれば出口もある、というわけだ。人類学者は、参加することが同時に観察でもあるようなかたちに、彼自身の行動をアレンジしてゆかなければならないのである」(ピーコック、J.L.『人類学とは何か』pp.134-5.)。ピーコックは、そのすぐ後に、原住民になってしまった人類学者(ヌーンやクルト・オンケル)の例を出して、参加者が観察者として留まらなければならないとするフィールドワークの掟について述べている。
しかし、ほんとうに、そうなのだろうかと思う。「人類学者の使命は、ある社会集団の生活を経験し、それに参加することだけでなく、それに分析を加えることによって最終的にそれを理解することのなかにある」(上掲書、p.136.)と、ピーコックはいうが、現地人と人類学者の差異を、差異とすることで、たしかに、人類学は学問として確立されてきた。ところが、分析と理解というのは、必ずしも、あるいは、ただたんに、差異のなかにあるのではないのかもしれない。差異を超えて、同一化のベースの上に、あるいは、フィールドの人びとの内面性の共有とでもいうべきものの上に、事柄や風土を見ることの意味を見つめなおさなければならないのではないか。そうでないと、少なくとも、わたしは、深い逡巡の後に、エスノグラフィーを、結局のところ、書くことができないような気がする。
それは、めぐりめぐって、要するに、こういうことなのかもしれない。イノシシが獲れて嬉しくて、一日に4回も5回も食べて、腹を下してしまったり、逆に、空腹でどうしようもなくて、ひもじい思いを我慢したり、遠くの森から聞こえてくるブタオザルの鳴き声に耳を澄ましたり、隣村への夜這い行に連れて行ってもらうことになって、その興奮を隠し切れずに話してしまったり、死んでしまった自分の子の名を絶対に口に出してはならないというしきたりを頑なに守ることで、悲しみを包み隠したり、狩猟キャンプに連れて行って欲しいという自分の願いが父母に理解されなくて、泣きじゃくったりすることなどなどを、一人称の立場から、その背後の景色や社会関係とともに物語的に描くこと、である。しかし、そこには、一人称的に書くことによる、対象への同一化だけがあるのではない。その描写が、驚嘆であり、価値があるということを発見する差異の感覚も明らかにある。
(JAMS16号、p.49, 2006、 2005年カリス隊による撮影)